「景気循環論」はほとんど非科学的である
古くから経済現象には「周期性」なるものが存在することが知られてきた(もっとも、「経済学」という学問が誕生したのが19世紀の初頭であり、したがって「経済学」自体が非常に新しい学問ではあるが)。そして、この「周期性」の中でも最もよく知られているものと言えばやはり景気が良くなったり悪くなったりする現象(みなさんも知っているとおり、この現象は「景気循環」と呼ばれている)であろう。
そして、古くからこの「景気循環」は短いものから順に「キチン循環」(その周期は約3年)、「ジュグラー循環」(同10年)、「クズネッツ循環」(同20年)および「コンドラチェフ循環」(同50年)の4種類存在すると考えられてきたのである。しかし、実はこれらの景気循環にはいずれもほとんど科学的な検証がなされていないのである。つまり、これら4つの景気循環は過去においてたまたまある間隔ごとによく似た局面(波動における「位相」と大体同じ意味。なお、景気変動は複数の異なる循環の重ね合わせによって生じると考えられている(この学説を「複合循環説」と呼ぶ)。)が現れたからその存在が信じられているにすぎないのである。言いかえると、これらの景気循環説はいずれも「経験則」の域を脱していないのである。
ところで、物事を一切理論的に考えずに経験だけで考えることはわれわれ生物の最も悪い習性の一つなのである。すなわち、ある物事についての「傾向」、「関係」や「性質」などが「法則」として認められるにはまずその物事を観測することが必要であるが、この観測結果が理論によって裏付けされてはじめて「法則」と名乗る資格が与えられるのである。そして、科学はこの「法則」を理論によって検証する論理体系に他ならないのである。すなわち、物事を理論的に考えてはじめてその考えが科学的な思考となるのである。
ところで、これらの景気循環説の中でも特に「コンドラチェフ循環」については長い間その原因が「技術革新」にあると考えられてきたのであった。しかし言うまでもなくこの「技術革新」なる現象は突発的な現象であり、したがって当然のことながらこの「技術革新」は周期性をもたないのである。
しかし、それにもかかわらずこのように非周期的な「技術革新」を原動力として生じる「コンドラチェフ循環」(実際にはこんな景気循環は存在しないが)は周期性を持つと考えられてきた。このことに関しては、この景気循環説を提唱した学者には物事を理論的に考える能力がない以外に説明のしようがないのである。すなわち、過去において偶然「技術革新」なる現象が50年ごとに現れたからこの「技術革新」を原動力として生じる景気循環は50年という周期をもっていると信じられてきたにすぎないのである。
そして、「遺伝」のところでも触れたとおり、このように物事が生じる原因について研究するときにそれが「偶然」であるのかそれとも「必然」であるのか判別できないことは、特に「社会科学」をふくむ「生命科学」(厳密に言うと、社会科学は生命科学の一分野にすぎないのである。)においては致命傷となりかねないのである。
実在が確認されている「キチン循環」と「ジュグラー循環」
しかし、それでも「キチン循環」と「ジュグラー循環」については曲がりなりにもその存在が確かめられ、さらにそれが生じる原因が解明されているのである。この中でも特に「キチン循環」についてはその原因が在庫の増減にあることがはっきりと確認されている(したがって、この「キチン循環」は「在庫循環」とも呼ばれている)。
また、この「在庫循環」は需要と供給の変化が一致しないから生じることが証明されている。すなわち、ほとんどの財物は需要に合わせて生産されるが、当然のことながら財物は現在ではなく幾分過去の需要に合わせて生産されるのでその結果この財物の需要量と供給量が食い違ってくる。これらの両者の食い違いが蓄積されていわゆる「在庫」となるのである。したがって、供給量から出荷量(言うまでもなくこの出荷量は需要量に等しい)を差し引いたものを積分したものが在庫量となるのである。また、当然のことながら在庫の変化は生産の変化よりも遅れることがわかる。なぜなら、先述のとおり生産量を積分したものが在庫量となり、さらに言うと、円関数などの周期関数を積分するとその位相がもとの関数よりも1/4周期(=90°)遅れるからである。
また、生産量は需要量のみならず在庫量によっても左右されることがわかっている。つまり、需要量が等しい場合でも在庫量が少ない場合には生産量は多くなり、逆に在庫量が多い場合には生産量は少なくなることが証明されている。なお、在庫量が多いときにその在庫を減らすために生産を減らすことは「在庫調整」と呼ばれている。
また、この「在庫循環」の周期は生産量と出荷量(=需要量)の位相の時間差によって決まることがわかる。つまり、生産量と出荷量の時間差が大きいほど在庫の変化も大きくなり、その結果在庫調整にも長い時間かかるので「在庫循環」の周期も長くなるのである。
また、「ジュグラー循環」についてはそれが生じる原因が設備投資の増減にあることがほぼ確認されている。つまり、工作機械などの生産設備の経済的寿命(その生産設備がコスト面で採算が取れる期間、一般に物理的寿命よりも短い)がほぼ10年であるために設備投資の変化も約10年周期となるのである。ただし、設備によってその寿命には長短いろいろあり、そのために設備投資の変化はきちんとした10年周期にはならないのである。
なお、「クズネッツ循環」についてはその周期が約20年であると考えられているが、この周期はちょうど「ジュグラー循環」の周期の2倍となっていることに気付いてもらいたい。つまり、ある変化が周期的に生じる場合この基本周期の整数倍も周期となるのである(なお、周期のうち正の最小の周期を「基本周期」という)。したがって、この「設備投資循環」についてはその周期を10年とする説と20年とする説の2つが存在し、このうちこの周期を20年とする説が「クズネッツ循環」に対応しているわけである。
ところで、「ジュグラー循環」の周期はちょうど「キチン循環」の周期の3倍であると考えられているが、このようにある景気循環の周期が他の景気循環の周期の整数倍となっていることは決して偶然ではないのである。なぜなら、複数の景気循環の位相が接近しているときには短いほうの景気循環の位相を長いほうの景気循環の位相に合わせようとする働きがあるからである。この理由は、景気変動は複数の景気循環の合成で生じることが明らかになっているが、これらの景気循環は互いに独立したものではなく、互いに影響を及ぼしあって景気変動を生ぜしめるからである。したがって、「キチン循環」の位相は「ジュグラー循環」の位相に左右され、同じく「ジュグラー循環」の位相は「クズネッツ循環」の位相によって影響を受けるためにこれらの循環の周期が1:3:6という整数比となるのである。
経済における「慣性」と「重力」
ところで、一般的には好況のときには物不足となり、逆に不況のときには物余りとなるのである。このように、景気と財物の需給関係は互いにまったく正反対の変化をするのである。この理由は、好況のときにはもちろん生産も増えるがそれ以上に需要が増えるからである(もちろん不況のときには逆に生産以上に需要が減る)。さらにこの理由は、工業製品など生産者の意志でその生産量を決定できる財については需要に合わせてその財が生産されるからである。
したがって、好況・不況と豊作・不作はまったく別の概念なのである。そのため、一方を他方と関係付けることはまったく不可能である。すなわち、生産が増えるという面では好況は豊作に似ているかも知れないが、資材が足りなくなるという面では好況はむしろ不作に似ているのである。