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  6.丹生都比売神社

 最後は、さらに奥の方にところどろこ狭い道を上がっていく。かつらぎ町の丹生都比売神社(にふつひめじんじゃ、にうつひめじんじゃ)は、紀伊国一宮。全国の丹生都比売神を祀る神社の総本社である。奈良県には葛城市があるが、和歌山にもかつらぎがあったのだ。この付近は奈良と和歌山の地が入り組んでいるような。

 標高450メートルの盆地天野に1700年前に創建。丹生都比売大神は天照大御神の妹神で稚日女命(わかひるめのみこと)、神代に紀ノ川流域の三谷に降臨、紀州・大和を巡られ農耕を広め、この天野の地に鎮座された。「丹」は朱砂(辰砂-朱色の硫化水銀)のことであり、その鉱脈のある所のことを「丹生」という。朱砂はそのまま朱色の顔料となり、精製すると水銀がとれる。丹生都比売大神は、朱砂を採掘する一族が祀る神であると考えられている。

 空海が高野山金剛峯寺を開く際に神領の一部を寄進したと伝えられ、高野山の鎮守神とされた。『今昔物語』には、密教の道場とする地を求めていた空海の前に「南山の犬飼」という猟師が現れて高野山へ先導したとの記述があり、南山の犬飼は狩場明神と呼ばれ、後にこの祭神である高野御子大神と同一視されるようになった。

 鎌倉時代以降は、高野山上の僧が厳冬期の避寒のためのここに帯在したり、高野山で火災があったときに仮執務が行われたりなど、高野山との関係が深かった。修験道の修行の拠点ともなっていた。現在の社殿は、室町時代に火事で焼失した後に再建されたもの。近世になって社領が没収され、完全に高野山に依存するようになったが、明治の神仏分離で高野山から独立した。しかし、今日でも多くの僧侶が参拝しており、神前での読経も行われている。

 このころ少し雨が降っていて早めにバスに戻る。そして帰途につくが、その前に24号線沿いにある道の駅「紀の川万葉の里」で休憩タイムがある。そして一路大阪へ戻る。渋滞もなくてスムースに予定よりも1時間早く帰れた。

 

  5.慈尊院

 次は、高野山方面へ向かうが、いったん京奈和道に乗る、ここはまだ途中開通区間で無料公開部分なのだ。そして高野山口からでて、紀ノ川沿いにある慈尊院にくる。階段を上ると丹生官省符神社もあるので、2ケ所同時なのだ。

  慈尊院は、和歌山県伊都郡九度山町慈尊院にある高野山真言宗の寺院。山号は万年山。本尊の木造弥勒仏坐像は国宝で、他に本堂弥勒堂、絹本著色弥勒菩薩像などの重要文化財を所蔵し、境内は国の史跡「高野山町石」の一部である。2004年7月に、本堂弥勒堂がユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。

  弘仁7年(816)、空海(弘法大師)が嵯峨天皇から高野山の地を賜った際に、高野山参詣の要所に当たるこの九度山の雨引山麓に、高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所(寺務所)を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とした。

 そして高齢となった空海の母・阿刀氏(伝承では玉依御前)は、讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)から息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、麓にあるこの政所に滞在し、本尊の弥勒菩薩を篤く信仰していた。

  空海はひと月に9度(それだけ頻繁にということの例えだと言われている)は必ず20数kmに及ぶ山道(高野山町石道)を下って政所の母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名が付けられた。空海は母の死去時に弥勒菩薩の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒菩薩像と母公の霊を祀ったという。

 弥勒菩薩の別名を「慈尊」と呼ぶことから、この政所が慈尊院と呼ばれるようになった。空海の母がこの弥勒菩薩を熱心に信仰していたため、入滅(死去)して本尊に化身したという信仰が盛んになり、慈尊院は女人結縁の寺として知られるようになり、女人の高野山参りはここということで「女人高野」とも呼ばれている。

 慈尊院の境内から急な石段を上る、その途中すぐに高野山町石道を見つけた(前日に写真アップ)。更に、上に上りきると丹生官省符神社がある。変わった名前で覚えられない。

 丹生官省符神社は本殿は国の重要文化財、境内は国の史跡「高野山町石」の一部で、2004年7月、本殿がユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録された。社伝では弘仁7年(816)に空海によって創建されたという。高野山の領する官省符荘の鎮守とされ、応永3年(1396)の文書に「官省符鎮守・神通寺七社」と記録がある。

 数多くの御社殿等が立ち並び荘厳を極めていたが明治維新後、神仏判然令(神仏分離令)等により多くの建物は取り除かれ、天文十年(1541)に再建された本殿の内、三棟(国指定重要文化財)が往年の姿をとどめている。空海によって創建鎮座爾来、慈尊院丹生高野明神社、丹生七社大明神、丹生神社、丹生官省符神社と変遷し官省符荘(荘園)の総社である。

 主祭神は、丹生都比売大神(丹生明神 天照大御大神の妹)、高野御子大神(高野明神 真言密教の守護神丹生都比売大神の子)、大食都比売大神(気比明神 五穀酒造の神)、市杵島比売大神(嚴島明神 福徳寿の神)、太神宮(天照大御神 日の神)、八幡宮(誉田別大神 武勇の神)、春日明神(天児屋根大神 神事祭祀の神)を祀り、神宮寺の神通寺をあわせ神通寺七社明神とも呼んだ。

  九度山というと真田幸村が関ケ原の戦い後に高野山に蟄居させられ、14年後の大阪冬の陣まで隠棲していた地で、その目で見ると歴史の残る場所もあるようだが、今回は目的が異なるので訪れていない。


  
紀ノ川沿い古寺社拝観ツアー                (下)