「凝固点降下」の不思議

 ご存知のとおり、食塩水は純水が凍る温度になっても凍らない。この事実は、食塩水の凝固点(融点と同じ温度)が純水よりも低くなることを証明している。さらには、食塩水中の食塩の濃度が大きいほどその食塩水の凝固点は低くなるのである。例えば、飽和食塩水(食塩濃度25%の食塩水)であればその食塩水は-22℃になってはじめて凍るのである。

 ところで、食塩の融点は800℃である。この温度は水の融点(0℃)よりもはるかに高く、したがって単純に考えると食塩水の凝固点(融点も同じ)は純水の凝固点よりも高くなるはずである。それなのに事実食塩水の凝固点は純水の凝固点よりも低くなっている。このことについて他の例をあげると、錫、鉛の融点はそれぞれ232℃、327℃である。しかし、この錫と鉛の合金であるはんだの融点は183℃となる。このように、混合物の融点は一般にその構成物質の融点のどれよりも低くなるのである。

 このように、混合物の融点がその各成分のどの融点よりも低くなる現象を「凝固点降下」と呼ぶ。その例として2種類の固体を接触させただけでそれらの境界面から2種類の固体が混合物として融け出してくる現象も見られ、この現象を「共融」と呼ぶ。これらの現象は道路に積もった雪や氷を融かすのに利用されている。また、このときに大量の融解熱を必要とするのでこの混合物の温度はそれらの物質が固体だったときよりもずっと低くなり、この現象は「寒剤」として実際に利用されている。この事実は混合物の融点(=凝固点)を決める要素がその構成物質の融点以外にも存在することをほのめかしているのである。

 その逆に、液体の混合物(「溶液」はその例)が凝固するときにはその成分が分離しようとするのである。たとえば、食塩水が凍るときにはまず食塩濃度の小さい氷ができ、その氷がその中に食塩の結晶を抱え込むのである。したがって、氷と食塩は「混合物」として一緒に固体をつくりにくいのである。この事実は、混合物が固体をつくることがきわめて困難なので混合物は純物質よりも「液体」として存在しやすいことを見事に証明している。そして、やはり後述のとおりこの理由は混合物が純物質よりもはるかにエントロピーが大きい状態だからである。

対称性…「融点」を決める最大の要素

 この凝固点を決定する要素は、純物質の場合には分子の形であり、物質を構成している分子の対称性が大きいほど融点が高くなるのである。例えば、ベンゼン、トルエンの融点はそれぞれ6℃、-95℃である。ここで分子の形を調べるとベンゼン分子は6個の炭素原子が環状に同一平面状に並んだ形をしており、したがってその分子の形は六角形である。一方、トルエン分子はこのベンゼン分子中の水素原子をメチル基(炭素原子に水素原子が3個ついたもの)で置換したものであり、したがって当然のことながらベンゼン分子のほうがはるかに分子の対称性が良いのである。

 この理由は、対称的な形をした分子のほうが安定した結晶をつくることが可能なので、その結晶格子を崩すのに大きなエネルギーを必要とするためである。そして、あたりまえのことであるが分子同志の結合が強いほどその物質の融点は高くなるのである。そして、言うまでもないことであるが混合物は純物質よりもその対称性が悪いために安定した結晶をつくることができず、したがって液体(溶液)として存在したほうがエネルギー的により安定しているため、その融点が低くなるのである。

 この事実は「エントロピー」なる語を用いて次のように解釈できるのである。すなわち、「エントロピー」なる物理量はその系の構造の複雑さを表す量であるとも考えることができる。そして、あたりまえのことであるが混合物は純物質よりも複雑な構造をしていると考えれる。そして、対称的な形をした分子はそうでない分子よりも単純な構造をしていると考えれる。したがって、当然のことながら純物質の場合はその分子が対称的な形をしているほうが単純な構造をしていると考えれるのである。したがって、複雑な構造をしている物質ほど例外なくその融点が低くなっていることがわかるのである。

 ところで、先述のとおり物質はその温度が高いほどそのエネルギーのみならずエントロピーも大きくなるのである。また、やはり液体は固体よりもエネルギーのみならずエントロピーが大きい状態なのである。そして、その物質が「固体」、「液体」どちらの状態として存在するかはそのエネルギーやエントロピーのみでは決まらないのである。すなわち、その物質のエントロピーが大きいとより小さいエネルギーでも液体として存在できるのである。

 ところで、この理論に従うと複雑な構造をしている物質ほどそのエントロピーが大きくなるのでその融点が低くなることがわかる。この結論は先に述べた事実とまったく一致している。したがって、物質の融点を決める要素としてその「対称性」(なお、「純粋性」も「対称性」の一部である。)がかなり大きな比率を占めていることが明らかである。

 ところで、沸点については「凝固点降下」のような奇妙な現象はほとんど見られない。この理由は、「沸点」を決める要素が「融点」を決める要素とは異なっているからである。すなわち、「沸点」はほとんど分子間の引力だけで決まり、したがって混合物の沸点はその成分の沸点の中間の温度となり、しかもその温度が一定ではなくある幅をもっている。さらには、混合物が沸騰するときにはその各成分がその沸点の低い順に別々に沸騰する現象も見られる。したがって、融解に限らず物質が相変移するときには一般にその各成分が分離しようとするのである。

 一方、先述のとおり分子間の引力は「融点」にはほとんど関係せず、「融点」はほとんど分子の充填のしやすさで決まるのである。この理由は、言うまでもなく「結晶」という固体独特の構造にある。すなわち、「結晶」をつくるにはその構成分子の粒がそろったものである必要があるので、原則として同種の分子しか「結晶」をつくることが許されないのである。ただし、異種の分子でもその大きさや形がほぼ等しければ複数種の分子が混じった「結晶」をつくることが可能であり、このような結晶は「固溶体」として知られている。したがって、混合物は原則としてそのままでは固体をつくることが不可能なので純物質よりも固体として存在しにくく、混合物のこのような性質が「凝固点降下」などの一見奇妙な現象として表れるのである。

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