「多数決」の宿命…死票
「採決」や「選挙」など、一般に「投票」によって物事を決めようとするときには必ず問題になることが生じる。これが「否決者」に投票された「票」、すなわち「死票」なのである。
ところで、「採決」などでは普通は得票数が最大の「候補」が「可決」となる。したがって、候補が2つのケ−スでも、全得票数の半分以上を取れば「可決」となるので、他の候補は半分近い得票率をあげても「否決」となるケ−スが生じることが少なからず存在する。この場合、半分近くの投票者の意見が反映されずに切り捨てられることになるのである。
これが、選挙などで大問題になっている「死票」である。しかし、よく考えてみれば「多数決」自体が「切り上げ」、「切り捨て」、「四捨五入」などと同じく「量子化」の一種であるのだから「投票」で物事を決めるときには全会一致でなければ必ずこの「死票」というものが発生し、この「死票」は「選挙」や「採決」などの「多数決」では絶対に避けることのできない「宿命」なのである。
なお、「多数決」とは「得票率」を四捨五入して「1」(「可決」の場合)または「0」(「否決」の場合)にする方法とも考えられるので実は「死票」は「量子化誤差」の一種なのである。このように「死票」は得票率に関する一種の「誤差」なので当然のことながら「死票」をできるかぎり少なくするように選挙制度などを改めてゆかなければならないのである。しかし、現実の政治家が導入したがっている選挙制度はなんとわれわれ「民衆」の希望に反し、すべての選挙制度の中で最も「死票」が多く生じる選挙制度である「小選挙区制」(したがって、この「小選挙区制」は全選挙制度中最も民意が反映されにくい最悪の選挙制度である)なのである。
この理由はもちろん政治家の「エゴ」が最大の理由なのであるが、さらにその中身を言うと政治家自身が「選挙」という一種の「戦い」に勝ち進んできた「エリート」なので調子がよいときに大勝ちできる「小選挙区制」を導入したがっているのである。
このように(6章で述べることだが)生物界でも社会でも「権力」を持つ者はその権力をさらに拡大させる傾向が存在しているのである。また、(5章で述べることだが)ヒトをふくめた生物は「己」とせいぜい「己」の親、子、兄弟の利益になる行動しか行わないのである。したがって、自然淘汰の力をもってしても「生物界」や「社会」など大きな集団にとっての利益になる行動を進化させることはきわめて難しい(ただし、このような行動を進化させることはまったく不可能ではない)のである。
「死票」を少なくする方法
では、「小選挙区制」という選挙制度では「死票」が多く生じるのはなぜなのか。この理由は「小選挙区制」では一人の候補者が割り当てられたすべての議席を独占(1つしか「議席」がないからあたりまえではあるが)するからである。このことを数学的に表現すると、「選挙」などでは得票率の多い順に定数(候補者に割り当てられた議席の総数)分だけ可決者を決定していくが、「小選挙区制」ではこの「定数」が1つしかないため得票率が最大の候補者の議席獲得率が100%、それ以外の候補者の議席獲得率は0%となるからである。
一方、「小選挙区制」に対して「大選挙区制」(「定数」が複数である選挙制度)という選挙制度が存在し、あたりまえのことであるがこの「大選挙区制」は「小選挙区制」よりもはるかに選挙で生じる「死票」の数が少ないのである。なぜなら、「大選挙区制」では「可決」、「否決」となった候補者の議席獲得率はそれぞれ(100/定数)%、0%となり、全候補者の得票率と議席獲得率が「小選挙区制」のケースと較べてはるかに近い値になるからである。
この事実は、「『標本化』や『量子化』において分割するステップの数を多くするとディジタルシステムの宿命である「量子化誤差」を小さくできる」というディジタル技術におけるセオリーとピタリと一致している。すなわち、定数の多い選挙制度ほど「可決」、「否決」それそれのケースにおける議席獲得率の差が小さくなるので、その結果として得票率と議席獲得率のズレが小さくなるからである。
さらに、選挙における「得票率」と「議席獲得率」の差をほとんどゼロにする究極の方法として「比例代表制」という選挙制度が考えられている。この「比例代表制」とは、投票者が「政党」などの「団体名」で投票し、それによって票を得た団体はその得票率に比例した数の議席をもらうという選挙制度である。
この「比例代表制」では「得票率」と「議席獲得率」の差をきわめて小さい値にすることは可能だが、決してゼロにすることはできないのである。なぜなら、総議席数が有限であるかぎり、もちろん議席数は整数の値しか取れないので「議席獲得率」(獲得議席数/総議席数)はとびとびの値をとることしか許されないからである。したがって、「比例代表制」では一応死票が生じないことになっているが、それでもその政党の得票率を獲得議席数に変換する過程において損する政党や得する政党が生じ、このことが他の選挙制度における「死票」に相当するものとなっているのである。
誤差が大きくなりやすい「間接方式」
以上にあげた選挙制度は、すべて投票者が候補者を直接選ぶ「直接選挙」という選挙制度である。それに対し、投票者がその候補者に投票しようとしている投票者を選ぶ「間接選挙」という選挙制度も存在しているのである。
この「間接選挙」では、当然のことながら「直接選挙」よりも多くの死票が生じるのである。なぜなら、「間接選挙」ではまず投票者がある候補者に投票予定の投票者を選び、まずこの段階で死票が生じる。さらにこの投票者が候補者に投票する段階でも新たに死票が生じ、その結果「間接選挙」では投票する「段階」の数だけ死票が生じることになる。
このように、一般に「間接方式」ではその「段階」の数だけ「誤差」が生じるのである。たとえば、当然のことではあるが音楽、映像などのソフトウェアを他の記録媒体にコピ−すると元のものよりもその音質や画質が悪くなるが、そのコピ−した記録媒体をさらに他の記録媒体にコピ−するとその記録媒体はそれよりもっと音質や画質が悪くなるのである。
しかし、実はこの大変「誤差」が生じやすい「間接方式」はスポーツにおいてはきわめてよく用いられているのである。つまり、ほとんどのスポーツでは総得点を競うことによって勝敗を争うが、リーグ戦などではさらにこの「勝敗」の総数によってそのシーズンの順位や優勝チームを決める方式になっているのである。
ここで問題となるのが、ほとんどの団体スポーツでは何点差で勝っても(負けても)同じ「1勝」(「1敗」)として勝数(敗数)が計算されることである。その結果、勝つときには1点差で勝つことが多く、逆に負けるときには大差で負けることが多いチームはシーズン全体の総得点が総失点よりも少ないにもかかわらず優勝してしまうことが考えられるのである。
こうしたことは、単に理論上の話だけではなく、実際のスポーツにおいても少なからず起こっていることなのである。そして、もちろんこの事実はスポーツ界でも大問題になっているのである。
このことを数学的に説明すると、シーズン中の各試合では「得失点差」という変数をを量子化して「勝敗」という変数(なお、この「勝敗」は「勝ち」、「負け」2つの値しか存在しないから論理変数である)に変換し、さらにシーズン全体の成績を決めるときにはそのチームの「勝数」を他のチームの勝数と比較し、それによって他チームとの勝数の差という変数をつくり、それを量子化して「順位」という最終的な変数に変換し、この「順位」という変数が各チームのそのシーズンにおける成績となるのである。
しかし、この方法だと「得失点差」を「勝敗」、「勝数」を「順位」にそれぞれ変換する作業において合計2回「量子化誤差」が生じている。その結果チームの実力と成績が大きく食い違うという事態がたびたび生じているのである。
このように、スポーツにおいても選挙においても「誤差」はできるかぎり小さくしなければならないのである。しかし、現実の社会ではこのごくあたりまえのことに反対している者が少なからず存在しているのである。このことが、(20世紀前半までたびたび戦争を引き起こしていたことと相まって)われわれ人類に「英知」がないことを物語っているのである。