JR加茂駅に集合し、ボランティアガイドさんの案内で回るのだ。まずは、コミュニティバスにのり岩船寺に行く。岩船寺(がんせんじ)は京都府木津川市加茂町にある真言律宗の寺院で、山号は高雄山(こうゆうざん)。開基(創立者)は行基と伝えられる。アジサイの名所として知られ「アジサイ寺」とも呼ばれる。そして岩船寺の名は門前にある岩船(いわふね)にちなむらしい。平安時代の本尊阿弥陀如来坐像、普賢菩薩坐像、鎌倉時代の四天王立像などが本堂にあり、鎌倉時代の十三重石塔や五輪塔、室町時代の三重塔が境内にある。いずれも重要文化財に指定されている。

  門から入ると正面の奥まった高台に朱塗りの色鮮やかな三重塔。嘉吉2年(1442)の銘文からこの頃につくられたものと考えられている。表面は板壁、初層は心柱や四天柱がなく、中央に須弥壇を設けて二本の来迎柱を配置する構造で、室町時代の特徴であり、初層内部には壁画が描かれていて、近年の修理の際扉絵も含め復元された。なお、本堂に安置されている阿弥陀如来坐像は、高さ2.4メートルという大きなもので、一本の榧(かや)から掘り出されている。残念ながら撮影禁止なので仏像の絵は撮れず。

  奈良県と境を接する京都府木津川市加茂町の「当尾の里」は、平安時代後期から鎌倉・室町時代にかけて浄土信仰の霊地として栄え、今も「石仏の里」として言われる。当尾(とおの)という呼び名は、浄瑠璃寺、随願寺、岩船寺などの古代寺院が塔の威容を競ったことによると言われる。平安時代以前の飛鳥時代頃から藤原氏の影響が強く、 近衛家から春日社に寄進されて興福寺の荘園となり、当(塔)尾庄とか当尾郷とよばれた。 この当尾一帯の地名は中世以来、小田原と呼ばれ、浄瑠璃寺の 西一帯を西小(にしお)、 東の方を東小(ひがしお)と呼ぶのは、西小田原、東小田原の省略形がなった。




    
     京都は加茂町のボランティアガイドさんの案内で、当尾の石仏の里を訪ねた。
ガイドさんからいただたマップです。必要部分のみ切り抜いたので変形になってしまいました。



     
 

  昼食は浄瑠璃寺門前の茶店でとる。おばちゃんが一人で頑張っているのだが客も多いので時間がかかる。集合時間まで時間があるので間に合ってよかったが、山菜そばはおいしかった。 
  当尾地区には、多くの石仏や石塔がある。特に平安時代から修行僧の庵室や行場が設けられていた小田原には、浄瑠璃寺・岩船寺の界隈に、鎌倉時代後期から室町時代にかけて、多くの磨崖仏が造立された。道を行き交う人々を見つめてくれる道しるべとしての繊細で芸術性の高い石仏達である。石仏の里として散策コースになっており訪れる人も多い。

 石仏を見て回った順に下へ写真を掲載する。

 * 三体地蔵 西方はるかに広がる眺望を美しい三体の地蔵さんが並んでいる

 * ミロクの辻線刻の弥勒磨崖仏は、笠置寺の線刻弥勒磨崖仏を模刻したものと云われる

 * わらい仏 阿弥陀三尊摩崖仏は俗にワライ仏と呼ばれ、もっとも親しまれている石仏

 * 阿弥陀像と地蔵像が刻まれた摩崖仏 唐臼に似ているところからカラスの壺と呼ばれる

 * 薮の中三仏磨崖像 阿弥陀・観音・地蔵の三尊が刻まれて、当尾ではもっとも古い年号の磨崖仏
 
当尾の里散策     (上)