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 この後、恩智遺跡を経由して恩智城址で昼食になるのだ。 
  
  



     2.恩智神社 (八尾市恩智中町)

 岩戸神社から梅岩寺(ばいがんじ)に行くのが今回の予定コースだが、下見をされた先輩が、道が崩れていて通行禁止になっているということでパスする。そして恩智神社を次に目指して歩く、生活道路でもあり車の通行も多くて気を付けながらの散策である。

  この季節、j神社は753参りが多くて、着飾った一族の面々が753の子供を連れてお参りにきている。そういえばそんな時代も我が家にもあったと感慨もでる。(注:この日は11月10日です)祈念写真を撮って双方の御祖母さん、お祖父さんが一番うれしそうな場面だ。遠い記憶になる。

 恩智神社の主祭神は、大御食津彦命(おおみけつひこ)、大御食津姫命である。大御食津彦命は天児屋根命の五世代の孫、大御食津姫命は伊勢神宮外宮に祀られる豊受姫大神の別名であるとされる。よく判らない名前だ。  雄略天皇の時代(470年頃)、藤原氏により祖神の天児屋根命を香取神宮から勧請して創建された。859年(貞観元年)正月に従二位、更に正一位に叙せられ、恩智大明神の称号を賜った。

    


    1.岩戸神社 (八尾市教興寺)


 天候はよくないが雨の心配はないので、まずは散策にはいい時候とも言える。まずは岩戸神社を目指す、周辺は住宅街で大阪のベッドタウンでもある。東高野街道からは離れているので横道になるのだ。岩戸神社の、祭神は『市杵島姫命』。俗に『岩屋弁財天』『岩谷弁財天』と呼ばれている。 御神体は一帯の岩山全体であるが、以前は木彫の弁財天像が御神体であった。 江戸時代には、商売繁盛の神様として大坂の人々の信仰を集める。 明治時代に神仏分離により、弁財天像は現在は近くの教興寺に鎮座されている。 それまでは天照大神高座神社と岩戸神社は明確な区別がなかったが、大正時代に市杵島姫命を祀る神社として分かれ、大正9年には天照大神高座神社の境内末社となる。

 岩戸神社というと高千穂の方が有名だが、八尾にもこんな場所があることに驚く、しかも、天照大神高座神社もすぐ横にあって、どっちがどっちというくらい近接している。天照大神高座神社の祭神は名前から判るが『天照大神』、『高皇産霊大神』。別に伊勢津彦命、伊勢津姫命を祭神とする。創祀年代は不明とされているが、雄略天皇23年(479)に伊勢国宇治山田から当地に遷座したという説がある。山の谷間の岩盤の上に本殿が鎮座している様相から見ても、原始信仰を起源とするもっと古い時代にさかのぼるとも考えられている。まさに古代の神を祀る神社という雰囲気である。
  

 東高野j街道は、京都から高野山への参詣道として用いられた街道。数ある高野街道のうち、いちばん東側に位置する道筋。八幡(京都府八幡市)で京街道 (大坂街道) と別れ、河内国の東部を通り、長野(大阪府河内長野市)で西高野街道と合流し、 以南は高野街道として紀見峠、橋本、高野山へ至る。とある。

 今回は、東高野街道に沿ってということで、必ずしも街道を歩くのでなく、近辺の神社仏閣、旧跡を巡る散策であった。出発は近鉄信貴線の信貴山口駅になる。本来はここからケーブルカーで信貴山に上るのだ。車で信貴山に行ったことはあるが、このケーブル駅は初めてだ。

         
      * 八尾市で訪れた神社や旧跡 (赤円印)
八尾・柏原の神社を訪ねて