似て非なる法則
ご存知のとおり、熱力学の法則にはエネルギーに関する法則とエントロピー(この「エントロピー」についてはすぐ後で詳しく述べる)に関する法則がある。ただし、この熱力学の法則もそのうちの2番目の法則(「熱力学第二法則」のこと)がずば抜けて重要である。そして、この「熱力学第二法則」が熱力学の法則群中でずば抜けて重要な理由は、もちろんこの法則が「熱はつねに高温の物体から低温の物体へ移動する傾向がある」という意味となっていることからもわかるように、物理現象ではきわめて珍しい「不可逆現象」と密接に関係しているからである。すなわち、この法則は物理法則ではほとんど唯一の「非保存則」(「保存則」の対義語、変換の方法や経路によってその物理量の総量が変化するという科学法則)であるところがこの法則最大の特徴なのである。
なお、誤って「熱力学第二法則」と「エントロピー増大則」を同一の法則であると考えている者が実に多いが、実はこの「熱力学第二法則」は「エントロピー増大則」の一部ではあるが決してこの法則と同一の法則ではないのである。すなわち、例をあげるとご存知のとおり煙は空気中に拡散しようとする傾向にあり、一旦拡散してしまった煙は二度と再び一点に集まることは起こらないのである。しかし、このような煙をはじめとする気体の拡散現象は熱とは関係ないのでもちろん熱現象にはふくまれないのである。
さらに例をあげると、ことわざに「覆水盆に帰らず」なるものがある。このことわざの意味は、言うまでもなく「一度盆からこぼれた水はもう二度と盆には戻ってこない」という意味である。ここで、「水が盆からこぼれる」という現象を物理学的に表現すると「水が盆のまわりに拡散する」という現象となる。このように、この世のすべての物質やエネルギーは拡散する傾向にあることがわかる。したがって、先述の熱現象の不可逆性についても「熱はつねに拡散する傾向にある」と解釈すると今述べた気体の拡散現象と同じ法則で解釈できるのである。
この法則こそが、他ならぬ「エントロピー増大則」なのである。この法則は、「エントロピーは時間の経過とともにつねに増大する」という意味の法則である。なお、物質やエネルギーなどはいずれも空間上の一点に集中しているよりも拡散しているほうがエントロピーが大きくなることが証明されている。したがって、この「エントロピー増大則」は「拡散の法則」とも呼ばれているのである。したがって、「熱力学第二法則」は「熱現象におけるエントロピー増大則」あるいは「熱現象における拡散の法則」と呼ぶのが適切であろう。なお、言うまでもなく「熱力学第一法則」は「熱現象におけるエネルギー保存則」と呼ぶべきであろう。
「熱エネルギー」には「エントロピー」がつきまとう
ところで、実は「エントロピー」なる物理量は物理系の乱雑さを示す物理量なのである。したがって、言うまでもなく物質やエネルギーが散らばっているほうがより乱雑な状態なのでよりエントロピーが大きい状態となるのである。ところで、熱エネルギーの正体はミクロな分子の運動エネルギーの総和(このことについては後で詳しく解説する)なのである。この分子の運動は他の分子の運動との間に何の相関もなくばらばらである。そして、言うまでもないことであるが物質の温度が高くなるとその物質がもっている熱エネルギーも大きくなり、したがってその物質をつくっている分子の運動も激しくなるのである。したがって、その物質の分子の運動もより乱雑になり、その結果その物質のエントロピーも大きくなるのである。
そして、物体に同じ量のエネルギーを与える場合にも高温の物体よりも低温の物体に与えたほうがその物質により大きなエントロピーを与えたことになるのである。このことが、熱から他のエネルギーを取り出そうとするときには必ず低温の物体が必要となるという、一見不可解な事実の理由である。
すなわち、物体からエネルギーを取り出すことは同時にその物体からエントロピーを奪うことをも意味しているのである。したがって、「エントロピー増大則」からその物体から奪ったエントロピーと同じ量かそれ以上のエントロピーを他の物体に与えねばならない。ここで同じ量のエントロピーを与える場合でも低温の物体に与えるほうが高温の物体に与る場合よりも同時に与えるエネルギーの量が少なくてすむのである。したがって、高温の物体から低温の物体へ熱エネルギーを移すとその差額のエネルギーを「仕事」として利用することができるのである。これが「熱機関」(蒸気機関、内燃機関など)の原理である。