万事は悪い方向に向かう
「覆水盆に帰らず」ということわざ通り、水のはいったコップが砕け、その中の水が飛び散ると、これを元の状態に戻すことは不可能である。このように、全ての物事が良い状態から悪い状態になるという法則を「エントロピー増大の法則」(「熱力学第二法則」という別名もあるが、法則名に数字を使うとこの法則が何かわからないのでなるべく使わないほうがよい。)という。
この法則の例として、他のエネルギーを熱には効率100%で変換できるが、その逆過程はある効率(温度で決まる)以上で出来ないという原理や、高温の物体と低温の物体とを接触させて両者の中間の温度にすることは簡単だが、その逆はきわめて難しいという法則がある。
この一見不可解に見える「エントロピー増大の法則」は次の方法でいとも簡単に説明できる。つまり、多数のサイコロを振ったときに最も起こりやすい目の出方はすべての目がほぼ同じ数づつ出るケースである。逆に最も起こりにくいケースはすべてのサイコロにおいて同じ目が出るケースである。
解説・・・「熱力学第二法則」に限らず、一般に「・・・第*法則」という呼称はできる限り使わないでもらいたい。なぜなら、この(誤った)法則名で使われている数字には何の意味も無い(単なる識別番号)からである。さらには、「ケプラーの第*法則」のように法則名に発見者の名前が使われているケースもあるが、このように発見者の氏名が使われた法則名もできる限り使わないでもらいたい。なぜなら、「・・・の第一法則」と「同第二法則」との間には学問的な関連性がほとんどないのに”偶然”同一の学者に発見されたという理由だけで(この場合数字は学者に発見された順序を表す)関連性のある(実際には関連性は無い)名称が使われているからである。
また、誤ってこの「熱力学第二法則」を「エントロピー増大則」の意味に用いているケースが実に多いが、厳密に言うと「エントロピー増大則」と「熱力学第二法則」は互いに別の法則である。なぜなら、「エントロピー増大則」は「覆水盆に帰らず」なることわざが示すとおり「熱」が関係しない現象をもその対象にしているが、「熱力学第二法則」はその名のとおりこの「エントロピー増大則」のうち「熱」が関係するもののみを対象とするからである。したがって、「熱力学第二法則」は「エントロピー増大則」の一部ではあるが決してこの法則と同一の法則ではないのである。
マクスウェルの「魔」
しかし、この自然の法則に逆らえるものがマクスウェルによって考え出された。これを「マクスウェルの魔」という。「マクスウェルの魔」とは、分子や原子を自分の考えたとおりに操れる、すなわち物理学的にいえば物理系のエントロピ−を減少させることのできる機械ないし生物のことである。
もし、この「マクスウェルの魔」が存在すれば、食塩水を食塩と水に分離したり、水を使って湯と氷を作ることや、さらには水から熱以外のエネルギ−を取り出し、その水を氷にすることだって出来るだろう。
しかし、本当の意味での「マクスウェルの魔」は存在しない。なぜなら、こんなものが存在するならば「エントロピー増大の法則」が破れてしまうからである。
この理由は、もちろん分子や原子の個数がきわめて多いからである。
生物は「マクスウェルの魔」なのか?
ただし、外部のエントロピーをそれ以上に増大させるという代償のもとに内部のエントロピーを減少させることのできるものならばこの世にいくらでも存在する。これが熱機関やヒートポンプ等であり、われわれ生物もその一種である。これを通常「マクスウェルの魔」と呼ぶ。
本文では生命を「特異な存在」と表現してきたが、もちろん生物だって無生物と同じく物理学の法則に従う。
「生きる」という動詞の意味を物理学的に表現すると次のようになる。
「生物体外のエントロピーを増大させ、その代償として生物体内のエントロピーを減少させ、もしくは増大を食い止めること」
そして、言うまでもなく「生物」とは「生きる」という動詞の主語、「生命」とは「生きる」ための機能である。
さらに、生物は「生きる」という動作を理論上の最大値に近い効率で行える。このように効率の良い生物を作り出したのは言うまでもなく「自然淘汰」という大自然のメカニズムである。したがって、真の「マクスウェルの魔」は大自然そのものであるといえる。
解説・・・「マクスウェルの魔」のことを誤って「マクスウェルの悪魔」(次に述べる「ラプラスの魔」についても同じ)ともいうが、絶対に「・・・の悪魔」と呼んではいけない。なぜなら、「マクスウェルの魔」は物質界のエントロピ−の増大を食い止め、物事が悪くなっていくのを抑える「救世主」であり、「悪魔」とはまさしく正反対の存在であるからである。