2003.07.12(土) 不動七重の滝と薬師湯(実施報告) 昼食後に配布された、青山悠二さんのメモ おしゃべり の 代わりに を、 ホームページに変換しました。 (一部、山脈名・山岳名・河川名を変えています) |
おしゃべり の 代わりに |
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前鬼川 風景は奥入瀬渓谷、東北の十和田湖より流れ出る よりスバラシイ。 中部山岳の黒部渓谷にヒケをとらぬ景色、人が来ないのは交通便が悪いからだ。 不動七重の滝 「ひょっとして深夜はおちてない滝」そう思えてくる モッタイナイ〜 人間中心の考え。人間が生まれる前からこの自然は存在していた。人間は地球の蛆虫みたいなもんだ 〜 モンゴルの平原を旅して実感した。 ここは紀伊半島の南、大峰山脈が北から南に連なっている。 山深い所だ。 山上ヶ岳、大普賢、弥山、佛生、釈迦ヶ岳 2千メートル弱級の山々が連なり、両辺を十津川と吉野川・北山川が挟んでいる。 山は急激に落ち込んでいるから沢山の滝がある。 不動七重の滝の上流に三重の滝、青岸渡寺、熊野那智大社と那智の滝、那智の滝の上流一の滝二の滝、反対側の宝竜の滝(隠れ名滝)百間山渓谷などイイ滝が10数箇所ある。 熊野は山深い。 クマノは 山コモレルがクマレルに転化したものでクマサンがギョウサンいたのではない。 熊野は山岳宗教のメッカ、吉野山から玉置神社までの山岳を修験者早がけの道として山伏の鍛錬場、急な山道や岩場を飛ぶように走る、山ガケ千日行で悟りを開く菩薩になる。 7世紀活躍の 役の小角(おずぬ)修験道の祖は知られている。 玉置神社の宿坊に泊まったが、布団が湿って重い。 湿度が高い。 修験道は神仏習合でヒンズー教の影響が強い。 護摩を焚く、密教。 私は数年ほど前に釈迦岳に2度登った。頂上にはお釈迦様3メートルの金銅立像がある。 独りの男が担ぎ上げたもの。 1回は十津川方面から東側から、モウ1回は、この上の前鬼宿坊前にテント泊で、途中の三重の滝がスバラシカッタ。 スッポンポンになって滝壺で泳いだ。 後がタイヘンだった。 山蛭にケツを噛まれパンツは真っ赤か。 痛くも痒くもないが血が止まらない。 ヘモグロビンを破壊するから。膿みや悪い血を吸い出すのに昔は蛭を使った。 山蛭は木の上から落ちてくるし、ジャンプして飛び上がってもくる。 だから行者は昔足に油紙を巻いて早駆けするか、さもなければ、夜歩いた。 ヒルはヨルの反対だから。(駄洒落) もう一回の十津川方面からは、登り口に置いた車が帰りに動かなくなり、下の集落まで20キロ夜道を歩き麓の宿に泊まった。 当時私は名古屋の専門学校の教師をしていたので早朝宿を発ちヤットの思いで午後の教壇に間に合ったコトもあった。 宗教心の薄い私に対する天のオトガメだったのかもしれない。 熊野・和歌山は面白い人が出るトコロだ。 徳川七代将軍吉宗、紀伊国屋文左衛門、南方熊楠、財政金融大臣竹中平蔵、汚職の旅田元和歌山市長。 南方熊楠は明治の粘菌学者、日本より欧米で有名、沢山の菌類、キノコをイギリスの植物学会で発表、熊野自然保護のさきがけ。 紀伊半島は多雨地帯、湿度高い。キノコも出るし、お化けもでる。 私は山中で天然椎茸を採ったこともある。 南方熊楠は ダルというオバケと山中出遭ったと書いている。 田辺市に南方熊楠博物館がある。 日本の天才だ。 機会あれば訪問をお勧めする。 江戸時代、蟻の熊野詣でといわれた程に京、大阪から熊野参りの人が多かった。 山岳宗教信仰だ。 熊野古道として道の休憩所は 王子(発心門王子など)と呼ばれ今でも残っている。 お伊勢参りと肩を並べる賑わいだった と言われている。 今でも和歌山、熊野へは交通便が悪い。 奈良から和歌山へは、松本(私の郷里)に行くのと同じ時間がかかる。 直線距離は三分の一だと いうのに。 7月11日メモ |
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青山 悠二 |
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