量子が目に「見える」現象…量子効果
ご存知のとおり、プランク定数はわれわれ生物の身体のスケールと較べてあまりにも小さいので、われわれは長い間量子物理学的な効果を感知できなかった。したがって、このことはあたりまえのことではあるが、「プランク定数」自体も長い間発見されなかったし、この「プランク定数」を定義する学問である「量子物理学」も20世紀になってやっと誕生した学問なのである。
しかし、われわれは太古から「離散的」なシステムを用い続けてきたのである。このようなシステムについては本章の終わりで詳しく述べるが、これらの例が「言語」、「法律」、「通貨」などのディジタルシステムであり、またわれわれが生きるために不可欠なしくみである「遺伝」、「脳」、「神経」、「ホルモン」などもそれらの例である。
さらに言うと、われわれはものを「数える」ことを思いついた時点ですでに「離散的」なシステムを無意識のうちに発明していたのである。これを具体的に言うと、ものを「数える」ことの目的は物品を交換するときに互いに損得がないようにするためである。さらには、ものを多くの人で分けるときにはどうしても均等に分けることが不可能なことに気がついた。この理由は、言うまでもなく「整数」を同じく「整数」で割ると「割り切れない」(「商が分数になる」という表現がより正確であるが、昔は「数」といえば整数しか考えなかったのでこの考え方だと「割り切れない」という表現になる)場合が生じるからである。
このように、数えれるものを均等に分けようとするときにどうしても均等に分けれないという現象を一般に「量子効果」と呼ぶのである。また、この現象の発見後、刀などでさらに分割できるものについてはできる限り分けるときには分割することに努め、これが後に「分数」という数を考え出すきっかけとなったのである。
ものを「数える」ためのシステムの集大成…貨幣
物品を交換するための方法としては始めのうちは物品同志を直接交換する「物々交換」という方法が行われていた。しかし、やがてある価値を持つ「貨幣」というものが発明され、物品同志の交換はこの「貨幣」を仲立ちにして行われるようになった。それだけではなく、後に政府などがこの「貨幣」の価値を金や銀などの貴金属の量で定義するようになり、これがいわゆる「通貨」制度の起源となったのである。また、「貨幣」自体も最近までは金や銀などの貴金属で作られ、すなわち「貨幣」の材料自体がある一定の価値をもつ商品だったのである。
このように、「貨幣」の発明によって「もの」同志の交換が大変しやすくなっただけではなく、「貨幣」自体がその量によって「もの」の価値を表す一種の「ものさし」の役目まで果たすようになったのである。つまり、「貨幣」というシステムは「もの」を数えるためのあらゆる手段を総動員してつくられたシステムだったのである。
このように「貨幣」の発明はわれわれの生活をきわめて便利にしたが、一方では一見万能に見える「貨幣」にも意外な欠点が存在しているのである。この「欠点」とは、「貨幣」の量はその貨幣の最小単位(日本円なら1円、アメリカドルなら0.01ドル)の整数倍の値しかとることが許されないという欠点である。
その例として、「利子」や「税金」を払ったりもらったりするときに、利率や税率から計算した利子や税金と実際に払ったりもらったりする利子や税金が異なることが少なからずある。この理由は、あたりまえではあるが利子や税金はその貨幣の最小単位の倍数しかとれないので、元金と利率や税率から利子や税金を計算するときに端数が生じるためにどうしてもその「端数」を「切り上げ」、「切り捨て」、「四捨5入」などで丸めなければならず、そのためにもとの金額と異なる金額をもらったり払わされたりするわけである。
この事実は、先述の「量子効果」に基づいて起こる一種の「誤差」と考えられるので、「切り上げ」、「切り捨て」、「四捨五入」などの方法でで丸めて整数にするときに生じる「誤差」を一般に「量子化誤差」と呼ぶのである。
そして、この「量子化誤差」はシステムが「離散的」なしくみである限り絶対に避けることができない言わば「宿命」ではあるが、そのシステムを工夫して設計すればいくらでも「量子化誤差」は小さくできるのである。このことをもっと具体的に言うと、「標本化」や「量子化」のときに区切るステップを細かくしさえすれば、すなわち「量子」の大きさを小さくすれば、いくらでも「量子化誤差」の小さい優れたシステムが作れるのである。
たとえば、「貨幣制度」であればその「貨幣」の最小単位を小さくすれば細かい金額まで表示できるようになり、その結果「利子」や「税金」を払ったりもらったりするときに生じる金額間の「誤差」も小さくなり、「利子」や「税金」を払うときなどに起きるトラブルも解消するのである。もっとも、銀行などの金融機関では預金に利子をつけるときには「付利単位」によって預金額を切り捨ててその金額に利率を掛けて利子を計算(もちろん端数は切り捨てる)しているそうである。しかもこの「付利単位」は通常はその通貨圏における「貨幣」の最小単位よりもはるかに大きく(日本では100円ないし1000円)、この結果として銀行は預金者に対して公表している金利よりも少ない金利しか払っていないことになるのである。
なお、次に述べることだが「死票」(否決者に投票された票のこと)も一種の「量子化誤差」なのである。すなわち、「死票」が生じるということはその「死票」の分だけ民意が反映されていないということを意味するからである。しかも、(政治家のエゴもあって)現実の政治ではこの「死票」を少なくしようとする動きがまるで見られないのである。