4.隅田八幡神社
奈良県から和歌山県橋本市にある隅田八幡神社にくる。京都府石清水八幡宮から勧請された神社である。主祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)。ここに伝わる人物画象鏡は、日本最古の金石文のひとつとして国宝に指定されている。
神功皇后が外征後、筑紫路を発し、紀伊衣奈浦を経て大和の都に御還幸の途次、輩をこの地に駐め滞留されし旧跡にして、欽明天皇の詔により(859)八幡宮が歓請された。永禄3年(1560)、松永久秀によって社殿堂塔が一時焼亡したが、慶長年間に再建されている。江戸時代には隅田荘十六ヶ村の産土神として繁栄した。社殿は、文政2年焼失するが同5年には再建される。明治時代の神仏分離で、当神社の神宮寺の大高能寺が分離される。
人物画象鏡は、6世紀頃製作の銅鏡。青銅製で径19.9cm、鏡背の48字の金石文は、日本古代史、考古学、日本語史上の貴重な資料で国宝に指定されている。古い時代に出土したものであることは確かだが、正確な出土年代や出土地は定かでなく、鏡背は円形の鈕を中心に、内区には古代中国の伝説上の人物である東王父・西王母(とうおうふ・せいおうぼ)など9名の人物を表し、その周囲には半円形と方形からなる文様帯、その外側には鋸歯文(きょしもん)を表し、周縁部には漢字48字からなる銘を左回りに鋳出する。
説明していただいた禰宜さんのお話では、漢字が伝わっていない頃に職人が中国からきた鏡を写して作ったようで、文字が図案的になっていたり、左右逆になっている箇所も多く、不明点も多いのでこの鏡の研究論文はいくらでもできるとのこと。現在、本物は東京の博物館へいっていて、社務所には模造品が飾ってあった。下記の人物画象鏡の写真は庭に有志の寄付で建立された銅像だ。
3.金剛寺
栄山寺から少し走り次は金剛寺にくる。金剛寺というお寺は各地にあり、奈良では吉野の金剛峯寺が有名だが、五條市にも金剛寺があり、ここで住職さんのお話と庫裏をお借りして昼食をする。庫裏は元禄4年という今から310年前の建物で、茅葺の屋根。大正時代まで唐招提寺長老の隠居の間であり、
弟子育成の場だったとのお話し。
金剛寺は800年前に、平安朝の小松内大臣、平重盛の創建と伝えられている。江戸時代初期から野原城主の畠山義春の菩提寺として復興。奈良朝の末期に 藤原一族から敵視され、宇智の大野に流されてきた光仁天皇の皇后、井上内親王(いがみないしんのう)と その子の他戸親王(おさべしんのう)の怨霊を祀る宮寺として、また元京都御室仁和寺、直末の中本寺でもあり、 現在は高野山派の真言宗の寺。
本尊は薬師如来で、800年前の藤原時代の作といわれ、白檀の香木による一木造り。両脇には、日光、月光菩薩、そして、十二神将が祀られている。
関西花の寺二十三番霊場であり、牡丹の寺として年4月下旬から5月上旬にかけて「ぼたん祭り」がある。境内の吉野川を借景とする 約2,000平方メートルのぼたん園では100種類1,500株の牡丹があり、 椿、木蓮、平戸、みやこわすれ、石楠花、えびねらん、黄れんげ、樺れんげ、はなみずき、 豪華なドイツあやめ等もある。牡丹の起源については文政5年(1822)当時の本常和尚が 薬種として植えたと伝えられる。