食事後は、浄瑠璃寺に参拝、住職さんからお寺の由来など興味深いお話をお聞きする。
浄瑠璃寺は真言律宗の寺院で、山号を小田原山と称する。本尊は阿弥陀如来と薬師如来、開基(創立者)は義明上人という。寺名は薬師如来の居所たる東方浄土『東方浄瑠璃世界』に由来するらしい。本堂に9体の阿弥陀如来像を安置することから九体寺(くたいじ)の通称があり、古くは西小田原寺とも呼ばれた。
境内の浄土式庭園は、中央には小島があり、弁才天を祀る祠がある。池の東岸には薬師如来を安置する和様の三重塔、西岸には阿弥陀如来を安置する本堂(九体阿弥陀堂)が位置する。いずれも国宝だ。池の反対側から本堂を見ると、中央の阿弥陀如来の顔は本堂の庇に隠れて見えないが、池に映った姿を見ると顔も見える。池に映して見ることで、極楽浄土の世界を見るように設計されている。江戸時代に池を小さく削ってしまったそうで、元々は扉を開くと池に阿弥陀様の全体像が映るように設計されていたそうだ。
また、現在は発掘調査をしていて池には工事杭があり眺めはよくないが、この発掘調査で池の大きさなど改めて確認できたそうだ。住職さんのお話しは丁寧で判りやすいが、客が次々くるので適当に終えないと進まなかったのが残念だ。ここを見るために訪れる観光客も多いようだ。
堂内は撮影禁止で仏像さんの写真は残せないので、外観と東岸の三重の塔を撮った。紅葉の季節は一段と華やかなことと思われる。
最後に見るやけ仏の頃に雨のぱらついてきたので、帰りのバス停留所のある青少年山の家の近くまで行く、雨はその後あがってよかったが、ほどなくコミュティバスがきて全員乗車で一杯になる。数名は立つことになる。加茂駅まで戻り駅前で解散だ。
花崗岩の巨岩が露頭を覗かせる土地、京と大和の往来する道に、平安末期から鎌倉期の、末法思想、浄土信仰などの影響から都の名工たちの手で多くの磨崖仏などが刻まれた。それが当尾の石仏として残っているのだ。作者銘、制作年が判明できる石仏が多いので年代も表示できるそうだ、ガイドさんは全体の85%を見る予定と言っていたが、道が悪いとこともあり、実際は70%くらいか、地図で見るとまだ6ケ所ほど行っていなかったようだ。またの機会にブラリと訪ねて見たいものだ。
浄瑠璃寺参拝の後は、藪の中三尊像まで戻って再び石仏の道を行く。
阿弥陀石仏 首切り地蔵 当尾最古のもので「首切り地蔵」の別名は、首のくびれが深く切れて
見えるためとか、昔処刑場にいたからといわれている。
仏谷の阿弥陀?摩崖仏 谷間の巨石に彫りこまれた当尾石仏最大の如来型の摩崖仏(約2.5メートル)
阿弥陀如来、弥勒如来、釈迦如来などの諸説があり確定していないし、時期も奈良前
期から鎌倉中期まで諸説あって不明。真下まで行く道が草に埋もれていて、谷を隔て
た道からの拝観となる。
ツジンドのやけ仏(阿弥陀三尊石仏)「ツジンド」とは「辻のお堂」のことで、火災で焼失し、石仏
も損傷を受けたそうだ。中央に阿弥陀如来、両脇に錫杖を手にした十一面観音と地蔵
を従えているらしいが、風化していて線刻は判断できないほどになっている。