メンデルの「最大」かつ「唯一」の発見…「遺伝子説」

 メンデルが発見した「遺伝の法則」(後述のとおりメンデルはこのようなことを「法則」として発見したのではないがメンデルはこの事実を「法則」の一種であると考えていたので慣習にしたがって「法則」と呼ぶことにする)のメンバーの中で唯一正しいものが言うまでもなく「分離の法則」である。

 この法則は「『遺伝』という現象は『遺伝子』という離散的な単位で起こる」という意味である。しかし、この「分離の法則」についてよく考えてみるとドルトンの「原子説」、アボガドロの「分子説」、プランクの「量子説」のいわば遺伝学版であることがわかる。すなわち、メンデルが遺伝のしくみを発見する以前は誰もが「遺伝」なる現象は連続的な現象であると考えていたのである。そして、今でも遺伝に対して「血が混じる」という表現をすることがこの考えを物語っているのである。したがって、正しくはこの「分離の法則」を「メンデルの遺伝子説」(あるいは単に「遺伝子説」)と呼ばなければならないのである。

 このことについて例をあげると、みなさんもご存知のとおり黒人と白人とをかけ合わせるとその中間の皮膚の色をした子供ができる。そしてメンデル以前はこの子供からはもう二度ともとの黒人や白人と同じ色の皮膚の子孫は生まれないと考えられてきたのである。このようにメンデル以前には「遺伝」は「連続的」な現象であると考えられてきた理由は、皮膚の色など連続した量で表される表現型は多くの遺伝子による影響の総和で決まる(このような遺伝を「量的遺伝」(もちろん「ポリジーン」の一種である)と呼ぶ)ために黒人と白人の混血児の子孫はこの混血児とほとんど同じ皮膚の色となるためである。

 この事実は、赤の色素と青の色素を混ぜ合わせると紫の色素ができる理屈とまったく同じなのである。すなわち、あたりまえのことではあるが赤の色素も青の色素も分子からできているのでそれら2種類の色素を混ぜ合わせても決して紫の色素の分子はつくれないのである。しかし、赤の色素と青の色素の混合物はそれら2種類の色素が反射した光の合成効果によって紫色に見えるのである。しかも色素の分子はきわめて小さいのでわれわれの目ではその存在をみることができず、そのためにそれらの色素の混合物は一様に紫色に見え、そのためにわれわれにはそれが混合物であることがわからないのである。

 さらに言うと、ドルトン以前には(アリストテレスも考えていたことだが)物質は無限に分割できると考えられていたのである。しかし、19世紀初頭にドルトンが「原子説」なる学説を発表し、その後にアボガドロがこの「原子説」を修正して「分子説」なる学説を発表したのであった。

 この「原子説」や「分子説」でドルトンやアボガドロが最も言いたかったことは、言うまでもなく物質は離散的な構造をしているというところである。すなわち、物質は無限に分割できるのではなくそれを分割してゆくと「分子」や「原子」(後にこれらはさらに「素粒子」に分割できることがわかった。しかし、それでも物質は離散的な構造をしているということについては何ら変わらないのである。)などのこれ以上分割できない粒子につきあたるということをドルトンやアボガドロは述べたのである。

 そして、この約半世紀後に先述のとおりメンデルが「遺伝子説」を提唱したのであった。なお、メンデルはこの学説中では「遺伝子」のことを「遺伝因子」と呼んでおり、しかも驚くことにメンデルのこの学説自体が20世紀初頭まで実に半世紀近くもメンデル以外誰にも知らされられざるまま無視され続けたのである。そして20世紀初頭になってド・フリースなどによってメンデルの学説が再確認され、そこでメンデルが使用していた「遺伝因子」なる用語を「遺伝子」に言いかえることが提唱されたのであった。

 そして同じく20世紀初頭にプランクがエネルギーまでもが離散的な構造をしていると考え、「量子説」なる学説を提唱したのであった。そしてその学説がそのすぐ後のアインシュタインによる「光量子説」の発見へとつながっていったのであった。

 このように、「物質」、「エネルギー」、「遺伝現象」いずれにおいても以前はすべて「連続的」なものと考えられていたものが後にすべて「離散的」なものであることが明らかになったことは注目に値する。この理由は、「原子」、「分子」、「量子」、「遺伝子」いずれにおいてもその一つ一つ(の及ぼす影響)が小さく、当時のわれわれの計測技術ではその存在を知ることができなかった(当時の大科学者アリストテレスでさえもその存在を知りえなかった)からである。

メンデルの学説…正しいけれども決して「法則」ではない

 以上のことから、メンデルは「学説」(もちろん正しい)は発見したけれども決して「法則」までは発見していないと結論できるのである。すなわち、ほとんどの物理法則や化学法則は「運動の法則」、「オームの法則」や「公転周期の法則」などのごとく関係式で表される法則か、または「エネルギー保存則」や「電荷保存則」などのごとく「保存則」およびその「系」である法則なのである。また、社会科学の法則で多いのは条件式(「〜ならば〜である」という文のことをこう呼ぶ)で表される法則である。そして、いずれの法則も「物事の間に成り立つ関係」であるということが共通して言いるのである。

 しかし、考えてみると「メンデルの遺伝の法則」のメンバーである「分離の法則」は上の法則のどれにも該当していないことが直ちにわかる。なぜなら、この「分離の法則」は先述のとおり「『遺伝』なる現象は『遺伝子』なる離散的な単位で起こる」という法則だからである。しかも、この「分離の法則」についてよく考えてみると先述のとおり同じくドルトンの「原子説」の遺伝学版に相当することが直ちにわかる。

 ところで、言うまでもなくドルトンの「原子説」、アボガドロの「分子説」やプランクの「量子説」はいずれも正しいけれども決してこれらのことを「法則」とは呼ばないのである。なぜなら、先述のとおり「法則」とは「物事の間に成り立つ関係」と定義されており、一方ドルトンの「原子説」や「分離の法則」などはいずれも物事の構造や性質を表してはいるが決してそれらの間に成立する関係を表していないからである。したがって、「分離の法則」はたとえそれが正しくても「法則」としては認めがたいのである。

 したがって、先述のとおりメンデルの「遺伝の法則」はメンデルの「遺伝子説」へと言い換えなければならないのである。つまりメンデルは自ら3つの法則を発見したと宣言しているが、そのうちの「顕性の法則」と「独立の法則」はそのすぐ後にそれらが間違っていることが明らかになったのである。また、「遺伝の法則」の中で唯一正しい「分離の法則」についてもこの学説は「法則」として認められるための条件を備えていないのである。以上のことから、メンデルは何一つ「法則」として認められるものを発見しなかったことになるのである。

「遺伝子」が「分子」でできていることの証…分子遺伝学

 ところで、実はこのように「遺伝」なる現象が離散的な現象であることは「物質」もまた離散的な構造をしていることと密接なつながりがあるのである。すなわち、「遺伝子」もまた「分子」でできているのでこの「分子」が離散的なものである以上当然のことながら「遺伝」なる現象を担う「遺伝子」もまた離散的なものであり、したがって「遺伝」が離散的な現象であるのはごくあたりまえのことなのである。

 もちろん学校教育ではこのような形では教えられていないが、メンデルの「遺伝子説」がドルトンの「原子説」の遺伝学版に相当するという事実は大変重要なことなのである。なぜなら、メンデルの「遺伝子説」とドルトンの「原子説」やアボガドロの「分子説」とが融合して「分子遺伝学」という学際的な学問が誕生したからである。

 この「分子遺伝学」によると、遺伝子や染色体は「DNA」(デオキシリボ核酸)でできており、そのDNAはアデニン、グアニン、シチン、チミン(それぞれA、G、C、Tと略される)という4種類の塩基からできていることがわかっているのである。ところで「遺伝子」にふくまれるDNAはごくわずかなのでそれ自身では身体に影響を及ぼすことは到底不可能であり、したがって、「遺伝子」は身体のある器官に対してある命令を行い、それによって間接的に身体に影響を及ぼすのである。

 このように「遺伝子」の機能は4種類の塩基の配列だけで決まり、しかもその「塩基」自体は身体に影響を及ぼすことができないのでこの「遺伝」のしくみは実に「ディジタル」なしくみであるといえるのである。しかもこのようにそのしくみが「ディジタル」なものは「遺伝」だけではないのである。すなわち「ホルモン」や「神経」もまたそのしくみは「ディジタル」なのである。つまり、「ホルモン」もまたそれを構成するアミノ酸の組み合わせだけでその機能が決まるので「ディジタル」なシステムなのである。

 さらに、「遺伝子」がディジタルシステムであることの証として「遺伝子」の伝わり方とその機能との間にまったく関係がないことがあげられる。すなわち、先述のとおり2つの遺伝子対が互いに独立であるか、それとも連鎖しているかは2つの遺伝子対が異なる染色体上にあるか、それとも同じ染色体上にあるかだけで決まり、2つの遺伝子の機能が互いに似ているかどうかとはまったく関係がないのである。

 しかも、しばしば複数の遺伝子は互いに影響を及ぼしあって「補足遺伝子」などの複雑な表現型についての遺伝をもたらすが、先述のとおりもちろん遺伝子のこのような複雑な相互作用は原子や分子についても見られるのである。たとえば、みなさんもご存知のとおり鉄にクロムとニッケルを混ぜ合わせると鉄とは異なり磁性を持たないステンレスができる。しかし、それでもステンレス中の分子の約3/4は鉄分子なのである(クロム原子、ニッケル原子はそれぞれ1/5、1/20程度)。それなのにステンレスには磁石にくっつくという鉄の大きな特徴が消えている理由は、クロム原子は鉄原子と隣同志になると鉄原子の磁性を打ち消すという性質があるからである。またクロムにはこの他にも他の金属と混ぜ合わせるとその金属をさびにくくするという性質もあり、クロムのこの性質がステンレス(もちろんこの語は”さびにくい”から来ている)などに利用されているのである。

 しかし、原子にも分子のも遺伝子にもそれ自体は(通常の状態では)絶対にまじりあうことがないという共通した性質があるのである。そして、この原子や分子と遺伝子の共通した特徴が決して偶然によるものではなく、「遺伝子」が「分子」からできている以上当然のことであり、このことを裏付ける学問が他ならぬ「分子遺伝学」なのである。

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