8月27日(土)


マイエンフェルト駅舎  アラームが私達を起こしたのは午前7時20分。荷物をまとめて担ぎ、1階に降りて食事を取った。
 そして宿のおばちゃんと握手してサヨナラ。
 宿を出たのが8時ジャスト。
 駅へ着くと8時2分の列車が、近づきつつあるところだった。
 私達はすぐに乗り込んだ。
 さらばマイエンフェルト。
 サラガン駅で乗り換え列車をしばし待つ。
 まだ鼻水が出るなぁ。これ以上、悪化しないことを望む。
 そして列車に乗った。

 チューリヒZurichに到着した。
 駅の到着直前に見た操車場の広さに目を見張った。
 私はこのチューリヒで帰りの飛行機搭乗券のreconfirm(リコンファーム:再確認)をするつもりなのだ。
 私はチューリヒ中央駅の駅舎の広さと天井の高さを仰ぎ見ながら街中へ出た。
 さてアエロフロートのオフィスを探さねば。
 フト見上げると小さな公園の中にペスタロッチの像があった。
 その脇をすり抜けるとビルがあり、目的のオフィスが見つかった。
 中に人がいるのが見えたが、入口に[月−金のみ]と書かれており扉は開かなかった。
 がっかりして逆戻りし、ペスタロッチの公園でミュンヘン行きの列車を検討した。

 午後12時4分発の列車に乗ろうとホームへ来たが、目的の列車は満員。
 私はホームの先まで歩いていったが、すいていそうな車両はなく、覚悟を決めて「ミュンヘン」とちゃんと行き先の看板の付いた車両に乗り込んだ。
 時々、一連の車両が分離して各々が違う方向へ走って行くなんて、日本では想像を絶する走り方をするからなヨーロッパでは。
 座席はもちろんフルに埋まっており、通路まで人が立ちん棒の状態である。
 私は荷物を連結器の横へ置いた。
 だが発車しようとする列車の扉に挟まれてしまった。
 しかたなく、トイレのすぐ横に荷物を置いて、私はそばの窓にもたれかかっていた。
 列車は順調に駅を滑り出し、チューリヒをどんどん離れていく。
 外の風景は良いが、隣で窓に寄り掛かってベタベタしとる若い兵隊と娘には我慢がならなかった。
 幸いしばらくしてコンパートメントがすいてきたので座れたが。
 ハナ水がまだ出続ける。
 鼻の穴から溢れそうなので、ずっと上を向いて防いでいたが、どうにもならずトイレへ行って紙を調達することにした。
 トイレにあったのはロール状のものではなく、長く折り畳んだ紙でこれが縦に積まれていた。
 ザラザラした紙だ。それでも表に[DB]とドイツ鉄道のマークロゴが入っているので、私は数枚を土産として頂いてきた。

 やがて列車は国境へと差し掛かった。
 この辺からはオーストリアのはずだ。
 このLindauという駅が国境駅のはずだ。
 と突然、私一人だったコンパへまだ10代前半と思われる3人娘が乱入し、荷物を座席に投げ置くや、外の男共とペチャクチャ話をしている。
 私には内容はまったく理解できない。
 しかたなく寝たフリ。
 それでも窓際に座っていたので、うるさいことおびただしい。
 列車が発車しても、しばらくは騒々しかったが、やがて娘共も疲れたのか静かに居眠りを始めた。
 私は窓外の景色を眺めながら、この辺りもまだまだスイスの面影があるなぁと一人でボーッとしていた。
 いま乗っている列車はスイスを出て西ドイツに入るのだが、間に湖があるので迂回するために必然的にオーストリアに足を踏み入れることになる。
 しかし一時的な入国ということだろう、オーストリア側の審査はまったくなかった。
 もちろんオーストリア内では停車しなかったのである。

 かしまし娘達は結局、ミュンヘンMunchenまで同乗したが、私とは言葉を交わさなかった。
 私は自分の第2外国語を試す機会を捨てたのであった。
 さて、と私はミュンヘン中央駅に降り立って、すぐ銀行を探したが、『地〜』に掲載されている銀行は見つからず、しかたなくレートの良くない両替専門の銀行でスイスフランをドイツマルクに替えた。
 しかし小銭の面倒までは見てくれなかった。
 次に探したのがインフォメーション。
 探したが、ない、ない、ないないないない。
 インフォがない。
 売店のおねえさんにたずねると「アッチ」と言うのでそちらへ進むと確かにあった。
 でもさっきの列車で降りた旅行者達が既に行列を作っていた。
 あ〜あ。しばし並ぶこと30分。
 ようやく対面した受付のおにいさんは、実に親切に宿探しに尽力して下さった。
 彼は私を名前だけで日本人と断定したプロのインフォーマーである。
 彼の勧めた宿は駅から歩いて10分だという。

 ここだ。この宿だ。私はブザーを押した。
 扉は開かない。
 その代わりにバリバリッという音がインターフォンから聞こえると同時に「上へどうぞ」という女性の声が聞こえた。
 その声と同時に扉の錠がガチャッという音と共に外れ、私は建物の中へ入ることができた。
 中は部屋ではなく、そのまま建物の裏の庭へと通じている。
 いやよく見ると横に階段が上の階へと回るように続いている。
 私が階段を昇り始めると上から呼ぶ声がする。
 少し気味が悪くはあったが、採光に優れた建物だったので、内部はどこも非常に明るそうだ。
 3階段まで上がると声の主が現れた。
 女主人だ。
 彼女は歌を口ずさんでいる。
 よく聴くとこう歌っていたのが解った。
 「ノリマサ・ノグチィ〜〜、カム・ヒア〜〜〜」
 こんな陽気な宿主は珍しい。
 私がパスポートを示そうとモタモタしていると、彼女は私の腕に下げていたミネラルウォーター(正体はスイスの水)の入った荷物を取ってくれた。
 「ワタシね。日本人が好きなのよ。アナタの職業は何? エンジニア?」
 「まだ学生なんです」
 「マァ、何を勉強しているの?」
 「数学です」
 「(非常に驚いた顔をして)マァ! 日本人って本当にインテリジェンスね」
 「主にコンピューターについて勉強してます」
 「アラ、やっぱりエンジニアじゃないの」

 彼女は私に真っ白の美しい食堂を見せてくれ、ここで朝食を食べるようにと言った。
 そして部屋に案内するから付いてきなさいと、私のミネラル・ウォーターを持って先に歩き出した。
 私の部屋は一つ階下の2階であった。
 受け取った鍵は3種類。玄関用、中の1階の扉用、そして部屋の扉用だ。
 荷物を置き、ベッドに座って部屋を眺め直した。
 さすがドイツだ。小ぎれいである。
 洗面台も湯の熱いのがちゃんと出てくる。
 ベランダ側の扉は大きな一枚ガラスがはまっている。
 この扉が非常に興味深い。レバーが2つあるのだ。
 一つは通常に開くためのもの。もう一つは左下に付いており、このレバーを縦横どちらにするかで扉の開き方が変わるのだ。
 横に倒すと普通に開き、縦にすると扉の上方が手前に倒れるようになっており、通風の時はこちらに合わせるらしい。
 少ししか倒れないのは防犯のためとのことだ。
 洗面台の横にはビデもあった。

マイエンフェルト駅舎  夕食は買い置きのパンで食事。
 たまには野菜をたっぷり食べたいなぁ。
 今日も昼夜兼用で2食か。
 食事は適当に切り上げて、熱い湯で湿らせたタオルで体を拭き、風邪で容態も芳しくないので、午後8時前にベッドに横になった。

(注:この日、栗田氏とサヨナラしたハズなのだが日記には記録がない。
 なに分、随分前のことなので全く記憶に残っていません。
 チューリヒに着いた時点で既に私は一人であったのは確かです)




《データ》
8月27日 土曜日
天候
訪問地Maienfeld, Zurich, Munchen
宿泊先Hotel-Pension Theresia(Luisen str.51)
宿泊料36DM
食事マイエンフェルトの宿パン(うす切り1.5枚, クロワッサン, 丸), ジャム4種, コーヒー, わけのわからんチーズ
ミュンヘンのペンションBeroパン, サクランボジャム, マヨネーズ
出費ミュンヘン駅で払った宿の予約代3DM(300円)
宿泊料33DM (3,300円)
合計36DM (3,600円)