2.夜支布(やぎゅう)山口神社
円成寺を出て、細い道をまずは下りるところに柳生街道の標識がある。また、ここは東海自然歩道にもなっているのだ。民家の軒先を歩くようなところもあって、くねくね曲がり道で標識をよく見ていないと間違えそうだ。今回は下見までしてきた世話役がいるので付いて行くだけで安心ではあるが。
天気はいいし歩くには絶好の日になってくれてうれしいものだ。田園風景の中を小鳥の声を聞き、野の花を見ながら、時々は道端の石や標識など観察しながらの何とも言えないハイキングをしているという気分になるものだ。上り下りの道、早くなったり遅くなったりしながらのアンバランスな歩きながら久しぶりに歩くという感慨にもなる。
そのうちに2番目の見るところにつく、夜支布山口神社とある。大柳生の氏神で平安時代の延喜式にもあらわれている古い社。境内にある摂社立磐神社の本殿は、春日大社の第四殿を延享4年(1747年)に、ここに移したもの。この神社には、一年交代で集落の長老の家に神様の分霊をむかえる「回り明神」と言う、珍しい行事が伝わっており、700年の伝統をもつ大柳生の太鼓踊りが奉納される。という。やぎゅうと読むのも難しいが、山口というのは山の入り口にある神社によく使われるそうで、やぎゅうへの入り口とう意味もなるかと勝手に想像する。
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朝早かったこともあり、そろそろお腹の虫もなくころながら辛抱して大柳生集落の道を歩く。そんな仲間もいて昼食場所のことを聞いているが、少し先と言われている。下り上りを繰り返してようや広場に出る。奈良市青少年野外活動センターとある。子供の遊びをする場所のようで手作りの遊具や宿泊もできそうな建物もあるし、キャンプ場でもある。
この前にあるベンチで思い思いのところに座っての昼食になった。青空の下で食べる食事はコンビニの弁当ながらおいしい。コンビニ弁当と侮ってはいけないくらい最近は味はいいし素材もおいしいものが多いのだ。しかも安いのが嬉しい、この価格でよくもこんなにと感心もする。ただ揚げ物が中心になるのは食あたりの心配もあり当然だが。皆な真面目でアルコールを飲む人はいない。
秋晴れの日、OB仲間と柳生街道を散策する。柳生街道は、近鉄の発行している「てくてくまっぷ」によると奈良から柳生まで山間に続く道で21KM強の距離がある。今回は、この道の剣豪の里コースと名付けられた箇所9KM
を歩いた。実際は、他にも寄り道したので10KM強にはなったか。
近鉄奈良からバスで忍辱山(にんにくせん)バス停まで乗る。 忍辱山は円生寺の山号で、ここで円生寺の庭を拝観する。バスは結構時間がかかり40分はかかったか、奈良市内を抜けるのに朝の渋滞もあったのだ。同じハイキング族らしくグループもいてバスには座れなかった。途中での乗降は地元の人で少ないのだ。現在は柳生も奈良市に編入されているので、すべて奈良市内になるのだが山間の道を歩くととても市内には思えない。(地元の方にはすみませんが、ゴチャゴチャ家が建てこんだ場所というのが市内としてですので)
1.円成寺
円成寺は真言宗御室派の仏教寺院。本尊は阿弥陀如来であるが、仏師・運慶のもっとも初期の作品である国宝・大日如来像を所蔵することで有名なお寺である。今回は目的が違うので寺院内には入らなかったので、運慶の仏像にはお目にかかれなかった。ただ、暗いところでガラスケース越しなのでよく見えなかったとは、以前に拝観した人の話だったが。
天平勝宝8年(756)、聖武・孝謙両天皇の勅願により、鑑真の弟子にあたる僧・虚瀧(ころう)により開創される。万寿3年(1026)に命禅が再興して十一面観音を祀ったという。しかし、鑑真とともに来日した僧の中に虚瀧なる人物は実在せず、奈良時代にさかのぼる遺品、出土品等も見当たらない。以上のことから、この草創縁起は後世の仮託と思われ、「中興の祖」とされている命禅が円成寺の実質的な開基であると推定されている。 江戸時代は寺中に子院23か寺を有するほどであったが、明治の廃仏毀釈による混乱により衰えた。とある。
池を中心とした浄土式庭園は紅葉の始まりで、美しくなってきつつある感じで、しばしその景色に見とれるが、これから歩くのが本番なので、ゆっくりさせてはもらえない。後ろ髪にひかれながらの離れた。次にはぜひともゆっくりきたいと思った。