「オームの法則」の不思議

 みなさんもご存知のとおり「オームの法則」は通常「電流はそこに加えた電位差(もしくは電圧)に比例し、その電気抵抗の大きさに反比例する」という記述になっている。さらに、その電気抵抗の大きさについては「電気抵抗の大きさはその物体の長さに比例し、断面積に反比例する」という記述になっている。このように、言うまでもなく「オームの法則」とは「電気抵抗」なる物理量を定義する法則なのである。なお、「電気抵抗」の代わりに「コンダクタンス」(電気抵抗の逆数、その単位はS)を用いることもあり、この場合はもちろん「電流は電位差、コンダクタンスにそれぞれ比例する」という表現となる。

 ところで、あたりまえではあるが物体は点ではなくある体積をもっている。したがって、この2つの関係式(かつ「法則」でもある)は決してそれぞれ独立したものではなく、これらを合わせて1つの法則として表すことができるのである。

 すなわち、電流も電位差も物質中のすべての微小領域における電流や電位差の総和なのである。そして、この微小領域における電流を表す物理量として「電流密度」(単位面積あたりの電流、その単位はA*m^-2)、電圧を表す物理量として「電界強度」(単位距離あたりの電位差、その単位はV/m)を定義することができる。そしてこの「電流密度」および「電界強度」を用いると、この法則は「電流密度はそこに加えた電界強度に比例する」という表現に書き改めることができる。

 ここで、この比例定数として「導電率」(電流密度の電界強度に対する比、その単位はS/m)あるいは「抵抗率」(導電率の逆数、その単位はΩ*m)なる物理量を定義する。そして、この「導電率」を用いると、電気抵抗の大きさについては「電気抵抗の大きさはその物体の長さに比例し、その断面積、その物質の導電率にそれぞれ反比例する」という関係式が成り立つ。なお、この法則は「オームの法則の点についての表示」と呼ばれている。そして、この法則こそが真の意味での「オームの法則」なのである。なぜなら、次に述べるとおり「導電率」なる物理量は物質の種類のみで決まるからである。

電子から見た「オームの法則」

 ところで、電流密度は「電子1個あたりの電荷」、「単位体積あたりの電子の個数」および「電子の移動速度(この速度のことを『ドリフト速度』と呼ぶ)」の積で表すことができる。また、電子が受ける力は電子の電荷、電界強度にそれぞれ比例する。したがって、以上のことから電子の速度はその電子が受ける力に比例することになる。

 一見すると、この事実は電子はニュートン力学に従っていないように見えるのである。なぜなら、「オームの法則」を電子サイドから見ると電子が受ける力と速度が比例関係にあるという、まさにアリストテレスの考えた物理法則に従っているように見えるからである。

 ここで断っておくが、もちろん電子の運動もニュートン力学に従っている。それにもかかわらず、電子の移動速度がその電子の受ける力(および加速度)に比例する理由は、電子のドリフト速度はその本当の速度よりも桁外れに小さいからである。つまり、電子ももちろん気体分子などと同じく熱運動しているが、その速度は常温で100km/sぐらいである。すなわち、電子の熱運動の速度は宇宙船などと較べても桁外れに大きいのである。

 それにもかかわらず、熱運動(電子に限らない。なお、熱運動の特徴については次で詳しく述べる。)は絶えずその運動の方向を変化させるという特徴があるためにその時間平均をとるとゼロになってしまうのである(速度はベクトルであることに注意せよ)。したがって、充分長い時間においては電子は事実上移動していないことになる。したがって、この電子の熱運動は電流とは直接関係ないのである。そこに電圧をかけると、ニュートン力学のセオリー通り電子は加速度運動するが、電子はそのまわりの原子と絶えず衝突しているためにほとんど電界による加速を受けないのである。

 それでも、電子は電界による加速のために電界が存在しない場合と比べて多少その速度が変化している。その速度は電界強度、電子が加速を受ける時間にそれぞれ比例している。そのうち、電子が加速を受ける時間は原子間に距離に比例し、電子の熱運動の速度に反比例する。さらに、電界による電子の速度の変化は電子の熱運動の速度と比べて桁外れに小さいので、電子が加速を受ける時間は電界強度に関係なく一定であると近似できるのである。以上のことから、通常の電界強度の範囲内では電子のドリフト速度は電界強度に比例し、このことがいわゆる「オームの法則」となるのである。

 また、物質の温度が高くなると電子の熱運動の速度が大きくなるので電子が単位時間内に原子と衝突する回数が多くなり、電子が加速を受ける平均時間が短くなる。このことが一般に導体の温度が上がるとその電気抵抗が大きくなる(ただし半導体や絶縁体は例外)理由である。

 ところで、電流が流れているときの電子の運動はその熱運動とドリフト運動が重畳したものとなる。したがって、このときの電子の速度の平均はドリフト速度と一致しているのである。なお、導体の温度は電子の熱運動の速度の平均ではなく分散と関係していることに注意してもらいたい(このことを気体全般へ一般化したものが他ならぬ分子運動論である。この分子運動論については次で詳しく述べる)。

 ところで、電流の伝わる速さは電子の熱運動の速度ともドリフト速度とも異なっているのである。つまり、ご存知のとおり電流の伝わる速さは電磁波(光もその一種である)が伝わる速さ(2.9979*10^8m/s)とまったく等しいのである。そして、この理由は電流が伝わるということはすなわち電界が伝わるということだからである。つまり、電流の原因となっているものは言うまでもなく電界である。したがって、電流が伝わるということは決して「電子」自身が伝わるということではなく「電子の運動」という現象が伝わることなのである。

 したがって、「電流の伝わる速さ」とは言うまでもなく「『電流』という現象の伝わる速さ」のことなのである。したがって、「電流の速さ」なる表現はきわめて誤解を招きやすい表現(電子自身の速度(これ自体2種類ある)と間違われやすい)なので絶対に避けねばならず、この速度についてはもちろん「『電流』という現象の伝わる速度(あるいは『速さ』)」と表現するのが適切である。

「物理」というよりもむしろ「化学」法則…「オームの法則」

 ところで、「オームの法則」が成立する場面を考えると、電気エネルギーが熱エネルギーに変化しているケースだということがわかる。したがって、この「オームの法則」は単なる電磁気学の法則ではなく、熱力学の法則でもあると考えられるのである。なぜなら、先述のとおり電気エネルギーが熱エネルギーに変化する過程は不可逆過程であるからである。また、この法則では直接触れられていないが「オームの法則」は導体を流れる電流のエネルギーは導体に蓄えられずに他の形態のエネルギーに変換されることが述べられているのである。つまり、電気抵抗(およびコンダクタンス)なるものは物質が電気エネルギーを熱エネルギーに変化させる能力(「エントロピー」のところで触れたとおり、この能力は生物にとって決して都合の良いものではないが)を表しているのである。

 また、先述のとおり「オームの法則」は原子が互いに接触しあっていてそのために電子が自由に運動できないという特殊な条件下でのみ成立する法則なのである。われわれがこの条件が特殊な条件であることに気付かないのはわれわれの身のまわりの物質が原子からできているためである。そして、この「オームの法則」のように「原子」や「電子」の存在を前提とした法則は物理法則とは認められないのである。

 なぜなら、物理学は(力学でも電磁気学でも)物体の質量や電荷だけを問題にするからである。さらに言うと、物理学は「原子」のように小さなものも「天体」のように大きなものもまったく同じ理論で扱うことができるのである。そして、言うまでもないことであるが物質は「分子」や「原子」、さらには「素粒子」(「電子」もその一種である)からできているが、物理学はこうしたことを一切問題にしないのである。

 なお、もちろん物質が「分子」や「原子」でできていることを問題にする学問もちゃんと存在し、その学問が他ならぬ「物性学」なのである。さらに、この「物性学」の中でも物質の相互作用を扱う学問は特に「化学」と呼ばれている。そして、この「物性学」と「物理学」の最大の違いは物質に対して「物性学」は具体的、一方「物理学」は抽象的な考え方をするところである。

 したがって、この「オームの法則」は「物理学」よりもむしろ「物性学」(「化学」もその一分野である)で扱うべき法則である。なぜなら、先述のとおり「オームの法則」は電子が自由に運動できないという特殊な条件を前提とする法則であり、したがってこの法則を物理法則とは考えがたく、強いて言えばむしろこの法則は化学法則であると考えたほうが適切なのである。なぜなら、「オームの法則」は「原子」や「電子」の存在を前提条件とするが、このような考え方はまさに化学の考え方であるからである。

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