京のかくれ里と言われる「かやぶきの里・美山町」を訪ねた。
京都市内から約1時間半、三方を山に囲まれて清らかな流れの由良川がうまく調和し、懐かしい農村風景があります。
ここ美山北村は谷間のゆるい傾斜地に密集した山村で、現在、50戸のうち32戸が茅葺の屋根の建物。全国の茅葺屋根の建物では、岐阜県白川村、福島県下郷町に次いで三番目に多い地域だそうだ。伝統的技法や歴史的景観の保存度への評価も高く、平成5年(1993)に国の重要伝統的建造物保存地区に指定された。
中世には丹波国弓削荘に属し、林業を主産業とする山村集落であった。集落の中を通る街道は、いわゆる鯖街道の一つとされ、京都と若狭の中間地であり、多くの旅人が行き来していた。そういった背景から、この集落の建築や生活様式はいろいろな地方の影響を受けたといわれる。北村は近世には篠山藩に属し、近隣の村とともに「知井9か村」と称された。
* 美山町の観光マップ、枠で囲んだ3ケ所が訪問地
集落のはずれには美山町知井地区の総社である知井八幡神社があります。御祭神は「応神天皇」で、創祀時期は延久三年(1071)。知井之庄9ヶ村の総社として由良川の対岸、南村上宮に鎮座されていたが、永禄十年(1567)に山崩れによる洪水で流出してしまい、その後元亀元年(1570)に現在地に遷座された。現在の本殿は明和四年(1767)に再建されたもの。
神社の起源は古く、和銅六年(713)の甲賀三郎兼家による八ツ頭の大鹿退治において、見事大鹿を退治した兼家が当地に建てた社と伝わる。古来、知井宮、大宮八幡宮などと呼ばれており、三間社流造の本殿の彫刻は丹波を代表するものと広く知られています。境内末社には八坂神社と天満宮が祀られている。また本殿・境内ともに京都府文化財に指定。
* 神社の由来は掲示板に詳しい
茅葺き屋根の維持のためには数十年毎に葺き替えをする必要がある。一時、茅葺き職人の後継者がいなくなりそうだったが、近年、住民の中から職人が誕生したそうでよかった。また、付近の由良川沿いには萱の育成もしている。 茅葺き屋根の住居は火に弱い建物である。2000年には「かやぶき交流館」が火事で焼失し、2年後に再建されたが、火災対策は重要事項。住居の母屋毎に「放水銃」が配備されている。普段は小屋の形をした収納箱の中に収納されている。どういう使い方をするのかは判らなかった。
茅葺風景を見るにはいいが、生活する人々には辛いこともあるようで、瓦葺屋根やトタン覆い屋根も見られる。個人の家なので制約はできないことだろう。住む人には快適な空間や設備が必要であろうから、時代とともに変わっていくのはやむを得ぬ流れと思う。今は保存指定されて集落住民の結束はできているのだろうが、少なくとも屋外の景観は残していってほしいものです。