「数学」と他の学問との相異

 われわれは3次元空間に住んでいるが、この「3次元空間」というものは3つの独立した数の組み合わせでその空間上の位置が指定できる空間を意味する。したがって、この「3つの独立した数」中の「3」という数を他の数で置きかえると「1次元」、「2次元」、「4次元」など色々な次元数を持った空間を考えることができる。

 また、われわれが住んでいる空間はユークリッド空間でもあるが、この「ユークリッド空間」というのは「ピタゴラスの定理」(ノルム(長さ)の2乗は各成分の2乗の総和に等しいという定理)に従う空間のことである。

 ところで、物理学では3次元ユークリッド空間および4次元ミンコフスキー空間(これについては次節で述べる)以外の空間については一切扱わない。

 以上のことから、数学と物理学の考え方が大きく異なっていることが直ちにわかる。すなわち、物理学では実在するものだけを対象とする。一方、数学では実在するものもしないものも関係なく対象としていることが分かる。

 すなわち、数学は他の学問とは異なり、考える対象が実在するかどうかを一切問題にしないのである。したがって、数学と論理学以外の他の学問間の距離は数学と論理学以外のどの学問間の距離よりも大きい。さらには、実は「数学」自体が論理学の一分野として「論理学」にふくまれているのである。

 つまり、「論理学」という学問はものの考え方を対象とする学問なのであるが、「数学」もやはり数、式や関数を通じてものの考え方を扱う学問である。さらには、「言語学」はものを考える方法を扱う学問なのである(したがって、言語学が「工学」の一分野でもあることは1章で述べた)。したがって、やはり「言語学」も「論理学」の一分野なのである(もっと正確にいえば、「言語学」は「応用論理学」の一種である)。

 ところで、「論理学」のように考える対象が実在するかどうかを問題にしない学問は「形式科学」と呼ばれている。この「形式科学」は「自然科学」にも「社会科学」にもふくまれていないのである。というよりも、この「形式科学」という類の学問は「自然科学」と「社会科学」の違いを超越した学問なのである。これを言いかえると、「自然科学」と「社会科学」は併せて「経験科学」として分類され、「形式科学」はこの「経験科学」に対する学問として分類されるべきものなのである。

「量子化」のルーツは「言語」にあり

 ところで、「言語」はきわめて定性的(この意味自体が次節で詳しく述べるとおり「離散的」という意味の最も極端なケースである)な性格をもっている。たとえば、ものの大きさを表す語には「大きい」と「小さい」という2つの語しか存在しない。もっとも、「とても」、「かなり」、「やや」などの修飾語を用いればもっと細かい意味を表すことは可能だが、それでも「言語」では離散的な意味しか表せないことは何ら変わりがないのである。

 したがって、物事を「言語」で表わそうとすると本来連続的な性質をもつ「意味」を離散的な形に変換する必要があることがわかる。このためには、「大きさ」などの意味が「言葉」で表せる「意味」のうちどの「意味」が最も適切かを見極めることが必要不可欠である。

 このように、本来連続的な性質をもつもの(「波動」など)を離散的な形へと変換することを「標本化」や「量子化」という。このうち「標本化」とは「波動」などをある時間的、空間的間隔ごとに区切り、その区間内のある瞬間の値だけを取り出す作業をいう。また、「量子化」とは観測値などをその値に最も近いある基準値で近似する作業をいい、この両者を合わせて「離散化」という。

 ところで、前にも述べたとおり「物質名詞」は直接数えることが不可能なのである。しかし、この「物質名詞」を数える方法がちゃんと存在するのである。

 この「方法」とは、すなわち「容器」を使って物質の量をはかる方法にほかならない。つまり物質の量をその物質を入れる容器の数として表す方法のことである。この方法は実は英語などでは頻繁に用いられている。この例をあげると「three cups of water(コップ3杯分の水)」などの表現がその例である。ここで特に大切なことは、「物質名詞」そのものは決して複数形にならず、また単数の場合に用いられる「a」などの冠詞がつかないことである。

 つまり、この方法では「物質」をそれを入れる「容器」に入る量の数で表すやり方で間接的に「物質名詞」を数えていることになる。そして、このやり方は「質量」以外の物理量(時間、長さなど)を量るときにも応用されている。この方法がいわゆる「単位」を使う方法に他ならないのである。

 このように、「言語」は極めて離散的(もっと正確に言えば「ディジタル」でもある)な性格をもっている。もっとも、この理由をさらにつきつめていくとわれわれは「連続的」なものより「離散的」なもののほうが考えるのが簡単なこと、さらにこの理由はわれわれ生物の脳のしくみが極めて「ディジタル」であることにつきるのである。

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