「もの」とは「名詞」のことである

 前節で述べたとおり、「もの」は「物質」よりもはるかに一般的な概念である。すなわち、「もの」は「存在」、「運動」や「変化」などの現象の「主語」という役目をしている。これを言いかえると、「もの」は物理的な概念ではなく論理的な概念なのである。

 したがって、「もの」(「こと」についても同じ)は「物理学」よりもむしろ「言語学」(なお、「言語学」は「論理学」の一分野である)で扱うべきテーマなのである。 

 ご存知のとおり、「もの」は「名詞」の一種である。これをさらに分類すると、「もの」は数えれる「もの」(普通名詞)、数えれない「もの」(物質名詞)およびこの世に一つしか存在しない「もの」(固有名詞)に分けることができる。

 そして、「普通名詞」と「物質名詞」との相違は何かと言えば、「離散的」なものと「連続的」なものとの違いなのである。さらには、「量子論」の最大の目的は、(意外に知られていないことだが)古典論では「数えれない」(連続的な)ものと考えられていた「もの」を「数えれる」(離散的な)ものであると考え直すことなのである。

同じ「名詞」でも…

 では、「こと」(現象)は「動詞」のことなのかと言うと、物事はそれほど単純明快なものではなく、「こと」も実はやはり「名詞」なのである。ただし、「こと」は同じ「名詞」であっても通常の「名詞」(「普通名詞」、「物質名詞」など)とは多少性質が異なっている。

 つまり、「こと」は「動詞」や「形容詞」などから転成した名詞なので、「動詞」や「形容詞」の性質が残っている。例えば、「動名詞」や「不定詞」は「動詞」と同じように「副詞」によって修飾されたり、「目的語」や「補語」を伴うことがある。

 このように他の品詞から転成した「名詞」を「抽象名詞」と呼び、もちろん「普通名詞」と違い「数える」ことはできない。それどころか「物質名詞」のように「量る」こと(物質名詞を「量る」方法については次節で詳しく述べる)もできない。つまり、「抽象名詞」とは名詞らしくない性質を持った「名詞」なのであり、「抽象」という形容がこのことをよく表している。なお、「動名詞」や「不定詞」などは「動詞」としての性質を持っているので「準動詞」と呼ばれている。

全ての言語に「共通」の概念・・・「品詞」

 ここで「もの」や「こと」を「日本語」、「英語」や「中国語」など語種を特定せずに、単に「名詞」であると述べたことに注目してほしい。つまり、このことは「名詞」、「動詞」や「形容詞」などの「品詞」はこの世の全ての言語に共通の概念であることに他ならない。

 つまり、「動詞」とはこの世の物事の「動作」を表す語のことであり、「名詞」とはこの「動作」の「主体」や「客体」を表す語である。また、「形容詞」とはこの「名詞」の状態や性質を示す語であり、「副詞」は「動詞」や「形容詞」の状態や性質を示す語である。

 ある言語を他の言語へ変換(普通、「翻訳」と呼ぶ)できるのも実はこの「品詞」(それと次節で詳しく述べるとおり「意味」)というものが全ての言語に共通の概念であるからである。このことを具体的に述べると、ある言語の単語を他の言語の単語へ翻訳してもその品詞は変わらない(「動詞」なら「動詞」、「名詞」なら「名詞」のままである)。この事実はあたりまえすぎて意外に知られていないが極めて重要なことなのである。

 というのも、この事実は「意味」こそがこの世界で「主」なる存在であり、「言語」はあくまでも「従」の存在にすぎないことの証明につながるからである。

 なぜ「意味」がこの世界で「主」なる存在なのか、この答は数学の理論の中に隠されている。すなわち、「数」は言うまでもなく(実は「意外に知られていない」ことであるが)「意味」の一種であり、この「数」というものはどんなに時間的、空間的に遠く隔たっていても(厳密には、別の宇宙や異次元の世界でも)決して変化することのない存在であるからである。

NEXT

HOME