ポルポト政権について
1975年 クメール・ルージュ軍がプノンペンを制圧。それにより、指導者ポルポトによる暴政が始まる。
1979年 ベトナム軍がカンボジアへ侵入。プノンペンを制圧することで、ポルポト政権は終わる。
しかし、その後もシアヌーク殿下の率いるカンボジア軍とクメール・ルージュの戦闘は続き、実質上は、1998年のポルポトの死去によって、カンボジア内の戦闘に終止符が打たれる。
ポルポトの暴政
町の住人を農村へ行かせて、働かせた。それに、反対した人々が殺された。
殺された人・・約300万人(200万人とも) 記者・学者・医者・教育者・子ども等
孤児・・・・・・・20万人
殺された役畜・・約150万頭
破壊された建物・・学校(5857校)・病院や研究所(796件)・寺院(約2000件)
トォオル・スレン博物館
ポルポト政権下において、当時高等学校だった建物を占領して、S−21と呼ばれる刑務所として使用していた。ここでは、多くの人が拷問を受け、殺されました。
ベッドに鎖でつながれていた
電子鉄線に囲まれた独房
独房
子どもが繋がれて寝かされている
拷問
爪をはがされている
拷問(水につけられている)
拷問
子どもが木にたたきつけられている
殺された人々の骸骨で作ったカンボジアの地図