高取城跡に入っているのだが、ここからも石ころ道や急坂があって、結構いい運動になるのだ。
少し早いが、写真の関係で後は後半ページに記載する。
山道になって速度も遅くなるが、やがてお寺の表示がある。折角なので、立ち寄ることになる。ここは高取藩主・植村家の菩提寺で天台宗の真各山「宗泉寺」。植村家政の邸宅跡に元禄11年(1698)建立した。 天台宗延暦寺の末寺となっている。本尊;阿弥陀如来像がある。
*下の写真 上4枚が宗泉寺で、紅葉はやや遅いのか近づくと枯れている箇所も。
下はハイキングコース案内図だが、広域すぎて役立たない、
左中ほど下から壺阪山駅から下の中央が高取城址・壺阪寺がコースだ。
近鉄てくてくまっぷの壺阪・高取コースを歩いた。紅葉の時期であり写真を撮るためでもあった。実際は、コース地図とは反対側から歩いたので、少し異なるが8KM程度か、但し、上り道が結構続くので距離以上にしんどい箇所もあった。
天候はまあまあでハイキング日和でもある。近鉄吉野線の壺阪山駅から土佐街道をしばらく歩く、ちょうどお城まつりがあった後で、各所に武士の姿の人形など飾った場所もあり、町が力をいれて実施した行事が伺えられた。土佐という地名から、もしやと思っていたら、やはり看板に元は土佐からでてきた人々が、お国に帰られずにここに集落を作って住み着いたことからの由緒ある名前だった。6世紀頃に大和朝廷の都造りの労役に土佐の高知から駆出された。という。
寛永7年(1640)植村氏が藩主になり、山上の高取城は日常生活が不便なため、藩主をはじめ家臣の屋敷が街道筋に移された。そして城下町が形成され、今も古い町屋が残る石畳の道が、当時のメインストリート土佐街道。この石畳は、阪神大震災の復旧工事で出てきた阪神国道の路面電車の石畳を利用。町屋は、当時ほとんどが平屋で2階は屋根裏程度。お殿様を見下ろさないという配慮かららしい。
土佐街道には紹介する箇所もあるのだが、今回は簡単に見ただけで進むとことになる。散策でなくてハイキングなので、歩きが主体になることもある。道は次第に坂道になっており高取城址に向かう。途中の砂防公園で小休止してカメラの準備もする。
*下の写真 上2枚はカカシ人形で、右右上は遠くからみると牛がいるのかと思う。
真ん中は、缶ビールの空き缶で作ったお城らしい。
下2枚は砂防公園で、小休止にいい小屋もある。