シャンゼリゼ 9月5日(月)


 一度7時半に目覚めたが、まだ早いと横向きになって再び寝込んだ。
 夢うつつの頭の中で、よし今日は朝一番の列車に乗ってパリへ行くぞと決意していたのだった。
 二度目に目が覚めたのはジャスト8時半。
 ここ数日、朝方は大変冷え込んでいたのだが、今朝はニューヨーク氏が寒いと言って早々と窓を閉めていたので、今朝の室温は快適だった。
 私はタイマー式の電灯がかろうじて照らしている階段を降りて1階で朝食を食べた。
 そのうち昨夜のアメリカ人がガールフレンドを連れて降りてきた。
 私は彼におはようと声を掛けると彼らは私の前に着席して食事を始めた。
 「申し訳ないけど、ボクは一足先にパリへ行くことにするわ。大韓航空機が落とされたん、知ってる?」と私。
 「あぁ、ラジオで聞いたよ」
 「今、この問題で世界中が騒いでるそうやんか」
 「レーガンもカンカンだそうだな」
 「ボクの帰りの航空券はソ連航空機やねん。現在検討されてるように、もしも日本がソ連に対する制裁措置としてソ連航空機を日本に入れへんちゅうことになったら、格安航空券のボクなんか吹いて飛ばされてしまう」
 「なるほど。よくわかった」
 「せっかく声掛けてくれたのに本当にすまんね。早ぅパリへ入ってその辺の事情をソ連航空のオフィスで確認したいねん」


 部屋へ戻るとまだ眠っているヤツもいた。
 その気だるい朝の雰囲気の中で、私は一人、旅立ちの支度を済ませ、起きていたジェフに、
 「ジェフ! ボクは急ぐ用事ができたんで、お先に失礼するわ」
と挨拶し、畳んだシーツを1階で主人に渡してデポジット(保証金)の60BFを受け取った。
 そしてアメリカンカップルに、
 「またパリで会おう!」
と挨拶をして宿を飛び出した。
 さらばベルフォールの鐘楼!

 乗車予定の列車の発車時間はもうすぐだ。
 もちろん昨日確かめた列車とは違う。
 私は重い荷物で汗をかきながら発車5分前に駅に到着した。
 やはりセーターを着て走るのは暑かった。
 この列車だな。私は駅員に確認した。
 「どの車両もパリまで行くんですか?」
 車両によって行き先が異なる場合があるのだ。駅員は、
 「ブリュッセルで乗り換えて下さい」

 列車はフランダースの牧歌的な風景の中をひたすら進む。
 ゲントGentもブルージュと並んで最近人気の街だが、ブルージュと同じぐらい古い街並が見える。
 ブリュッセル・ミディ駅で下車して、すぐ駅の両替所へ行き、有り金全てをフランスフランに換金した。もっともサンチーム単位の硬貨は換えてくれなかった。
 パリ行きの列車の出発時間まで30分程あったのだが、座れないといやなので、すぐに乗り込みコンパの席を確保した。
 案の定、時間が経つにつれて混み始めた。座れない人も結構いる。

 列車がフランスとの国境に差し掛かった頃だろうか、係員がコンパに入ってきて乗客のパスポートをチェックした。
 列車に乗ったまま国境を越えるというのは楽である。
 もちろん東側へ行こうとすれば乗客は立たされるわ、座席をひっぺがしてチェックするわで大変だが。
 次に別の係員がやってきて切符のチェックを行った。
 ところが彼は私の切符を見ると、なぜか「荷物の中味も見せろ」と言う。
 別段、怪しいものを隠し持っているわけでもなし、コンパの中では狭いと言うのでトイレの前まで荷物を引きずっていき、彼にチェックさせた。
 そのくせチェックの仕方が非常にお座なりだったのは許せない。
 でも堂々としたこちらの態度がかえって良かったのかも知れない。
 無事にコンパに戻された私であった。
 それにしてもそう広くないコンパの店員が6名?とはいえ、外人がこれだけ入っているとたまらない。
 彼らは日本人以上に臭いに関して鈍感なのか、ワキガやくさい息に私は大いに閉口した。

 パリParisに到着した。
 ここが私の旅の最終地である。
 列車は、北駅Gare du Nordへ予定時刻を10分以上遅れて入った。
 もっともそれぐらい遅れてブリュッセルを出発したのだが。

 私はすぐにAJFと書かれた看板のあるインフォメーションの前の長い列に並んだ。
 そして受付のおねえさんにシングルの宿を頼むが安いのはないとのこと。
 希望としては星のない安宿を取りたかったのだが、この際しかたがない。
 一つ星のホテルを依頼した。
 するとここで宿泊費を払えと言う。
 私にはそれほどの持ち合わせがなかったので両替所に飛んでいき、またまた行列に待たされた上で新品の50F札3枚を携えて戻ってきた。ここでは20ドルだけしか換えなかった。後でシャンゼリゼにあるレートの良い所でドッと換えるつもりだ。

メトロの切符  ホテルの場所を聞き、すぐにメトロの駅へ降りて行って切符を買った。
 メトロはどこまで乗っても均一料金だ。
 切符のことはフランス語でカルネと呼ぶらしい。
 私はお徳用のカルネ10枚綴りを購入した。
 改札は自動だ。駅員がいないので、何人もの若者はその上を跳箱でも越えるようにスッと飛び越えて行く。
 メトロと聞くと地下鉄というイメージが強いが、パリのメトロは地上を走る部分が案外多い。
 地上の部分はほとんどが高架になっている。大阪の環状線を連想する。
 乗車するときは入口のレバーを自分で廻して扉を開けないといけない。
 扉が開くまで待っていたら電車が行ってしまったという笑い話もある。

 私はブランシュBlanche(白人女という意味らしい)駅で降りた。
 地上にある駅の昇降口にはメトロポリタンと書かれたアールデコそのままの装飾があって実にパリらしい。
 私は地図を見ながらホテルを探し歩いた。
 しかしどうしてパリの街はこんなに道路が入り組んでいるんだ?
 ようやく発見。部屋は最上階(5階?)だった。
 広さは6畳程だが、タンスとベッドがあるので狭い。
 窓の景色も建物が目の前に迫っているので、ほとんど何も見えない。
 トイレも共同で、シャワールームは無し。
 それでも一つ星らしいところといえばエレベーターぐらいだろうか。
 私はフロントに鍵を預けて、とりあえず凱旋門を目指してブラブラと歩いていった。
 途中何度も自分がどこにいるのか分からなくなったが、ようやくのことでシャンゼリゼ通りAvenue des Champs Elyseesへ行き当たった。
 ちなみにシャンゼリゼとは“極楽浄土”という意味だそうな!
 もう既にバカンスの季節は終っていたので、通りを走る車の数が多い。
 私はしばらく通り伝いに歩いていたが、あったあった。
 大きく“AEROFLOT”と書かれている。
 ソ連航空のオフィスである。
 よく見るとオフィスの前は厳重に柵で囲まれており、警官風の男2人が手に機関銃を持って立っている。
 何とも物々しい。
 韓国側の報復テロを恐れてのことだろうか。
 オフィスの前を通るパリっ子達や観光客達の注目の的だ。
 こんな状態で航空券の再確認などしてくれるだろうかと半信半疑だったが、思い切って警官の一人に近づき、その旨を伝えた。
 すると警官はにこやかにO.K.と言い、私をあっさりと中に入れてくれた。
 オフィス内でも初老の紳士が愛想よく応対し、ウィンドウ越しの衆人監視の中、航空券の確認処理を済ませ、出てきた。
 「9月10日の貴方の便は確実に飛びます」
という彼の言を信用するしかないな。
 いざとなれば日本大使館に飛び込むかぁ。

凱旋門をのぞむ 凱旋門下で儀式
凱旋門下側の装飾  50ドルの両替をクレジット・コマーシャル・ド・フランスという銀行で行い、手数料を1%取られた後、ついに凱旋門Arc de Triompheに到着〜。
 しかし門の周囲はグルッと車道で囲まれており、歩いて渡ることは難しい。
 だがそこはちゃんとしたもの。地下道があるのだ。
 そこを歩いてついに凱旋門の下にやってきたが、既に時刻は午後6時。まだ十分明るいので、そんな時間とは思えないが、門を登る入口は閉められていた。
 凱旋門の真下では小さなセレモニーが行われていた。
 花輪が飾られて火が灯されている。
 何のセレモニーから分からなかったが、警官が観客に対して「もっと後ろへ下がれ!」と厳しく警戒していた。

 私はパリにきて一つ分かったような気がした。
 服装もパリと日本はそう変わらないのになぜ日本人が貧弱に見えるのか?
 その答えは「姿勢」だと思う。
 パリジャンもパリジェンヌも背筋をまっすぐに伸ばして颯爽と街を闊歩しているのだ。
 これでは日本人がいくら美しい服を身に付けようと立派に化粧しようとかなわないはずである。

 空腹を感じたので、再びシャンゼリゼへ戻ってマクドナルドはないかいなと探していると“O-KITCH”というハンバーガー屋があった!
 さすがにフランスはマクドナルドの輸入を受け付けなかったのだろうか?
 とにかくここで夕食をバクついた。
 マクドナルドほど旨くはなかったが。

夕景の噴水  シャンゼリゼをさらに東へ進み、コンコルド広場Place de la Concordeへ辿り着いた。
 フランス革命時、マリー・アントワネットがギロチンで首を落とされたといういわくつきの広場だ。
 この辺りには遊歩道があるので車の音も若干遠く、ようやく一息付ける気分になった。
 陽はようやく地平線に沈もうとしている。
 広場の中央にそびえる、エジプトから贈られたという紀元前13世紀のオベリスクObelisqueが陽光を照り返し、燃えるような金色の光を放っている。
 互いに写真を撮り合っていた外人の女の子2人が、私が地図を開いているのを見たのか、近づいてきて周囲に見える建物の名前をたずねてきた。
 そろそろ電灯がともり始めた。

 ブラブラと店のウィンドウをながめながらホテルへ戻ってきた。
 あぁ疲れた!都会はやっぱり気疲れする。
 それにしてもホテルのフロントにいた2人のおばちゃんは両方とも英語を解しないので困ってしまった。
 私が朝食の時間をたずねると、Breakfastをシャワーの事と聞き違いした。
 もっとも私の発音には自信がないが。
 部屋のベッドでゴロンとした私はまぶしいハダカ電球を見ながら眠りに落ちたのだった。




《データ》
9月5日 月曜日
天候
訪問地Brugge, Paris
宿泊先Hotel Moncey ☆(65 Rue Blanche)
宿泊料66F
食事宿にて丸パン2個, ジャム一コ, バター一コ, コーヒー2杯
パリの宿レーズンパン, ジャム
O'KITCHKitch Barger, Best-Kitch, Cola
出費昼食24F(840円)
カルネ24F (840円)
宿泊料66F (2,310円)
合計114F (3,990円)