「顕性・潜性」は遺伝に関する性質ではない

 さらにもっと根本的なこととして、「顕性、潜性」というのは遺伝そのものに関する性質ではなく、「表現型」に関する性質だということにも気付いてほしい。これを具体的に説明すると、「潜性」遺伝子だからといってもちろん次世代に伝えられずに消滅してしまうわけではなく、顕性遺伝子の機能にかき消されて表現型として現われない、ただそれだけの話なのである。すなわち、この遺伝子の「顕潜」というのは言うまでもなく「遺伝子」の伝わりやすさではなく、「表現型」としての表れやすさのことなのである。

 このことをさらに言うと、「ポリジーン」では複数の遺伝子対が互いに影響を及ぼしあって一つの表現型を表すが、その場合でもそれらの遺伝子対が互いに「独立」であるかそれとも「連鎖」しているかはそれらの遺伝子対が同じ染色体上にあるか否かのみで決まり(このことについては後で詳しく説明する)、それらが互いに影響を及ぼしあうかどうかとはまったく関係ないのである。

 さらに、最近ではメンデルの時代とは異なり顕微鏡などを用いて「遺伝子」なるものを直接見ることが可能となった。この時点で「表現型」は遺伝学の対象から完全にはずされたのである。なぜなら、先述のとおり一つの「表現型」に複数の「遺伝子型」が対応していることが多く、しかも規則正しく遺伝するのは「遺伝子型」であって決して「表現型」ではないからである。したがって、遺伝において「表現型」を問題にするとその解釈がきわめて難しくなるのである。

 したがって、表現型に関する法則を遺伝そのものに関する法則と一緒にするのは「場違い」もはなただしい実に愚かな行為であることがわかる。なぜなら、遺伝学では「遺伝子型」のみを対象とし、決して「表現型」をその対象としないからである。さらにこの理由は、遺伝学は遺伝子の伝わる過程を対象とする学問であり、その遺伝子の機能については一切問題にしないからである。

 そして、遺伝の「顕潜」なるものは言うまでもなく遺伝子の伝わり方ではなくその機能に関する性質である。したがって、学校教育では「遺伝のしくみ」のところで同時に遺伝の顕潜についても教えているが、このやり方などまさに遺伝において「顕潜」の生じるケースをジェネラルケース(本当は「スペシャルケース」である)としている点を抜きにしてもまさに「愚の骨頂」なのである。

 なお、「顕性」、「潜性」は誤ってそれぞれ「優性」、「劣性」と呼ばれることが多く、このことが遺伝子の性質について誤解を招いているのである。すなわち、先述のとおり「優性」、「劣性」はいずれも「表現型」としての表れやすさのことであって、その機能の優劣とは一切関係ないのである。

 さらに言うと、「優性」なる用語が「優生」や「優勝劣敗」などの語と非常に紛らわしいことがこの誤解に拍車をかけているのである。特に、「優生」については「優性」ときわめてよく似た漢字(「生」に対する「性」)が用いられているので非常に混同しやすく、実際にもこの「優生」と「優性」が混同されて用いられている例がしばしば見られるのである。もちろん、本書の読者には絶対にこの「優性」、「劣性」なる表現は使わないでもらいたい。

「無知」が「誤解」をもたらす「外見」と「中身」の混同

 以上のように、このメンデルが発表したとされる「潜性の法則」は実は二重に間違っている法則なのである。つまり、遺伝において顕潜が生じるケースなるものは言わばその一方の遺伝子に機能がまったくないケースのことであり、したがって実はこのケースはむしろ例外的なケースなのである。もう一つは、遺伝の「顕潜」なるものは遺伝における「伝わりかた」に関する法則ではなく「現れかた」関する法則であり、したがってこの法則を「遺伝の法則」のメンバーにふくめることは(たとえそれが正しくても)実に不適切なのである。

 このように、物事の「外見」と「中身」を混同することは科学の初期によく見られる誤解であり、その「誤解」をもたらしているのはもちろん科学がまだ初期の段階であることから生ずる「無知」である。たとえば、鉄にクロムを15%以上混ぜ合わせると鉄とは異なり磁性を持たずさびにくいステンレスができるが、この理由はクロム原子には鉄原子が持っている磁性を打ち消す性質があり、しかもこのクロム原子の働きはきわめて強力なので1個のクロム原子が鉄原子数個分の磁性を打ち消すことができるからである。

 また、鉄にクロムを混ぜ合わせるとさびにくくなる理由はクロムにはもともと空気に触れたときにきわめて丈夫な酸化皮膜をつくる性質があり(「不動態」と呼ぶ)、そのためにクロムは見かけ上さびにくい金属となっているが(本当は鉄よりもクロムのほうがはるかに反応しやすい元素である)、やはりこの性質はきわめて強力なので鉄の中に15%ほど混入されただけでもクロム原子はその合金中でそれをさびにくくするのに充分な働きを示し、その結果それを鉄とは大きく異なりきわめてさびにくい金属であるステンレス(その語源は言うまでもなく”さびにくい”である。)にしてしまうのである。

 しかし、同時に上の2つの例はいずれもクロムによって鉄が元来もっている性質が消されているけれども、(あたりまえではあるが)鉄原子自体は決して消滅していないことをも示しているのである。さらにこの理由は鉄原子自体には「磁性」なるものが存在せず、それに磁性を与えているのは他ならぬ電子の回転運動だからである。そして、この一見するととても奇妙にみえる事実を説明するために化学が発達し、その結果ついに化学がその理由を説明できるレベルにまで進歩したのである。

 そして、ちょうどこのステンレス中のクロムとよく似た働きをする遺伝子が存在し、この遺伝子は「抑制遺伝子」と呼ばれている。この「抑制遺伝子」はその名のとおりそれが存在するときに他のある遺伝子の働きを止めてしまう働きをもっている。そのために「抑制遺伝子」がからむ遺伝は見かけ上(表現型のみを見ると)きわめて複雑なものとなっているが、これを遺伝子型で見ると「親の持っている遺伝子のうちのいずれかが子に伝わる」という他の遺伝とまったく変わらぬ遺伝のしかたをしているのである。

 さらに、この逆のケースとして鉄にアルミニウム、ニッケル、コバルトを混ぜ合わせると鉄よりもはるかに強い磁性を持つ「アルニコ磁石」をつくることができる。しかし、考えてみるとこのうちアルミニウムはまったくと言ってよいほど磁性を持たず、またコバルトやニッケルにしても鉄より弱い磁性しか持っていないのである。

 この奇妙にみえる事実はちょうど科理において砂糖に少量の塩を加えると砂糖のみの場合よりもはるかにその甘味が増すことと同じ原理で説明できる。つまり、われわれ生物の味覚はきわめて複雑なしくみをしており、甘味もこの例にもれず砂糖のみならず塩もそれに関与しているからである。

 つまり、物質中に存在する自由電子の数がある数となったときにその磁性が最大となるが、自由電子の数がこの「ある数」よりもほんのわずかに多いか少ないだけでもその磁性は大幅にダウンしてしまうのである。そして、実はアルニコ磁石中のアルミニウム、ニッケルやコバルトにはこの自由電子の数を磁性が最大となる数にする役目を持っているのである。したがって、このアルニコ磁石中の鉄、アルミニウム、ニッケルやコバルトの比率はある値しか許されず、しかもこの「ある値」からのわずかな「ずれ」しか許されないのである。

 そして、やはりちょうど砂糖を用いた科理における少量の塩やアルニコ磁石中のアルミニウム、ニッケルやコバルトとよく似た働きをする遺伝子が存在し、この遺伝子は「補足遺伝子」と呼ばれている。この「補足遺伝子」はそれが存在するときに他のある遺伝子の働きを強めるかまたはそれと協調しあって一つの表現型をもたらす働きをもっている。

 ただし、この「補足遺伝子」が関与するケースでは「表現型」について複数の解釈が可能である。具体例をあげると、花びらの色素(Aとする)をつくる遺伝子(Aで表す)とその色素を発色させる物質(Bとする)をつくる遺伝子(Bで表す)がそれぞれ別々に存在し、かつ花びらの色はAとBが両方揃った場合以外は無色となるかまたはAが存在してもBが存在しない場合にはAとBが両方揃った場合よりも薄い色となるケースが実在する。このケースでは花びらの色を「表現型」と見なすとその遺伝のしかたはきわめて複雑にみえる。しかし、花びらにふくまれている物質を「表現型」と見なすとその遺伝のしかたは他の遺伝と同じくきわめて単純である。

 そして、この花びらの色素を発色させる物質をつくる遺伝子こそがまさに花びらの色についての「補足遺伝子」なのである。つまり、「補足遺伝子」(先に述べた「抑制遺伝子」も同じ)はその名のとおり単独では「表現型」として目に見える形で表れてこない「裏方」なのである(したがって、抑制遺伝子はいわば負の補足遺伝子であると考えることができる)。

 以上のように、メンデルは自ら創設した「遺伝学」なる学問がまだ初期の段階であるがゆえに生じた「無知」のために「遺伝子型」と「表現型」を混同し、さらには、えんどう豆についての遺伝しか知らなかったがゆえにこの「えんどう豆」の遺伝についての傾向をすべての遺伝に適用できる「法則」であると思いこむという誤ちをおかしたのであった。

 そして、このメンデル以上に悪いのはもちろんメンデルの考えには多くの誤りがあるのもかかわらず、それを修正せずのそのまま鵜呑みにしたり、あるいはこのように数多くの誤った考えをしたメンデルを賞賛するばかりで決して批判しようとしない後世の学者である。言いかえると、「無知」であるがゆえに生じた「誤解」はどうしようもないことなので許されるが、一方「無知」でもないのに生じた「誤解」は故意に生じたものなので絶対に許してはならないのである。

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