物理学界の「変わり者」

 「エントロピー増大の法則」という法則には、他の物理法則と大きく異なる点が2つある。

 まず、この法則は「保存則」でないことが直ちにわかる。つまり、「エントロピー」は時間とともに増える一方であり、決して「保存」されない物理(?)量であることが一目瞭然である。ところで、この「エントロピ−」以外の物理量(エネルギー、質量、運動量、電荷など)はすべて保存されるのに、物理量では「エントロピー」ただひとつだけ保存されないのである。

 もう一つは、この法則は100%成立しないということである。例えば、インクの混ざった水からインクだけが一点に集まって水と分離する確率は決してゼロではない。なぜなら、「水」も「インク」も分子からできており、それらの「分子」の数が有限である限り「インク」の分子だけが容器の右側や左側に集まる可能性はゼロではないからである。ただ、「分子」の数があまりにも多いためにその確率がきわめてゼロに近いというだけの話である。

「自然」も「社会」もまったく本質は同じ

 「エントロピ−増大の法則」を数学的に表現すると、「非保存則」かつ「統計法則」ということになる。ここで「非保存則」というのは文字どおり「保存則」でない法則、「統計法則」というのは現実には100%成立しない法則のことである。

 ところで、この法則は社会科学(特に経済学)の法則にきわめてよく似ていることがわかる。つまり、「経済学」というのは「物理学」における「エネルギー」、「質量」や「電荷」などの物理量を「価値」という量でおきかえただけの学問であるが、この「価値」という量はエントロピーと同じく保存されないからである。また、社会現象にはどんな場合にでも成立する法則は存在しない。

 そのことは、「株価」の動きをみればすぐに解る。つまり、「株」は短期間のうちにその価格が倍になったり逆に半分になることは日常茶飯事なのである。また、ある会社の業績がよい(悪い)からといって必ずしもその会社の株価が高い(安い)とは限らないこともよく知られている事実である。

 このように、物理法則の中では変わり者である「エントロピー増大の法則」が実は経済学の法則にそっくりである(この事実は世間では意外に知られていない)が、このことは「自然科学」も「社会科学」もまったく同一の法則に従っていることにほかならない。これを言いかえると、「自然」も「社会」も「生命」もその本質はまったく同じだということである。

「物質科学」と「生命科学」の架橋…エクセルギー

 先述のとおり、「エントロピー」が増えることは悪いことなのである。ところで、悪い方向へ向かうことを「・・・が増える」と表現するのは実感にそぐわないのではないか。そこで、「エントロピー」にマイナスの符号をつけた「量」を新たに考え、これを「ネゲントロピ−」と呼ぶことにした。

 ところで、この「ネゲントロピー」と「エネルギー」とを結びつけると「エクセルギー」なるもう一つの新たな物理(?)量が生まれるのである。

 この「エクセルギー」という物理(?)量には「『機能体』(生物、機械など)が最大限利用可能なエネルギー」という意味がある。なぜなら、「エネルギー」をもつものには一般に必ず「エントロピー」というものを伴い、しかも同じ「エネルギ−」をもっていればそれに伴う「エントロピー」が大きいほどその「エネルギー」は利用しにくいからである。

 したがって、物体がもつ「エントロピー」が大きいほどその物体のもつ「エクセルギー」は少ないという傾向がある。したがって、「エントロピー増大の法則」は「エクセルギー減少の法則」と呼びかえることができる。

  ところで、「エクセルギー」には「物理エクセルギー」と「工学エクセルギー」の2種類ある。「物理エクセルギー」というのは熱力学で用いるエクセルギーのことであり、この大きさは熱エネルギーを除けば「エネルギー」の大きさにほぼ一致する。「工学エクセルギー」というのは生命科学(本書では「社会科学」も「生命科学」の一分野とする)や工学で用いるエクセルギーのことで、あるエネルギー源のもつ物理エクセルギーからそのエネルギー源を手に入れたり運んだり使ったりするのに必要なエクセルギーを減じたものを指す。

 この「エクセルギー」という概念には「物質科学」(物理学と化学の総称)、「生命科学」、「社会科学」および「工学」を結びつける「架橋」という役目がある。そればかりか、後述のごとく、「社会科学」、「人文科学」が「生命科学」にふくまれ、さらに「生命科学」が「工学」と同じく「応用科学」に属していることをも明らかにするのである。

「エントロピー増大則」と「対」をなすもの・・・「自然淘汰」

 「エントロピー増大の法則」は単に「学際的」なだけではなく、「物理法則」としては公認されていないある法則と「対」をなしている。この法則を「適者生存の法則」と呼ぶ。この事実は一般には全くと言っていいほど知られていないが、まぎれもない事実なのでよく覚えてもらいたい。

 さて、「適者生存」という語を聞いてすぐに思い浮かべる語がある。これがかの有名な「自然淘汰」である。「自然淘汰」という現象は「適者生存」の結果起こるもので、その結果自然界に存在する生物は「多産」、「少死」、「長命」のうち最低1つ以上の性質をもっている。

 それだけでなく、「自然淘汰」にはエントロピーの増大を最小限に食い止めようとする生物をなるべく生存させようとする性質もある。これはすなわち「少死」、「長命」な生物は「エクセルギー」の消費が少ないことを意味するのであるが、この「性質」のおかげで「適者生存の法則」は「エントロピー増大の法則」に「対抗」する法則として働き、この宇宙に「生命」の存在を可能にしているのである。

 それどころか、「未来」が良くなるのも悪くなるのも「適者生存」と「エントロピー増大」という2つの「原理」の「力関係」によって決まるのである。例えば、「未来」が良くなる例として「技術革新」があるが、この「技術革新」というものはいうまでもなく優秀な「技術」だけが残った結果生じる一種の「自然淘汰」であり、また逆に「未来」が悪くなる例としては「資源の浪費」や「環境破壊」があるが、いうまでもなく「資源の浪費」とは「エクセルギー」の減少(「エネルギー」は保存されるので減少しない)の言い換えであり、「環境汚染」とは「環境」における「エントロピー」の増大のことである。

 ところで、「適者生存の法則」には「エントロピー増大の法則」と同じく学際的な性質がある。したがってもちろんこの法則は「生命科学」だけでなく「物理学」や「化学」に対しても適用できる。

 たとえば、天然に存在している分子や原子核はすべて安定しているか、または不安定だが極めて壊れにくい(「半減期」が地球の「年齢」よりも長い)ものばかりである。そのうえ核反応で「生成」しやすい原子核ほど大量に存在する。

 なお、「適者生存の法則」と「エントロピー増大の法則」は一つに統合することが可能である。なぜなら、これら2つの法則には「物事はより確率の高い方向へ向かう」という共通点がある(したがって、両方とも「統計法則」である)からである。

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