6.堅下ぶどう


 ここ付近は旧堅下村のぶどう産地でぶどうの木が住宅の合間にある。元はブドウ園ばかりだったが、住宅地になったのかも判らないが、「堅下ぶどう」は、明治11年(1878)に、堅下村平野の中野喜平氏が甲州ぶどうの苗木の育成に成功。当初、ぶどうは宅地内で、日陰樹を兼ねて栽培されていたが、綿の生産衰退に替わって田畑で栽培されるようになった。この地は元は綿の栽培地でもあったのだ。

 明治末から昭和初期にかけて、ぶどうの栽培は定着し新品種の栽培など拡大を続けた。昭和10年(1935)の、大阪府におけるぶどうの栽培面積は866haで全国最大で、その30%近くを堅下村が占めてた。しかし、昭和25年(1950)のジェーン台風、昭和36年(1961)の第二室戸台風により大きな被害を受けたことや、高度経済成長による宅地開発の急増により、平地部のぶどう園は次々と宅地化され、栽培面積は減少。

 現在の柏原市のぶどう栽培面積は約150haで、昭和10年(1935)年の約70%減少。しかし収穫量は、2,000t前後で、効率的な栽培により、単位面積当たりの収穫量が増加している。という。観光農園もありぶどう狩りの看板が見られる。またワインの産地としても知られており西日本最古といわれるカタシモワインフードがある。 
 (下)


 ここから近鉄大阪線の安堂駅へ歩いていき解散となる。一日10KM弱の散策であった。
天候に恵まれ、ほどよい汗を掻きお寺の階段を上下しいい運動にもなったのだ。 
  
  
  





     7.石神社・知識寺跡 (柏原市大平寺)


  最後は、石神社(いわじんじゃ)、知識寺跡を見る。石神社は、生駒山地南端に近い小高い丘陵の山腹に位置し、 麓の境内に社務所が、高い石段を登ったところに社殿がある。祭神の石姫皇女は、宣化天皇の皇女、欽明天皇の皇后である 。他に石長姫命、熊野権現。境内にある大きなクスノキは、周囲約6メートル・高さ約16メートル以上の大木で、樹齢700~800年と推定されており、大阪府指定天然記念物となっている。

  ここには「智識寺」と呼ばれる古代寺院があった。 聖武天皇、孝謙天皇が難波宮と平城宮を往来する際にここを訪れ、礼拝例仏されたという。 智識寺には大きい廬舎那仏があり、これを見た聖武天皇が東大寺大仏造営を発願されたといわれている。 その後寺は室町時代ごろに廃れたとされる。

 境内社務所横には、智識寺の東塔の礎石があり、大阪府の文化財に指定されている。 礎石の柱穴の直径が122センチあり、現在は柵で囲われているので見にくい。神社の前を通り、北へ抜ける道筋は東高野街道ができる前から存在し、生駒山地の山麓を南北に通っていた古道の一部で、在原業平が大和国と河内国一宮(枚岡神社)の間を通ったとされる、いわゆる「業平道」といわれている。という。   

 知識寺跡は何もなく、住宅街の道路脇に石碑があり、一筋違いの道路脇には説明看板があった。この近辺一帯が広大な境内であったのだろう。     

    


  

     5.鐸比古鐸比賣神社 (柏原市大県)


 距離的には一番歩いたことになるが、やがて次の神社にくる。ここもやはり坂を少し上る。漢字は読めないが鐸比古鐸比賣神社(ぬでひこ ぬでひめじんじゃ)という。河内国大県郡(柏原市平野、大県地区)の氏神であり、背後にそびえる高尾山(標高:278m)を神体山・磐座としている。

  神社縁起によると創建は成務天皇二十一年(151)とされるが、実際の年代は不明。 祭神は「鐸比古命」「鐸比売命」。 鐸比古命は垂仁天皇の子であり、「沼滞別命」「鐸石別命」と同人とされる。 和気清麻呂の遠祖であり、鐸比古命を祭神とするのは日本全国でもここと岡山県の和気神社のみとされる。随分古い由緒ある神社のようだ。

 『河内名所図会』には、「鐸比古神社 (高尾神社・大県神社・高尾明神) 延喜式内、高尾山の嶺にあり、今比賣春日御前という。傍に清泉あり」と記されている。 もともとは鐸比古神社と鐸比賣神社は別々の神社であり、鐸比古神社は高尾山の山頂に祀られていたが、中世には現在の地に移されたとみられる。現在の社殿は江戸時代・元禄年間の再建。という。

 
八尾・柏原の神社を訪ねて