「個体」をめぐる論争

 2つの体がつながった一卵性双生児(「シャム双生児」と呼ぶ)が少なからず存在している。この双生児は「1人」なのかそれとも「2人」なのか、このことについては昔から激しい論争が繰り広げられてきた。すなわち、「一卵性双生児」は1つの受精卵が受精後にその分裂の過程で2つの「塊」に分離した結果生じたものなので、たとえその身体がつながっていなくても「1つ」の「個体」であるという説があり、一方では「一卵性双生児」はたとえその身体がつながっていてもそれぞれ独立した2つの脳を持っているので「2つ」の「個体」だという説もあり、長い間これらの2つの学説の間で激しい論争が展開されてきたのである。

 もっとも、現在では「一卵性双生児」はその身体がつながっていない場合はもちろん、たとえその身体がつながっていても「2つ」の個体であるとみなす考えが正しいとされているのである。なぜなら、現在の生命科学の考え方では「個体」とは「生物の行動の最小単位」(「個体」の語源自体が「分化したもの」であり、実はこの語源は「分子」の語源ととまったく同じなのである)と定義されており、しかも生物の行動の源は「脳」にあると考えられているからである。

 ただし、「『一卵性双生児』は1つの個体である」という考え方もそれなりの説得力を持っているのである。なぜなら、精子と卵子が「受精」した時点でその個体のすべての遺伝情報が決定し、しかも受精卵が分裂してその結果「一卵性双生児」が生じるのは言うまでもなく受精後のことだからである。

 しかも、実は「個体」=「生命の基本単位」という一見あたりまえにみえる考え方は植物にはまったく通用しないのである。この理由は、「植物」は「動物」と違って「分化」が不完全だからである。したがって、「植物」には「自己」と「非自己」との区別も存在せず、したがって「植物」に対しては「個体」という概念を考えることが不可能だからである(なお、「個体」という概念を考えるうえで大変参考になる「分子運動論」については7章で述べる)。

「細胞」こそが生命の基本単位である

 このように「一卵性双生児」は「『個体』とは何か」という動物学の常識を疑うような疑問を投げかけただけではなく、それと密接に関係している「『生命』の始まりはいつか」というもう一つの疑問をも投げかけているのである。つまり、「受精」したときが本当にその個体にとっての「生命」の始まりなのか、という問いである。

 この問いは、実はこの問いと対をなしている「『生命』の終わりはいつか」という問いとも密接に関連しあっているのである。つまり、動物が死ぬときにはその動物の「脳」は死んでも「内臓」はまだ生きている、というケースが少なからず存在するのである。このケースはヒトの場合では「脳死」と呼ばれており、この「脳死」をヒトの「死」と認めるかどうかが大問題になっているのである。

 このように、現在の生命科学では「生」と「死」の境目について答えることもできないのである。この理由は機械には「生」と「死」の境目が存在しないからである。すなわち、「機械」は壊れることはあっても死ぬことはない(もともと「機械」は生きていないから当然といえば当然だが)からである。そして、「生物」もある意味(おもに物理的な面)では「機械」の一種なのである。したがって、現在の生命科学では「病気」と「死」の違いすらわかっていないのである。

 ただし、「生命」の始まりについて確実にわかっていることが一つだけある。それは、「受精」はその細胞にとっての「生命」の始まりだということである。この事実は、「すべての個体はたった1個の細胞から始まった」という生命科学のセオリーとも符合しており、このセオリーは正しいことがほぼ明らかになっているのである。しかも、この「細胞」はこれ以上分割することが不可能なことはだいぶ昔からわかっており、したがって、「細胞」こそが生命の基本単位なのであり、この「細胞」という生物の構成単位は「個体」という単位なんかよりもはるかに重要なのである。

 しかし、「細胞」の始まりイコール「個体」の始まりではないのもまたまぎれもない事実なのである。なぜなら、「脳」、「神経」、「消化器」、「呼吸器」などの「器官」が全部そろってはじめてその個体は「生きる」ことが可能になるからである。

 なお、3章以降で詳しく述べる「魂」は「生命」の中でも特に「精神」と密接な関係にあり、この「精神」は「知能」の一部であると考えられているのである。しかも、この「知能」を担っている器官が言うまでもなく「脳」なのである。しかし、「脳」は「植物」には存在しないことからもわかるとおり、ごく限られた生物にしか存在しないのである。そしてこの事実が、7章で詳しく述べるとおり「魂」を「『生命』を担う素粒子」と考えるうえでの最大の障害となっているのである。

 このように、「魂」などの「粒子的」なものを考えるときに克服しなければならない問題点がたくさん存在するのである。これは、生命現象には連続的なところがあることである。これを具体的に言うと、「魂」は「個体」と1対1の対応をなしていると長い間考えられてきているが、現在の生命科学のレベルでは「個体」(生物の行動の最小単位であると定義されている)とは何か、その問いにも答えることができないのである。なぜなら、現在の生命科学では「動物」においては「個体」というものが定義できるが、「植物」では未だに「個体」が定義できないのである。なぜなら、現在のところ「行動」というものは「脳」をもつ生物だけにしか定義できず、「動物」には脳が存在するが「植物」には脳が存在しないからである。

 このように、「連続性」は生命科学に「魂」という概念を導入するうえで最大の「障害」となっているのである(このことは7章で詳しく述べる)。実際、1章でも述べたとおりこの「連続性」は物事の「分類」など「科学」以外のところでも大きな障害になっているのである。

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