平城宮跡 東院庭園    2011年6月

1967年に発見した平城宮跡の東端の遺跡を復元した庭園です。東西80m×南北100mのこの大きな庭は「続日本紀」の「東院」という言葉にちなんで東院庭園と名づけられた。奈良時代には天皇や貴族がこ庭で儀式や宴会を行っていたそうです。

興福寺 五重塔    2011年4月

古都奈良を象徴する塔で、仏教の祖釈迦の舎利(遺骨)をおさめる墓標です。天平2年(730)に興福寺創建者藤原不比等の娘光明皇后が創建。おこうだらにきょう)を安置していたと伝えられます。
 その後5回の被災・再建をへて、応永33年(1426)頃に再建された。高さ50.1m、初層は方三間で8.7m、本瓦葺きの塔です。軒の出が深く、奈良時代の特徴を随所に残しています。

 

 東大寺 大仏殿    2011年2月

・奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺である。金光明四天王護国之寺ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。当初の大仏及び大仏殿は、聖武天皇の発願により、8世紀に造られたものであったが、その後2度の兵火で焼け落ち、現存する大仏殿は江戸時代の再建である。
 高さ46.8メートル、間口57メートル、奥行50.5メートルで、高さと奥行は創建時とほぼ変わりないが、東西の幅は約3分の2に縮小されている。
  

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(年月は掲載日)
平城宮跡 大極殿  2011年2月

・平城遷都1300年記念(2010年)で再建された。朱雀門の真北約800mに正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27m。直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万7000枚を使った平城宮最大の宮殿である。当時、天皇の即位式や外国使節との面会など、国のもっとも重要な儀式のために使われていた。
 これは、740年恭仁京(くにきょう)遷都までの大極殿で第一次大極殿といい、745年奈良に都が戻ってからの大極殿を第二次大極殿という。近くに第ニ次大極殿跡もある。
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平城宮跡 朱雀門  2011年1月

朱雀門(すざくもん)は、南面に位置する正門。宮城の12の門のうち最も重要な門で1998年に復元された。
その前では外国使節の送迎を行ったり、大勢の人達が集まって歌垣などを行ったりし、正月には天皇がこの門まで出向き、新年のお祝いをすることもあった。朱雀門の左右には高さ5.5mの築地がめぐり、130haの広さの宮城を取り囲んでいたという。