「原子」が存在できるのも量子効果のおかげ

 マクスウェルの電磁気学によれば、加速度運動している「電荷」をもった粒子は「電界」と「磁界」を生み出し、「電磁波」を発生させる。この「電磁波」は「電荷」をもった粒子から運動エネルギーを奪い、その粒子を静止させようとする。したがって、「原子核」のまわりを回っている「電子」は「原子核」の引力に引かれて絶えず加速度運動しているので原子核のまわりの空間から「電磁波」が発生し、その結果「電子」は「原子核」に吸収されてしまうはずである。そうなれば裸の原子核だけが存在し、もちろん「原子」なんか存在しなくなる。

 しかし、実際には(あたりまえのことであるが)「電子」は永久に「原子核」のまわりを回り続けている。この事実は、「古典物理学」では絶対に説明することが不可能であり、このことは長い間物理学界最大の「謎」となっていた。

 しかし、「量子物理学」の誕生により、ようやく「電子」が「原子核」に落ち込まずに永久に公転できる理由が説明できるようになった。この理由を説明すると、「量子物理学」によれば運動している「粒子」は同時に「波動」をも伴っているのでその軌道を公転する「粒子」が存在できるための条件としてその「粒子」を「波動」とみなしたとき、その「粒子」が公転する軌道上に定常波ができなければならない。したがって、「電子」などのミクロの「粒子」はとびとびの軌道を公転することしか許されないのである。

 しかも、このとびとびの軌道の中には最もエネルギーの低い軌道が存在し、絶対に通常の方法ではこの「軌道」を回る電子をこれ以上原子核に近づけることは不可能なのである。しかも、「原子」レベルの世界には摩擦や抵抗など存在しないのである。なぜなら、「摩擦」とは運動エネルギーが熱エネルギーに変換される過程に他ならず、この「熱エネルギー」自体が「原子」から構成されるる「分子」の「運動エネルギー」の総和であるからだ。さらには、「原子」の世界でももちろん「エネルギー保存則」は成立する。以上のことから、「原子核」のまわりを回る「電子」の運動エネルギーはまったく失われずに「電子」は永久に「原子核」のまわりを回りつづけることができるわけである。

 また、原子番号が8または18ごとに性質のよく似た元素が現われることも量子物理学ではじめて説明できる。つまり、「量子数」(量子数が小さいほどその軌道が内側にあり、したがってエネルギーが低い)によって指定される各軌道に収容できる電子の数には制限があって、その数は8または18であることが多い。なお、その数を超えるとその次に量子数の大きい(したがって、その次にエネルギーの低い)軌道に電子が収容されるので、電子数(原子番号と一致)が8または18ごとに最も外側の軌道にある電子の数が等しくなり、したがってその元素の性質が似てくるのである。

 ところで、すべての分子、原子、原子核、素粒子などは同じ種類の粒子であればその大きさ(「質量」、「半径」、「体積」、「電荷」など)はすべての粒子において完全に(寸分の違いもなく)等しいのである。この理由は「超電導」において物質の電気抵抗が完全にゼロになることとまったく同じである。この事実は、マクロの世界に住んでいるわれわれには非常に理解し難いことであるが、プランク定数などの物理定数がどんな場合でも不変である(だから物理「定数」という)ことを知っていれば簡単に理解できるのである。

 つまり、われわれ生物の体格が個体ごとに異なり、またわれわれが機械や道具などを作るときにまったく同じ寸法のものを作ることができないのは、「生物」や「機械」が非常に多数の原子からできているためにまったく同じ原子数のものを作ることが事実上不可能である、ただそれだけの話なのである。

 解説…厳密に言うと、「量子数」には「主」、「副」、「磁気」、「スピン」合計4種類ある。そのうち電子軌道のエネルギーと関係あるのは「主量子数」と「副量子数」で、中でも「主量子数」による寄与がずばぬけて大きい。

原子も証明している「ディジタル」な量子物理学

 ところで、一見すると原子における「電子」と「原子核」の関係はちょうど太陽系における「太陽」と「惑星」の関係と同じであることがわかる。

量子物理学は実に「人間的」である

 このように、「量子物理学」はわれわれが住んでいる物質界の性質をきわめて「マイルド」なものにしている。それ以前に原子が高密度の状態に圧縮されずに安定して存在していること自体が「量子物理学」の理論が正しいことを裏付けているのである。また、この世界に多様な化学物質が存在することも「量子物理学」によってはじめて説明できるのである。

 特に「生命」と密接な関係にある有機化合物は「共有結合」によって構成されているが、この「共有結合」のメカニズムは「量子物理学」の理論がなければ決して説明できないのである。また、「コンピュータ」をはじめとする情報機器には「半導体」でできた電子部品がふんだんに使われているが、この「半導体」の性質もやはり「量子物理学」によってはじめて説明できるのである。

 このように、「量子物理学」によってはじめて「生命」、「情報」、「知能」およびそれらの集大成である「文明」の存在が証明できるのである。

 この理由は、「古典物理学」では各原子は電子を奪いあわずに各原子を「共有」してその結果原子同志が堅く結ばれることを決して説明できないが、「量子物理学」を使うとはじめてこのことが説明できるからである。さらには、「情報」を記録したり処理したりするには「半導体」や「有機化合物」のように原子同志が複雑なネットワークを形成することが必要不可欠だが、このような原子同志の複雑なネットワークは電子を奪いあう結合様式(イオン結合)からは絶対に形成されないからである。

 そして、われわれの社会も「個体」同志の複雑なネットワークによってなりたっている(もっとも、われわれの社会ではたびたび争いが起こり、その度にネットワークがかなりの頻度で寸断されているが)。このように、われわれの作った社会は幾重もの(生体内、生体外の)ネットワークによって構成されているのである。

 なお、言うまでもないことだが「生命」が存在し続けるには「情報」の処理や記録が必要不可欠なのである。したがって、1章の「知能原理」のところで説明したとおりこうしてわれわれが存在すること自体が「量子物理学」の理論(「量子仮説」、「不確定性原理」、「粒子と波動の二重性」など)が正しいことを裏付けているのである。

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