当サイト「ランゲージ・クライシス」中のこのページで述べている”国文法”は、実はこの国文法の中の学説の一つにすぎない「橋本文法」(「橋本進吉」という名の文法学者がこの文法を提唱したのでこう呼ばれている。)のことである。
しかも、実をいうとこの橋本文法は日本語学者の間ですらほとんど支持されていない。この理由は、言うまでもなく橋本文法の考え方が決して合理的であるとはいえないためであり、さらにこの理由となっているのがこのページにも書いてあるとおり橋本文法では品詞を分類するときにその語の機能や用法よりもそれを続けて書くかそれとも離して書くかを優先していることである。
このことについて例をあげると、
@月は地球に近い。それで、(月は)大きく見える。
A月は地球に近いので、(月は)大きく見える。
この2つの文における@の「それで」とAの「ので」の機能、意味はまったく同じであるが、橋本文法では@の「それで」は接続詞に分類され、一方Aの「ので」は接続助詞に分類されている。そして、橋本文法では接続詞は自立詞に分類され、一方接続助詞は付属詞に分類されている。
さらに言うと、橋本文法では@の文章は2つの文章からなり、一方Aは1つの文章からなると考えられている。