熱運動は速度の「平均」ではなく「分散」で表される

 物質の温度が高いほどその分子の速度の平均が大きくなると考えている者が実に多いが、明らかにこの考えは間違っている。なぜなら、速度はベクトルであり、かつ分子は任意の方向に運動しているために分子の速度をそのまま平均すると零ベクトルになってしまうためである。また、この考え方だと地球以外の天体にある大気は猛烈な速度で運動しているのでものすごい高温になるはずである。そのうえ、速度は慣性系によって変化する相対的なものであるため物質を観測する慣性系によってその物質の温度が変化するという奇妙なことが起こるはずである。

 しかし、実際には惑星のようにきわめて高速で運動している物体でもその表面の温度はきわめて低いことが少なからずあるのである。したがって、温度はどんな慣性系から見ても一定であると考えるより他にないことがわかる。

 ここで、(教科書にも書かれていることだが)物質の温度が高いほどその分子の運動エネルギーの平均が大きくなるということを思い出してほしい。そして、あたりまえすぎて意外に知られていないことだが分子の運動エネルギーはその速度の絶対値だけで決まりその分子が運動する方向とは一切関係がないという法則がある。この事実は、たとえ全分子のベクトルとしての速度の平均がゼロであっても、すべての分子の速度がゼロでない限りその運動エネルギーはゼロにならないことを意味しているのである。

 したがって、分子の速度の平均はその物質の温度とは無関係で、かつ物質の温度が高いほどその分子の速度の分散(ある量の2乗の平均を「分散」と呼ぶ)が大きくなると考える以外にないのである。なぜなら、速度の平均はそれを観測する慣性系によって変化するが、分散は慣性系によらず一定だからである。

 なお、このように速度の分布を論じるときには「速度空間」なるものを考えるときわめて便利である。この「速度空間」とは、速度を位置ベクトルで置き換えた仮想的な空間のことである。また、この「速度空間」では相対速度は変位ベクトルで表され、「速さ」(速度ベクトルの大きさ)は「距離」で表される。なぜなら、言うまでもなく「距離」とは変位ベクトルの大きさのことだからである(「変位」はベクトル、「距離」はスカラーであることに注意せよ)。

 この「速度空間」を用いて分子の速度の分布を表すと、低温のときには各分子が速度空間の中心付近に集中しているが、高温になると速度空間の中心から離れたところにも分布するようになる。したがって、高温のときは低温のときよりも分子の速度空間の中心付近での分布密度が小さくなり、速度の分散が大きくなるのである。しかし、分布の中心(後述のとおり速度の平均と一致)は温度によらず一定である。また、その分布の中心は物質自身の速度と一致している。特に電子の場合はこの速度のことを「ドリフト速度」と呼び、先述のとおりこの「ドリフト速度」は電子の熱運動の速度よりも桁外れに小さいのである。

 また、このように一般の(物質自身が運動している場合の)分子の運動は熱運動とその他の運動が重畳した運動となるが、その運動エネルギーもまた熱運動のエネルギーとその他の運動エネルギーとの和となるのである。なぜなら、質点系(複数の質点の集合をこう呼ぶ)の運動は質点系の重心の運動とその質点系の重心に対する各質点の運動(「回転運動」がその最もポピュラーな例である)の2つに分けて考えれるからである。そして、その運動エネルギーも同じく質点系の重心の運動に関するものと質点系の重心に対する運動に関するものに分けることができるのである(このことは、「ピタゴラスの定理」を用いれば証明できる)。

 たとえば、直線運動しながら回転している物体の運動エネルギーはその直線運動のエネルギーと回転運動のエネルギーとの和となるが(この場合、「直線運動と回転運動とが『重畳』している」と表現する)、この物体を無限個の質点に分割してそれらの運動エネルギーの総和を求めてもやはり同じ運動エネルギーの値が求められるのである。そして、もちろん熱運動とその他の運動が重畳した運動において回転運動に相当するものは熱運動であり、一方、直線運動に相当するものはその他の運動である。

 なお、力学系のみならず電気系などにおいても電流や電圧などがその2乗がエネルギーに対応するものについて「重畳」なる考えが適用できるのである。すなわち、ご存知のとおり絶えずその大きさや向きを変化させている電流は「直流分」と「交流分」とに分けて考えることができ、この電流においてその時間平均が「直流分」となり、それからこの「直流分」を差し引いたものが「交流分」となるのである。ここでもちろん熱運動以外の運動に相当するのが「直流分」であり、熱運動に相当するのが「交流分」である。

熱運動の最大の特徴…等方性

 ところで、分子へのエネルギー(後述のとおり、運動エネルギーのみならずすべてのエネルギーについてこの法則があてはまる)の分配についてはある法則が成り立っているのである。この法則が「エネルギー等分配の法則」である。この法則の意味は「熱エネルギーはすべての分子の1自由度あたりに平均1/2kTづつ分配される」(なお、この法則は気体の場合のみに成り立つ)であるが、この法則をよく見ると、大きな分子にも小さな分子にもその1自由度につき同じ量のエネルギーが分配されていることに気付くであろう。

 すなわち、この「エネルギー等分配の法則」なる法則は「一寸の虫にも五分の魂」ならぬ「一寸の虫にも十分の魂」(実際にはこのことわざは存在しないが)ということわざの意味とまったく同じ意味なのである。つまり、「一寸の虫にも五分の魂」なることわざの意味は「どんなに小さな生物にもそれ相応の生きる権利を持っている」であるが、この「エネルギー等分配の法則」は先述のとおり「どんなに小さな分子にも大きな分子と同等のエネルギーが分配される」という意味の法則である。

 すなわち、「一寸の虫にも五分の魂」中の「五分の」なる語の意味は言うまでもなく「それ相応の」という意味であるが、「エネルギー等分配の法則」においてはこれに当たるところが「それ相応の」ではなく「同等の」という意味となっていることに気付いてもらいたい。つまり、「エネルギー等分配の法則」で述べられていることは古くから言われている「一寸の虫にも五分の魂」ということわざの意味をも超えているのである。

 また、異なる分子同志へのエネルギーの分配のみならず、同一分子の異種のエネルギーの分配についてもこの「エネルギー等分配則」が成立しているのである。その例として、分子の速度の分布密度は熱運動の大きさだけで決まり、その方向とはまったく関係がないことがあげられる。この理由は、原子、原子核、水滴、天体など自分の力でその形を保っている物体が球に近い形をしているのとまったく同じなのである。すなわち、物体が球以外の形をしている場合にはその原因を考えねばならないのである。例えば、自転している天体はその極方向につぶれた形をしているが(しかも、公転速度が大きいほどその天体のつぶれ方が大きくなる)、この理由は自転している天体には重力のみならずその天体の自転による遠心力が働くからである。しかも、この遠心力は赤道と両極では大きな差があり(遠心力は赤道に近いほど大きくなる)、この遠心力の差が天体をその極方向につぶれた形に変形させているのである。

 しかし、球はその中心を通るどの軸や面に対しても対称である。したがって、球には特別な方向が存在せず(このことを「方向性がない」と表現する)、したがって分布の形が球形をしていることを説明するにはその特別な理由を考える必要がないのである。以上のことから、分布についてその特別な理由がない限り方向性がないと考えるのがごく自然なのである。

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