「マクスウェルの魔」は「ラプラスの魔」にふくまれる
ところで、「・・・の魔」という語には「マクスウェルの魔」以外にもう一つある。これは「ラプラスの魔」と呼ばれている。
「ラプラスの魔」とは、全宇宙のできごとを予測できる機械や生物のことである。ところで、この「ラプラスの魔」と「マクスウェルの魔」は互いにきわめてよく似ている。すなわち両者はいずれも超能力者であり、しかも「マクスウェルの魔」における「制御」という動作を「計測」でおきかえると「ラプラスの魔」となる。すなわち、「ラプラスの魔」とは完全な「計測」、「マクスウェルの魔」とは完全な「制御」ができる超能力者のことを指しているのである。
意外なことにこの事実は世間ではほとんど知られていない。実際、どの物理学関係の書物を捜しても”「ラプラスの魔」と「マクスウェルの魔」は互いに深い関係がある”という類の文章は全く見られない。つまり、物理学者でさえ「ラプラスの魔」と「マクスウェルの魔」は全く別のものだと考えているのである。しかし、このことはまぎれもない事実なのでよく覚えてもらいたい。
ところで、「マクスウェルの魔」は実はこの「ラプラスの魔」の一種なのである。なぜなら、物事を「制御」するためには必ずその物事の状態や性質を知っていなければならないからである。このためには必ず「計測」という動作が必要となるのである。
「制御」のためには「計測」が必要不可欠
「制御」という語の意味は「物事を操る」であるが、これをより一般的に言えば「物事を計画に従わせる」、さらには「未来を・・・の計画通りにしむける」という意味になる。
そこで前文をよく見ると「未来」、「計画」という語が使われている。すなわち「制御」の本当の意味は「物事を予想できるようにする」ことなのである。
ところで、物事を予想するためには現在の全宇宙の状況、つまり全宇宙の原子、素粒子の位置と速度を知っていなければならない。なぜなら、物事はどんなに離れていても互いに影響を及ぼしあうからである。
したがって「制御」には「計測」が必要不可欠なのである。このことは生物を見ればすぐに解る。たとえば、なぜ生物に「目」や「耳」などの感覚器がついているのかと言えば、生物が獲物を捕らえたり、逆にその生物を捕らえようとする生物から逃れるためには他の生物がどこにいるのか知っている必要があるからだ。
「ラプラスの魔」が進化して「マクスウェルの魔」になった
以上のことから、ただ一つだけ「マクスウェルの魔」が「ラプラスの魔」と異なるところがあることが分かる。つまり、「ラプラスの魔」は全宇宙のすべての物事についてその運命を知っているがその運命を自らの意思で変えることができない。しかし「マクスウェルの魔」は全宇宙の物事の運命を己の意思で決めれる。つまり、「マクスウェルの魔」は「ラプラスの魔」に動力(筋肉、モ−タ−等)が付け加わったものなのである。いいかえると、「ラプラスの魔」が「進化」して「マクスウェルの魔」が誕生したのである(実際、「マクスウェルの魔」は「ラプラスの魔」より後に考えだされた)。
ところで、エントロピ−の観点からみると、「ラプラスの魔」と「マクスウェルの魔」は同じものなのである。
つまり、「計測」とは言うまでもなく情報を得る行為であり、「情報」とはマイナスのエントロピ−(「ネゲントロピ−」という)である。したがって「ラプラスの魔」は「マクスウェルの魔」と同じく物理系のエントロピ−を減少させる「救世主」なのである。
しかし、「ラプラスの魔」もやはり現実には存在しない。なぜなら、物事を観測するためには観測する対象に音や光をあてるなどしなければならない。この行為は対象物の状態を変化させてしまい、結局物事を正確に計測できなくなる(以上が量子論で用いられる不確定性原理の説明である)。さらに、この行為は対象物のエントロピ−をも増大させ、そのエントロピ−は常に対象物についての情報を得ることで減少するエントロピ−を上回る。したがって本当の意味での「マクスウェルの魔」もやはり存在しないのである。
解説・・・「進化」という語は物事が質的に変化するときに用いられる。一方、「成長」は物事が量的に変化するときに用いられる。これらの用語は生物の「成長」、「進化」とは関連しているが別のものである。なお、生物の「成長」、「進化」はそれぞれ「個体発生」、「系統発生」の一種であり、これら「個体発生」、「系統発生」の順序はほぼ一致することが経験によって確かめられており(このことについては4章で詳しく述べる)、さらにこのことが生じる理由が理論的にも証明されている。