豊日神社から細い農道を歩いて天理教迎賓館の裏あたりにくる。道から上に上る細い道があり、20分ほど行くと城跡が存在する。室町時代に付近に勢力を張った興福寺大乗院方の衆徒・豊田氏が居城とした跡である。案内人から往復で小1時間かかるが、城址には跡を示すものがあるだけなのでパスしたいと言われて行かなかった。看板がいくつかあったので、これで手抜きしてこの項は終わりとなる。





     * 下記写真の上左は豊日神社の社殿前、上右は階段上に社殿があるが行かなかった
       2段目以降は 豊田山城跡の上り口にある看板をそのまま

  
   天理駅から出発して、長い商店街を歩く、天理教のおひざ元で市名まで宗教教団の名前になってしまったのだ。この途中で交差する道が何か所かあり、そのひとつに偶然にも桜並木が見えたので撮った。(下記写真左上)

  天理教本部は壮大だ、寺院と同じつくりのようだ。信者でもないので前には行かず遠くから眺めたのみ、また、反対側に天理参考館があるが休館日だったために行かず。天理外国語学校の教材室として設けている。現在は天理大学の博物館で、考古美術資料・民族資料など所蔵しているという。


  坂道をのぼってしばらく歩くと豊日神社が見えてきた。 祭神は豊日神、大山祇命、菅原道真とある。山の辺の道コースには石上神宮がるが、今回は寄らずに豊日神社から横のあぜ道を歩く。なお、石上神宮の神事に用いる神火は、この豊日神社で焚かれたという伝承があるらしい。




   
     奈良盆地の東南にある三輪山のふもとから、東北部の若草山に並んでいる春日山のふもとまで、盆地の東端を山々の裾を縫うように通っているのが、山辺の道(やまのべのみち)である。古墳、古い社寺、旧跡が多く点在し、この道は「歴史街道」そのものとも言える。


   実際に山の辺の道として、名前が知られているのは、桜井から天理に至る南部コースが多い。道の整備も進んでいるし、歩いている人の数も多いのである。今回は、この道でなくて、天理から奈良方面の北部コースを歩いた。このコースは道も判り難いところも多く、実際は奈良まで行かず、途中からそれて櫟本(いちのもと)までだった。JR桜井線の天理から櫟本は一駅にしかならないのだ。


  


   
        
      
           



山の辺の道(北部)散策(上)