「生命」と「魂」
「魂」ほど有名でありながらその実態がほとんど解明されていない物事も珍しい(「魂」を「もの」と考えるか、それとも「こと」と考えるかが本文のテーマであるが)。
ただし、一つだけ「魂」について分かっていることがある。それは、「魂」が「生命」と密接に関係しているということである。というよりも、本文2〜3章で詳しく述べるとおり、「魂」は「生命」そのものである。ただし、本文2章で述べるが、「魂」とは量子論的な存在、言いかえれば「もの」、「こと」という概念を超越した非常識的(”非現実的”と言いたいところだが現実だから仕方がない)な存在である。また、もし「生命」と「魂」の違いがあるとすれば、「生命」とは「魂・生命」の「こと」としての見方、「魂」とは「もの」としての見方だということである。
特異な存在・・・生命
「魂」に入る前に「生命」(この語のかわりに「生物」という語を使うことが多いが、後で述べるとおり生物はその本質が生物を構成している物質にあるのではなく、「生きる」という現象および遺伝子、脳、神経など「生きる」ために必要な情報処理機能にあるので本文では「生命」を使う)について述べておく必要がある。
なぜなら、西暦2000年(本書では「現在」という表現を使うとこの語がどの時点を指すのか分からないから「現在」という語はなるべく使わないようにする)の時点では「魂」どころか「生命」でさえほとんど解明されていないのが事実(医療技術を航空、宇宙、情報技術などと較べれば一目瞭然である)である。この理由は生命が他の物事と大きく違っているからである。
では、「生命」のどこが他と違っているのか。生物は第一に、自分と同じ、あるいは似たもの(子孫)を作れる(「自己複製」または「生殖」という)。第二に、単純なものから複雑なものを組立てれる(「組織化」という)。第三に、混合物を分離、濃縮することができる。第四に、他の物事の働きかけなしに運動、行動することができる。一方、無生物(例えば岩石)はより単純なもの(石の場合は土)へと分解していく傾向があり、また他の物質と混合、拡散する(たとえばインクが水に溶ける現象)傾向もある。
それでは、これらの生命の特徴に共通点はないのだろうか。いいえ、共通点はちゃんと存在する。それは、生命は「秩序」というものを作り出せるということである。
なお、秩序(「情報」もその一種である)を作り出すことを物理学では「エントロピ−を減少させる」という。そこで、「エントロピ−」とは物質系の無秩序さの尺度と定義されている。
また、このようにエントロピ−を減少させる働きをもつ物体(このような物体を「機能体」という)を「マクスウェルの魔」(「マクスウェルの悪魔」と呼ぶことが多いが実態は「悪魔」というよりもむしろ「救世主」である。)という。もちろん、生物もマクスウェルの魔の一種である。