‖陸日目‖



「これ作ったの、君ー?」
 ずいっと頭の上からこちらの手元を無遠慮に覗きこんで、少女が問うてくる。
「そうだけど・・・」
 顔を上げて瞳に逆さまに映った顔を見る。太陽が少女の顔に影を作って、よくは見えなかった。
 質問に答えると、少女が楽しそうに微笑った気配がした。
 時刻は午後一時過ぎ。彼女の年のころは僕と同じくらい。今日は土曜日だから、小学校もお休みなんだろう。
「ひとりで?」
「うん」
「全部?」
「あ・・・いや、そこのは高校生のおねーさんに手伝ってもらったけど」
 そういって、ちょっと・・・いや、かなり不恰好な城の塀を指した。
「あ、どーりでなんか一箇所だけ汚いと思った」
 ひょいと上体を起き上がらせると、僕の頭の上に作っていた影もどく。顔をあげて指されたほうを見た少女は、かなり辛辣な一言を発した。ああ、そんなきっぱりはっきり言わなくても。お姉さんだってがんばってたんだし。・・・・・・・・あれでも。
「私も何かやっていー?」
 背後に居たはずの少女は、いつのまにかちょこんと僕の横に座り込み、手近な砂を弄びながら小首を傾げて聞いてくる。いや、あんさん。返事を聞く前にもうやってますがな。
 まあ別に「これは俺様の城だ!誰にも触らせねえ!」とか言うつもりも無かったので、いいんですけどね。
「友達と遊ぶ約束してたんだけどさ、衽ってばこないんだもん。暇だったんだよー」
 ぺん、と城の屋根に当たる部分を叩いて、出会って数分だというのに、少女は砕けた様子で話し出す。人懐っこいというか、馴れ馴れしいと言うか、なんというか。嫌いじゃないけれど。
 所々がはねた肩までの黒髪に、真っ赤な服が目を惹く少女は、むう、と頬をふくらませながら言う。うーん、ひまわりの種でもはいってそうだ。
「『おくみ』って?」
 少女の台詞の中に聞きなれない単語を見つけて首を傾げてみたらば、「友達の名前」との答え。
 衽、なんて珍しい名前だな。
 あ、そういえば名前。名前と言えば―――
「君の名前はー?」
 先制された。
 まさしく自分が今聞こうとしていたことを少女に言われ、一瞬言葉に詰まった。
 同じ事考えてたんだなあ、と思うとなんとなく笑えてくる。
「しの。君は?」
「私は南。よろしくしのー」
 僕の泥まみれの手をとって、握手。そのままぶんぶんと腕を上下させる。オーバーアクションな子だなあ。面白いからいいけど。



 時計の針が一時二十分を指した頃。こちらに向かって歩いてくる少年が見えた。
 もしかしてあれが南の言っていた『衽』だろうか。何となく、その考えは九割がた当たっているように思えた。
「ねえ、南」
 それを聞こうとして南を見たけれど、彼女は砂で作った塔の窓を作るのに集中していて、こっちの声はまるで聞こえていないようだった。目付きは真剣そのもの。手は緊張のせいか僅かに震えている。

 ・・・・・・だめだ、これは、声をかけづらい・・・

 しかたなく黙って南の作業を見守っていると、いつの間にか少年が傍まで来ていた。
「おい、南」
 ぽん、と南の肩を少年が叩いた拍子に、驚いた弾みで手がすべり、南が作った塔はぼろりと半分ほど欠けた後、雪崩を起こしてさらさらと元の砂に還っていった。あーあ、がんばって作ってたのにな。
「・・・・・・・・・おーくーみー―――・・・」
 暫く放心した後、ぶるぶると肩を震わせて、地の底から響いてくるようなドスの聞いた声が、南の口から発せられた。
 関係ない話だけれど、やっぱりこの少年は『衽』だったらしい。ああいや、何もおっそろしい形相している南に怯えるあまりちょっと現実逃避とかしちゃったわけじゃない。・・・うん。違う違う。違うって。
「何してくれてんのよあんたーっ!!折角折角私がここまで頑張って作ったのに―――!!」
「わざとじゃないだろ、落ち着け南っ!」
「これが落ち着いていられますか―――っ!!」
「吠えるなっ!しょうがないだろう、どうせ形あるものは壊れる運命だっ!」
 ・・・随分難しい言い回しをするな、この子。まだ十歳くらいだろうに。
「そんな運命クソ食らえ、いやいっそ何も食うなっ!っていうか、あんた待ち合わせの時間に二十分も遅れてきて、それについてごめんの一言もないのっ!?」
「―――何言ってんだ、待ち合わせには遅れてないだろ?」
「あんたこそ何言ってんのよ、約束の一時なんて二十分前に過ぎちゃったわよ!」
 激しい言い争いが、そこでいったん止まる。
 見ているほうは面白いけど、何も肩で息をするほど叫ばなくてもいいんじゃないかな、お二人さん。ああ、ほら、公園中の目がここに集まってるよ。
「・・・一時?今お前、一時って言ったな?」
「・・・うん、一時って言った」
 確認するように衽が言うと、南も確認するように言い返す。
 すると、はあ、と衽が大きく溜息をついて、額に手を当てた。
「お前、自分で一時半って言ったろーが・・・」
 そうして疲れたように髪をかきあげた。
 どうりで、何かかみ合わなかったわけだ。
「・・・私、そんな事いった?」
「間に合いそうにないから三十分にしてっつったろーが」
「え・・・私いつもの時間だと思ってた・・・」
 あはははははは、と乾いた笑いを盛大にもらす。
 ・・・南、そういうことはちゃんと覚えとかないと社会に出てから苦労するぞ。忘れるんならメモとか取ってさ・・・衽だって怒鳴られ損じゃんか。まあ、塔を崩したことは紛れもなく彼も責任の一端を負うだろうけど。
 しかし、そんなことは二人の間ではよくある事なのか、先程までのその辺りのごたごたは、綺麗さっぱり、寧ろ見ているこっちが戸惑うくらいに払拭されていた。
「で、あんたは誰?」
 くるりと顔だけこちらに向けて、衽が今さっき気付いたかのように僕を見る。いや、本当についさっき気付いたのかもしれないけれど。
「しのっていうのよ。なーんと、この砂の城を作ったボウチョウニンなんだから!」
 答える前に、南が胸を張って僕の台詞を横から掻っ攫った。
 ・・・何で君がふんぞり返る。っていうか、傍聴人ってなんだ?
 衽と顔を見合わせて首を傾げていると、合点がいったように衽がああ、と声を上げた。
「張本人、か」
「そうそう、それ!」
 ・・・なるほどね。
「衽も一緒に作るー?」
 さも自分のもののような態度をとる南に、衽が呆れた溜息をつく。この子も苦労してるんだなあ。まるきり保護者と被保護者の関係だ。
「いいのか?」
 窺うようにこちらをちらりと見やる。いいも何も、別にこの砂場僕のじゃないから。ねえ?
「邪魔だったらぶん殴ってでもつれて帰るけど・・・」
「い、いや。いいよ!全然邪魔じゃないから!!衽さえよければ一緒に作ろう!」
 なんっつー物騒なことを言うんだ、この子は。
 普通なら冗談で済ませられるであろうその一言は、残念ながら、彼の本当に真剣な表情のためにそれで済ませられない不穏な空気を孕んでいた。
「そっか?んじゃあ俺も何か作ろうかな」
 そういって、衽も腕まくりをしはじめる。南の頭でなく、ぺたりと砂の上に置かれた手を見て胸を撫で下ろす。
 いや、やっぱり暴力の現場は見たくないし。

 さて、それじゃあ三人で何を作りましょうか。


 *****

 
「・・・なんか、かなりでかいのできたなー」
 砂場の外に出て、立ち上がって作ったものを眺めていた衽が呟いた。
 確かに、一般的に公園に設置されている標準をはるかに上回る面積の砂場がいっぱいになるほど、砂の城はかなり大きく改築されていた。
 ・・・所々、前衛的なうにょうにょしたオブジェが気になるといえば気になるけど。
「いやー、たまにはこうやって何かに没頭して作るのも楽しいよねっ!」
 オブジェを作った張本人、南は腕や服のみならず顔までもを泥だらけにしてにかっと笑った。歯だけが白いのが妙におかしい。とはいえ、自分も彼女とにたりよったりな格好なんだけど。
 衽は要領がいいのか気をつけているのか、手と服の前以外は殆ど汚れていない。
「あ、もう五時だ」
「うわー、だいぶ時間たってるねー」
 手をパンパンとはたきながら時計を見上げる。確かに何かに没頭していると時間なんてものはあっという間に過ぎてしまう。特に今日なんかかなり早かったように思う。
 ふとそのまま何気なく視線を公園の入り口の方に動かして―――・・・公園に走りこんでくる人影を見た。あ、お姉さんだ。危険ですので駆け込み乗車はおやめください。
「おーい、しのくーん!!」
 そう叫んでぶんぶんと手を振りながら公園に入ってくる姿はまるきり子供だ。いや、お姉さんまだ成人してないから子供だけど。児童とでも言おうか。あ、転んだ。
 誰?と表情だけ聞いてくる衽と南に、あやかお姉さんと説明になってない説明をして、よろけながらも近づいてきたお姉さんに向き直る。
 ・・・何もそんなに息切らして走ってこなくてもいいんじゃないかな、おねーさん。ああほら、さっき転んだから制服に砂がついてるよ。
 ぱんぱんと払ってあげると「ありがとう」と素直に感謝された。・・・あ、しまった。僕さっきまで砂触ってたんだった。被害が広まってなきゃいいけど。
「や、よかった。もう帰ったかと思ったの」
 間に合ってよかった、といって額の汗を拭う仕草。
 ああ、立ち上がって砂を払っていたから、帰る支度をしていると思ったんだろう、多分。
「どうしたの?僕に何か用事?」
「うん、あのさ・・・」
 どん、と傍らに鞄を下ろして、ごそごそと中身を漁りだす。何だか恐ろしく重そうな音がしたけど、辞書でも入っているんだろうか。
「―――ああ、もしかして、さっきの変な形の砂壁作った高校生のお姉さんって、この人!?」
 ずっと考えていたのか、いきなり合点がいったようにぽんと手を打って南があーあーと何度も頷いている。いや、お姉さんの砂壁だって、君のあのオブジェには負けると思うよ。なんと言うか、インパクトとか、後からふと思い出したときに甦る記憶の鮮明さとか、そしてこみ上げてくる思い出し笑いを噛み殺す苦心とか。
「いきなり失礼なこと言うなっ!つか、お前が変な形とか言えた義理か!!」
 先程僕が思ったのと似たようなことを口にして、南の頭をぺんっと叩き、それからお姉さんに向き直り、すいませんと頭を下げる衽。
 なんというか、いつも南のフォローに回っているんだろうなあ。苦労してそうだ。
 当然ながら、お姉さんは何のことかさっぱりわかっていないようで、いきなり初対面の少年に頭を深く四十度に下げられて、目を白黒させている。
「えーっと・・・何の話?」
「なんでもない、なんでもない」
 そう?と僕の言葉に首を傾げて、よくわかんないけど怒ってないよ、と衽に頭を上げさせる。
 それから、お姉さんは鞄からお目当てのものを見つけて、ひょいと僕らの前にそれを差し出した。
「・・・遊園地の・・・チケット?」
 一枚で四人まで無料で入れますよーってのが、二枚。
 すなわち、合計で八人入れる計算。つまり、二枚を同時にきっかり人数で使うと結構な大所帯になる。それが無料、大丈夫なのかここの遊園地は。
「友達から貰ったの。よかったら使って?」
 その言葉に、一番に飛びついたのは南だった。
「いいのっ!?じゃあ遠慮なく・・・」
「ちょっと待て」
 それを制するのは、やっぱり衽。
「何でお前はそうなんだ?初対面の俺達がそう無遠慮に物を貰うなよな!」
「何よ!くれるって言ってるんだから貰えばいいじゃないの!」
「あつかましいにも程があるだろっ!」
 ・・・また始まった。
 暫くこの言葉の応酬―――いや、むしろもうこれは漫才に近い―――が続きそうだったので、僕は彼らを無視して、お姉さんと話を進めることにした。
「何で僕に?お姉さん、使わないの?」
「それね、有効期限が明日までなの。明日都合つく友達も居ないし・・・使わないで捨てちゃうよりは、しのくんのお友達とでも行ってくれれば、って」
 ちなみに、このチケットをくれた友達も綾香お姉さんに似たようなことを言ったそうだ。そのくれた友達とお姉さんが行けばよさそうなもんだが、まあ、休日にたった二人で遊園地を回るほどの仲のいい間柄じゃあないんだろう。
 なるほど。まあ自分が損するわけでもないし、会ってたかだか三日かそこらの少年だろうと、有効利用してくれればそれでいいということか。

「そういうことだからね、使ってくれたほうが嬉しいの」
 これは、漫才、もとい言い合いをしていた南と衽に向けられた言葉だ。
 そういわれると衽も黙るしかなく、南は諸手を上げてわあいとはしゃいだ。
「・・・お姉さんは?」
「え?」
「綾香お姉さんも行こうよ」
 予想していなかった誘いの言葉に、お姉さんはきょとんとした顔を見せる。
「用事はないんでしょ?」
「うん、それは・・・ないけど」
 でも、とお姉さんは言いよどむ。
「僕らみたいな子供と行くのは、いや?」
「ううん、そんなことないよ」
 私も幼稚だお子様だってよく言われるし、と言って、照れたように頭をかく。うん、そうだろうね。
「でも、私が行ったら遊びにくくないかな?」
 子供達は子供達だけで、ってことか。
「そんなことないよ」
「そうだよー、いこうよお姉さんっ!」
「お姉さんさえよければ、是非」
 じ、と六つの目がお姉さんを見つめる。
 うう、とお姉さんが唸った。断るか、誘いに乗るか。おそらくはかりが揺れてているんだろうなということは手に取るように判った。ほんと顔に出やすいなお姉さん。

 そして、結局お姉さんの遊園地行きを決定させたのは、衽のこの一言だった。

「・・・それに、流石に遊園地なんて人の多い場所、保護者が居ないと僕たちも遊びにいけないんですけど―――・・・」


 *****


「じゃあ明日の十時に遊園地のゲートの前ね」
「チケットもう一枚あまるけど、誰か誘う?」
「じゃあ、私達友達連れてきてもいーい?」
「うん、いいよ」
「しのは?」
「僕も誘う友達は別に居ないし―――・・・」
「じゃあ、決まりー!!」

 日程決めて、集合場所決めて、時間決めて。 
 それじゃあ明日ねと手を振って、夕焼けの中、帰り道を歩き出す。

 一日目はひとり、三日目は二人、六日目に、四人。
 七日目には、もう少し人数が増える、予定。

 たったひとりだったお休み期間。
 うん、なんだか、結構楽しくなってきたじゃありませんか―――・・・


 *****



 貯金箱をひっくり返して、明日のためのお金を用意している時だった。
 玄関のドアが開く音がした。その後廊下を歩くスリッパの音。多分お母さんが帰ってきたのだろう。
 抱えていた貯金箱を放り出して、母が居るであろう台所へ向かう。
 明日遊園地に遊びに行く旨を伝えておこうと思ったのだ。いくら放任主義の親とはいえ、流石に一日中息子がどこにいるのかわからないのはまずいと思って。


 台所へ続くドアを開ける。母は、真っ暗な中―――いつの間にか暗くなっていたことに、まったく気付かなかった―――電気もつけずに台所の椅子に深く座り、頭を抱えてぴくりとも動いていないようだった。
「お母・・・」
 さん、と言いかけて、言葉に詰まった。
 それは、子供が容易に声をかけられる雰囲気ではなかった。

 ・・・泣いていたのだ。母が。肩を震わせ、声を押し殺して。

 つんとした消毒液のにおいが鼻腔を刺す。
 こんな母の姿は、見たことがなかった。朗らかに笑い、時には厳しく叱り、いつも明朗快活とした表情をしていた母が―――はらはらと、絶え間なく涙を流して。
「・・・お、母・・・さん・・・」
 かすれた声が出る。自分の声じゃないみたいだった。
 聞こえなかったのか、それともあえて聞こえないフリをしているのか。
 自分の声に、母は何一つ反応を見せなかった。
 かわりに、闇夜の海のように広がる沈黙に、

「―――リョウ・・・」

 ぽとりと落とされた言葉が、波紋を広げる。

 誰かの名前。知らない人の名前。
 父の名でも、母の名でも、勿論、僕の名前でもない。
 ダレカの名前。シラナイダレカの。

 強い消毒液のにおいに、頭がくらくらした。

 ―――リョウって、誰?



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日常に、波紋を広げて。