「科学」というよりもむしろ「工学」・・・生命科学
「生命科学」(学校教育では「生物学」という)にはもう一つ「数学」、「物理学」や「化学」とは大きく異なるところがある。これは、「生命科学」は生きている「理由」ではなく生きてゆくための「方法」を扱う学問であるということである。
つまり、「生命科学」は「物理学」や「化学」よりもむしろ「工学」に似ている学問である。したがって「純粋科学」(「理由」を扱う学問)ではなく「応用科学」(「方法」を扱う学問)に分類する必要があるのである。
たとえば、「筋肉」について学ぶことは実は「化学エネルギー」を「運動エネルギー」に変換する方法について学ぶことである。また、「脳」について学ぶことは生物の「情報処理」のしくみについて学ぶことにほかならない。
ここで、前節で「生物は機械の一種である」と述べたのを思い出してほしい。つまり、「筋肉」は「モータ」(ここでは内燃機関もモータにふくまれる)、「脳」は「コンピュータ」の一種なのである。
このことは、「生物科学」のみならず本書の意味での「生命科学」全般について当てはまることである。たとえば、「言語学」は単にその言語について「知る」ための学問ではなく、意味や情報を表現、伝達する方法について「学ぶ」学問なのである。
したがって、「農学」や「医学」などは単に「生命科学」を食糧生産や医療に応用するための学問ではないことがわかる。「農学」は生物の共生のしくみについて、「医学」は免疫のしくみについてそれぞれ生物から学び、それらを強化して食糧生産や医療に役立てるための学問である。したがって、「農学」や「医学」にあたる分野はすでに「生命科学」にもふくまれているのである。
「生物科学」と「生命科学」の相違
生命現象を扱う学問は、大きく「工学」でいう「機械工学」や「材料工学」に相当するものと「情報工学」に相当するものの2つに分けられる。
前者は、生物の体を構成する物質を扱う学問で「生物科学」と呼ばれている。一方、後者は生命現象そのものを扱う学問で「生命科学」と呼ばれている。
たとえば、「体育学」は「生物科学」、「心理学」(一般には「生命科学」の一分野と認められていないが)は「生命科学」の例である。
なお、言うまでもなく「生物科学」よりも「生命科学」のほうがはるかに重要である。そのことは電気工学の例をあげればすぐにわかる。つまり、電気工学の中でも「機械工学」と関係が深い分野を「強電」、「情報工学」と関係が深い分野を「弱電」といい、「強電」よりも「弱電」のほうが圧倒的に重要である。
それだけでなく、「生物科学」は実は「生命科学」の一分野としてふくまれているのである。つまり、前に生物は「マクスウェルの魔」の一種であると述べたことを思い出してほしい。
すなわち、生物が必要としているのは「エクセルギー」であって「エネルギー」ではない。この「エクセルギー」は「エネルギー」と「ネゲントロピー」との結合である。つまり、「エクセルギー」なる概念には「情報」という要素がふくまれているのである。したがって、「ラプラスの魔」であることは「マクスウェルの魔」であることの必要条件であることが直ちにわかる。
したがって、本書では生物を扱う学問の名称は「生命科学」に統一してある。
解説・・・「生命科学」のみならず、一般に扱う「対象」だけでその学問が定義されている学問は「・・学」ではなく「・・科学」と呼ぶ。
例をあげると、「地球科学」、「宇宙科学」、「情報科学」などがあり、「自然科学」、「社会科学」などもこの例にふくまれる。
「工学」は「自然科学」ではない
それだけでなく、「工学」では「純粋科学」と違って社会情勢というものを常に考える必要がある。たとえば、製品を作るためには原材料である資源やここで作られた製品の価格というものを常に考えなければならず、また社会(もちろん消費者もふくまれる)がどんな生産物、そしてこれを作り出す技術を求めているかも考えなければならないのである。
したがって、「工学」は決して「自然科学」にはふくまれない。しかし、学校教育では「工学」は「自然科学」の一分野として扱われているのはご存知のとおりである。
しかし、「工学」で「自然科学」的なところは基礎理論だけである。しかも、「生命科学」や「社会科学」もその基礎理論は「自然科学」であり、その「生命科学」や「社会科学」もやはり「工学」と同じ応用科学である。
したがって、なぜ単に「科学」といえば「自然科学」を指すのかこれでわかる。すなわち、真に「純粋科学」と呼べるのは「自然科学」(当然のことながら、「工学」や「生命科学」はふくまない)だけであり、その「純粋科学」というのは名前のとおり最も「科学」らしい科学だからである。