8月31日(水)


2CVと  車両の廊下を車掌が歩いてきた。
 「グッド・モーニン!」
 その声で私は目を覚まし、彼から昨日預けておいたパスポートとユーレイルパスを受け取った。
 午前7時30分。
 この部屋には寝台が6つあり、私は扉から向かって右側の一番下の段を占めていた。
 起き上がって毛布を畳んでいると先ほどの車掌が通りがかったので尋ねると、ベルギーには入ったが、まだブリュッセルには到着していないと言う。
 目的地はその先だから時間はまだまだあるわけだ。
 私は荷物を持って浜谷氏のコンパへ移った。
 中へ入ると、また知らない外人が何人か同室していた。
 浜谷氏によれば、列車が駅に停車するたびに乗客が乗り降りするため満足に眠れなかったという。
 一時間に一度は起こされ、しかも風邪までひいたとあっては、同情するよ。
 しかも国境越えでパスポート審査が4度もあったという。
 パスポートを預けてノホホンと眠れた寝台車は万金に値するな。

 列車はブリュッセルBrussels駅に入った。
 駅の表札を見るとブリュッセルという綴りのラストにX付きとX無しがある。
 これもいわゆる2つの言語のためだろうか。
 すこし長くなるが『地球の歩き方』からベルギーの言語戦争のくだりを抜きだしてみる。

 『ベルギーの政治でしばしば問題になるのが北部に住むフラマンと南部に住むワロンとの対立だ。
 極端な例では両種族の間に婚姻関係もない所もあり、ワロンとフラマンとの境界線ではわずか300mしか離れていなくとも交渉がまったくないという所さえある。
 「言語戦争」と呼ばれているこの対立は、独立以来抱え込んで今もって解決できない長い長い問題でもある。
 この小さな国で二つの民族が二つの言語を併用しなければならないのは地理的条件もさることながら、独立時の立て役者ワロンが常に支配権を握っており、また重工業を急速に発展させたのに対し、フラマンは昔ながらの農業や紡績業を営んていて経済的にも差が生じたりして、フラマン側の不満が時には血を流すような対立となって表れてきた。
 言語の境界線が両種族の対立の原因である境界線と重複しているので「言語戦争」といわれる。
 国王はその演説にもフラマンとワロンの両語で行うなど両者の和合に努力してきている。
 ベルギーには放送、出版、新聞から交通標識に至るまで皆この二つの言葉が用いられているのだ。
 首都ブリュッセルは、フラマン地域でもあるが、ここでは国際都市という関係もあって、フランス語もオランダ語も共通に使われ、彼らは自分自身を“ブラッセル人”と呼んで対立はあまり起こっていない。』


 九州よりも狭い国土の中で、しかもECやNATOの本部のある国で、こんないさかいがあるなんて、なんだか信じられないが、どこの国も似たようなもんだなぁとも思えてしまう。
 浜谷氏のスペイン国境での体験談。
 とても親切にいろいろと教えてくれた当地の人が、ある時、浜谷氏の「サンタンデールに行きたい」との一言で、突然顔をひきつらせて「それはあなたの問題で、私は知りたくもないし、行きたくもない」というきつい言葉を浴びせかけられたという。
 後で聞くとそこにも対立問題があったとか。
 この手の問題は、外人だからといって私達旅行者も軽々しく触れたりするのは厳禁である。
 下手をすれば命取りなのだ。

 目的地に到着するまでに一度だけ車掌が検札に来たので私はユーレイルパスを示した。
 私のパスは1ヶ月間有効というヤツなので、8月1日に使用を開始した私の場合、今日31日が有効期間の最終日となる。つまりこれ以後は逐一切符を購入しなければならない。
 そのため少しでも最終訪問予定地のパリに近づいていようと考えたのだ。
 これがミュンヘンから一足飛びにベルギー入りした理由であった。

 ブルージュBruggeに到着。
 私と浜谷氏は下車した。
 駅の中にもインフォメーションはあったが、列車の情報オンリーであったので、街の中央にあるはずのインフォまで行くことにした。
 駅前には立派な道路があり車がビュンビュン走っている。しかし一歩街へ足を入れると急に辺りはさびれた、否、静かな雰囲気を醸し出す光景になった。
 遥か遠くの街並みの上に鐘楼が見える。
 どうやらあそこが街の中心地のようだ。
 私達は塔を目指して街の奥へと突き進んだ。

 ブルージュは『天井のない美術館』とも『北のベネツィア』とも呼ばれる。
 街中には古い建物が多く、尖塔を持つ寺院もあちこちで見ることができる。
 また小運河が街を走っており、絵画的な雰囲気に満ち溢れている。

 鐘楼のある建物は街の中心地であるマルクトMarkt広場に面していた。
 インフォはこの建物の一階にあった。
 私達はツインで泊まれる宿をたずねた。
 940BF(ベルギーフラン)だという。すかさず浜谷氏は、
 “More cheaper one”
と言うと、印刷されたカードを出してきた。
 ある宿を紹介したカードだが、なんとそこにはBed & Breakfastと書いてあるではないか!
 懐かしい!!

裏町にて  その宿までは歩いて5分。
 まだ若い女主人がにこやかに迎え入れてくれた。部屋へ入れるのは午後2時だという。
 私達は荷物を預かってもらって外出することにした。
 まずは少し遅いが朝食だ。
 マルクト広場まで戻った私達は、最前に注目していた店へ入った。
 サンドイッチをズラリと並べているのだ。
 私は安いものを2種食べ、レモンジュースを飲んだ。
 その後すぐ近くにマクドナルドがあるのを発見、チーズバーガーとコーヒーを注文した。
 あまり旨いコーヒーではなかったが。

 私達は再び駅を訪れた。
 浜谷氏が明日の夜寝台車で次の場所へ移動するというので、その予約を取ったのだ。
 もちろん私はしばらくこの地に安住するつもりだ。
 宿へ戻る途中、私達は互いに写真を撮り合った。
 私のヒゲも随分と立派なものになったものだ。
 そしてヨーグルトを買い、宿の中庭で味わった。
 しばらく待っていると女主人がやってきた。
 「部屋にご案内します」
 窓側の壁が屋根に面しているため斜めになっている。
 割合に広くて小ざっぱりとした部屋だ。
 荷物を部屋に置いて私達は夕食の買い出しに出かけた。
 デパートに入り浜谷氏はミネラルウォーターのエビアン(フランス製)を見つけて喜んで買った。
 彼の大好物?らしい。
 そして先ほどヨーグルトを買った店で2種類のサラダを買い、浜谷氏はパンを買った。
 宿に帰って女主人にスプーンを貸してもらえないかと頼むとキッチンを使いなさいとのこと。
 自炊ができる!! 私達は皿とスプーン、フォーク、ナイフを借りて食べた。
 他に日本人の女の子3人組もいたが、ついつい照れくさくて話をせず。
 浜谷氏と話を弾ませた。
 食後、部屋で私は日記をつけ、浜谷氏はなんと絵ハガキ13枚、封書を3通書き上げた。
 自分でも驚いていたが。
 シャワーは共同であった。
 アカが異常なほど出て私を驚かせた。なにせ5日振りだからなぁ。




《データ》
8月31日 水曜日
天候
訪問地Brugge
宿泊先Bed&Breakfast Brugge(Den Bruggeling-Twijnstraat13 - 8000 Brugge)
宿泊料350BF
食事魚サンド屋とマクド魚貝類サンド2, レモン炭酸ジュース, チーズバーガー, コーヒー
材料を買ってきて宿でジャム, マヨネーズ, パン, 水, サラダ(ジャガイモ, [エビ, サカナ])の2種
出費朝食94BF+63BF(785円)
両替手数料100BF (500円)
ヨーグルト17BF (85円)
つめ切り39BF (195円)
夕食(サラダ)74BF (370円)
絵ハガキ7BF (35円)
宿泊料350DM (1,750円)
合計744BF (3,720円)