「ガウス分布」の本質…「中心」をもつ分布
なお、分子の熱運動の速度分布についてはその速度をx,y,zの3成分に分解したときそのx成分(もちろんy,z成分についても同様である)の分布はガウス分布(平均をμ、分散をvをするとその分布関数は(1/√2πv)e^(-(x-μ)^2/2v)なる式で表される。)となることが証明されている。ここで、速度の分散はkT/m(Tは温度、mは分子の質量、kはボルツマン定数)となることが確かめられている。なお、一つの分子がその速度をとっている時間の分布(「時間平均」と呼ぶ)を考えてもその速度をとっている分子の分布(「集団平均」と呼ぶ)を考えてももちろん同じ分布関数が導き出せる。
なお、分布の散らばり具合を示す量として「分散」の代わりにこの正の平方根である「標準偏差」を用いることが多い。なぜなら、この「分散」の次元は偏差(平均との差を「偏差」と呼ぶ)の2乗となっているためにその値の意味を理解しにくいからである。
そして、このように散らばり具合を表すのには「偏差」そのものではなくその2乗やさらにその平方根を用いる理由は言うまでもなく偏差をそのまま平均するとゼロになってしまうからである。しかし偏差の2乗ならば常に正となり、しかも平均から離れるほどその方向を問わずその値は大きくなるので分布の散らばり具合を示すのに好都合なのである。そして、実はこの「標準偏差」は他にも波動や交流の強さを示す量などに用いられており、この場合にはこの量は「標準偏差」ではなく「実効値」と呼ばれている。しかし、この「標準偏差」も「実効値」も2乗の平均の平方根で表されるため、数学的にはこの両者はまったく同じものである。そして、このような2乗の平均(およびその平方根)で表されるものを総称して「2次モーメント」と呼ぶのである。
ところで、熱運動の速度の代表値として「2乗平均速度」を用いることが多いが、実はこの「2乗平均速度」は分子の速度の標準偏差の√3倍となっているのである。この理由は、分子の直線運動の自由度が「3」となっているからであり、さらにこの理由は言うまでもなく分子が運動している空間が3次元だからである。なお、このことは「ピタゴラスの定理」を用いれば証明できる。
なお、ガウス分布は左右対称であり、かつその中央の密度が最も大きくなっているが、この理由はガウス分布が中心をもつ分布だからである。すなわち、ガウス分布が左右対称なのはその分布密度が中心からの変位の大きさ(距離)だけに関係し、その符号(方向)は一切関係しないからである。この事実は1次元のガウス分布ではわかりずらいが、多次元でのガウス分布になるとはっきりとわかるのである。
「横道」にそれた論議…「速さ」の分布
しかし、このように分子の熱運動の速度の分布を考えるときにその速度をベクトルとして扱うことは少なく、むしろその速度の大きさ(「速さ」のこと)だけを問題にすることのほうが多い。しかし、速度の分布を扱うときにその大きさだけを考えることは実は物理学の本筋から外れた論議となるのである。なぜなら、先述の「エネルギー等分配則」においてそのエネルギーは分子単位ではなく分子運動の自由度単位に分配されるからである。
したがって、先述の「2乗平均速度」から分子1個あたりの直線運動のエネルギーは3kT/mであることが求められるが、実はこの直線運動のエネルギーはx,y,z方向への運動エネルギーの総和なのである。なぜなら、力学では直線運動は互いに垂直な3つの運動(このこと自体が空間が3次元であることと密接に関係している)を合成したものと考えるからであり、「自由度」(物体1個あたりの独立した運動の数のこと)なる概念もこの事実から考え出されたのである。
なお、熱運動の速さの分布関数をグラフに描くとゼロでないある速さのところが最も多くなるのである。この事実は一見すると前に述べた速度の分布関数はその速度空間の中心(中心ではもちろん速さはゼロである)が最も密度が大きくなることと矛盾している。しかし、速度空間の中心での密度が最大であることは決してこの速度空間の中心付近にある分子が多いことを意味しないのである。そしてこの理由は、通常の都市ではその都心付近での人口密度が最大であるにもかかわらず都心付近に住んでいる住民の数が少ないこととまったく同じである。
すなわち、円の面積はその半径の2乗に比例し、球の体積は同じく3乗に比例するのでその円や球の中心付近よりも周辺のほうがその面積や体積がはるかに大きくなるのである。したがって、一般には都心付近での人口密度が最大となるが、都心に近い地区よりもその都心から離れた地区のほうがはるかに広いために都心付近よりもむしろその周辺に住んでいる住民のほうがはるかに多くなるのである。
なお、熱運動の速さの分布を求めるには先述の速度分布関数√(m/2πkT)^3*e^(-(Vx^2+Vy^2+Vz^2)m/2kT)dVxdVydVz(dVx、dVy、dVzはそれぞれ速度のx,y,z成分、その他の意味は先述の式と同じ)に速度空間における速さを半径とする球の表面積(4πV^2(Vは速さ))を掛けねばならない。したがって、熱運動の速さの分布関数は4πV^2*√(m/2πkT)^3*e^(-V^2*m/2kT)dVなる式で表されるのである。
そして、この関数を数学的に言うと自由度が3であるχ分布となっているのである。ここで「χ分布」とは多次元ガウス分布における各成分の偏差の2乗の和の平方根の分布のことである。なお、各成分の偏差の2乗の和の分布は「χ2乗分布」と呼ばれている。そして、先述の速さの分布関数から直ちに分子の運動エネルギーの分布が自由度が3のχ2乗分布となることがわかるのである。
ところで、「χ分布」の幾何学的な意味はn次元のユークリッド空間における中心からの距離の分布(「χ2乗分布」はその2乗の分布)に他ならないのである。そして、これらの分布において「自由度」とは言うでもなくこの分布における次元の数のことである(したがって、「次元」とは一種の「自由度」なのである)。
そして、こうして求めた熱運動の速さの分布がきわめて複雑な式で表される関数となっていることからも想像できるように、熱運動の速度をベクトルとして考えずにその大きさだけを考えることはやはり横道にそれた論議となるのである。なぜなら言うまでもなく速度は「ベクトル」であり、したがって速度はもちろん「ベクトル」として扱う必要性があるのである。したがって、このような本質をもっている速度の分布について、その方向を無視して大きさだけを問題にすることは明らかに物理学の本筋から外れているのである。