正しい理解がなされていない「双子のパラドックス」
「双子のパラドックス」は相対性理論の教材として広く用いられていることからもわかるとおり、きわめて有名な話である。この「双子のパラドックス」は次のような内容である。あるところに双子の兄弟A、Bがおり、そのうちのAが光速に近い速さの乗物に乗って長時間、長距離にわたる旅行をした。このときAとBはまったく同じ時刻に生まれたにもかかわらず(双子だからあたりまえではあるが)、Aがこの旅行から帰ってきたときにはBはAよりもかなり老けていた、という話である。
この「双子のパラドックス」なる話で最も言おうとしていることは、言うまでもなく「運動している物体は、静止している物体よりも時間がゆっくり進む」という特殊相対性理論(相対性理論のうち、等速度運動のみを扱うものを「特殊相対性理論」と呼ぶ。)の中でも特に有名なセオリーである。
しかし、ここで言っておくべきことがある。それは、運動は相対的なものであるということである。つまり、物理学のセオリーに従えばに乗物に乗っている者から見ればその乗物こそが静止しているのである。したがって、Aから見ると運動しているのはBのほうであり、したがってBの時間の経過こそがゆっくりしているはずである(実際にはそうならないが)。
これに対する世間一般の反論のしかたは次のとおりである。
Aは旅の途中で必ずUターンをせねばならない。AがこのUターンをしている間は等速度運動をしていないのでAから見たBの時間の経過のしかたを特殊相対性理論で説明することは不可能である。したがって、このケースにおけるBの時間の経過を説明するには一般相対性理論(相対性理論のうち、先にあげた「特殊相対性理論」以外のものを「一般相対性理論」と呼ぶ。)を用いねばならないのである(実を言うとこのことは特殊相対性理論のみでも充分説明できる)。
そして、一般相対性理論では加速度運動は重力場における運動におきかえることができ、しかもこの重力場やそれと等価な加速度は絶対的である。すなわち、AがUターンをしているときはAから見てもBから見ても同様にAが加速度運動をしているのである。さらに、この仮想的重力場にいる観測者は仮想的重力場の外にいる観測者よりも時間の経過のしかたがゆっくりしているので逆に重力場内にいる観測者から見るとその外にいる観測者の時間が速く経過するのである。したがって、AがUターンをしている間にBが急激に老けることになるのである。
しかも、仮想的重力場の強さはこの仮想的重力場におかれている物体の距離に比例し、さらに重力場が強いほどこの時間の経過の違いが大きくなるのである。したがって、Aが旅行をしている時間が長くなるほどAは遠いところでUターンをすることになるので(何者も光速よりも速く移動できないことに注意せよ)、AのUターン中のAから見たBの時間の経過も急激となり、この時間の経過はちょうどAが旅行をしていた時間に比例するのである。
しかし、以上の説明では特殊相対性理論を少しひねったくらいのレベルの命題である「双子のパラドックス」にわざわざそれより数倍も難しい一般相対性理論が用いられているのである。つまり、この説明のしかたは(間違っているとは言わないが)本来易しい命題であるはずのこの「双子のパラドックス」をわざわざ難解な方法で遠回しに説明しているとしか言いようがないのである。
実際、もっと簡潔にこの「双子のパラドックス」を説明する方法はちゃんと存在しているのである。この方法とは、AとBがそれぞれ時空間に描いた経路(この経路のことを「経歴線」と呼ぶ)の長さに注目することである。つまり、時空間には任意の2点間を結ぶ曲線はつねに同じ2点間を結ぶ直線よりも短いという性質があり(この性質はちょうどユークリッド空間の性質と正反対であり、このような性質をもつ空間のことを「ミンコフスキー空間」と呼ぶ。)、「等速度運動」はちょうどこの「経歴線」が直線であるケースに相当するのである。
したがって、Aの描いた経路は曲線なのでBの描いた経路(もちろん直線である)よりも短くなり、このA、Bがそれぞれ描いた経路の長さがちょうどA、Bそれぞれの時間の経過に対応しているのである。以上のことが加速度運動をしていたAの時間の経過が等速度運動をしていたBのそれよりも遅かった理由である。
このように、「道のり」が一般に同じ2点間の「距離」よりも長くなることや、その「道のり」が2点間を結ぶ経路によって変化する(「道のり」=「距離」となるのはその2点間の経路が直線である場合のみである)ことはわれわれが日常生活でいやというほど体験していることである(だからこそ橋やトンネルによってこの「道のり」を短縮することが可能なのである)。そして、実は「双子のパラドックス」とはこの「距離」と「道のり」の相異のいわばミンコフスキー空間版なのである。
言わんや、通常の「双子のパラドックス」の説明方法であるAのUターン中のAから見たBの時間の経過について論じることについてはまったく問題外であると言わざるをえない。なぜなら、相対性理論では遠く離れた2点間の時間差について論じることはタブーとされているからである(このことが発展して相対性理論の帰結の一つである「同時刻の相対性」が生まれたのである)。
このように、「双子のパラドックス」はそれが有名なわりにはその正しい解釈がほとんどなされていないのである。この理由は、その基礎となる「ミンコフスキー空間」自体が一般にはほとんど理解されていないためであるが、この事実もまた、既知の理論についてもその既存の証明法よりも優れたそれとは別の証明法(この証明法を紹介するのが本書の目的であるが)が存在することを示しているのである。
速度は「ある角」の三角比である
ところで、先述のとおりミンコフスキー空間はユークリッド空間とは逆に直線よりも曲線のほうが短くなっているが、この理由は「ミンコフスキー空間」なるものが実数、虚数2種類のノルム(「長さ」を一般化したものを「ノルム」という)をもつ空間だからである。そして、相対性理論では通常ノルムが時間的である場合を実数、空間的である場合を虚数とする。したがって、ほとんどの場合ミンコフスキー空間における「長さ」を表すには「時間」(その単位には「s(秒)」を用いる)が用いられるのである。
以上のことから、4次元ミンコフスキー空間における2点間の距離はd^2=t^2+x^2+y^2+x^2なる式で表されるが、ここでX=cx/j,Y=cy/j,Z=cz/j(c=2.99792458*10^8m/s、j=√-1)とおきかえるとd^2=t^2-(X^2+Y^2+Z^2)/c^2なる式に書きかえることができる。ここで、tはその時間成分、x,y,z,X,Y,Zは空間成分、cは光速度である。
それだけではなく、このミンコフスキー空間にもユークリッド空間と同様に「三角法」なるものを適用し、「角度」を定義することが可能である。このときミンコフスキー空間における角度は虚数となり、この虚数角の三角比は先述のとおりsin jθ=j(e^θ-e^-θ)/2、cos jθ=(e^θ+e^-θ)/2、tan jθ=j(e^θ-e^-θ)/(e^θ+e^-θ)と定義されている。そして、虚数角の三角比を求めるには双曲線関数を用いることが多い。なお、このときミンコフスキー空間を4次元ではなく2次元(空間成分は1次元)と考えてもこの議論の本質は損なわれないので、ミンコフスキー空間について論じるときにはそれを2次元ミンコフスキー空間と見なして論議することが多い。
そして、普通われわれが「速度」あるいは「速さ」(速度の大きさのことを「速さ」と呼ぶ)と呼んでいるものの正体は「ある角」の正接に光速をかけたものである。また、この「ある角」には「ローレンツ角」なる名前がついている。この名称の由来は言うまでもなくミンコフスキー、アインシュタインなどとともに相対性理論をつくりあげた科学者ローレンツである。したがって、ローレンツ角をθとするとそれに対する速度はv=ctan θで表される。
また、この「ローレンツ角」の余弦(cos θ)もまたきわめて重要であり、これは「ローレンツ係数」なる名前で呼ばれている。そして、この「ローレンツ係数」は時間や空間の伸び縮みを示す尺度であり、これは速度を用いると1/√(1-(v/c)^2)なる式で表される。また、vが充分小さいときにはこの式は1+(v/c)^2/2なる式で近似することができ、この式から上の「双子のパラドックス」におけるAの時間の経過はAの平均の速さのみでは決まらないことがわかる。すなわち、上の式は2次式なのでAの平均の速さが同じであってもその速さの変化が激しいほどAの時間の経過の遅れ方が大きくなることがわかる。
そして、時間や空間の伸び縮みは次のようなことのミンコフスキー空間版である。つまり、棒を斜めから見るともとの長さよりも短く見え、また円柱を斜めに切るとその断面は直角に切ったときよりも広く、また形も円ではなく楕円となる。そして、運動している物体の時間の遅れや空間の縮みはこれらの伸び縮みを(ミンコフスキー空間の性質に従って)逆にしたものである。したがって、運動している物体はそれが静止しているときよりも収縮するが、このとき縮むのはその進行方向のみで、それと垂直な方向にはまったく縮まないのである。
ところで、通常ローレンツ角の表記には弧度法が用いられているが、もちろんこれを度数法(角度の単位として「度(°)」(=π/180)、「分(′)」(=1/60度)、「秒(″)」(=1/60分)を用いる方法)で表すことも可能である。ここでいくつかのローレンツ角に対する速度を次に示す。
ローレンツ角(θ) | その正接(tan θ) | km/sに換算 | km/hに換算 |
1j° | 0.01745152j | 5231.834 | 18834602 |
1j′ | 2.908882j*10^-4 | 87.20609 | 313941.9 |
1j″ | 4.848137j*10^-6 | 1.453435 | 5232.366 |
この表から、音速(約340m/s)でもそれをローレンツ角に換算すると約0.234j秒角であることがわかる。このことが日常生活における運動(ジェット機でもその速さは普通音速以下である)の記述がニュートン力学のみで充分間に合う理由である。また、地球の公転速度(平均すると29.8km/s)でもそれに対するローレンツ角は20.5j秒角程度であり、速さがこの程度までならニュートン力学と相対性理論の差はほとんど表れず、このことが先述の太陽系における惑星の公転運動において「ケプラーの法則」がほとんど問題のない精度で成り立っている理由である。以上のことがニュートン力学が数世紀にもわたって正しいと考えられてきた理由である。
光速が「無限大」となるもう一つの「速度」
ところで、ローレンツ角が大きくなると当然ながらそれに対する速度も大きくなってゆくが、決して光速を越えることはできないのである。なぜなら、上の式からtan ∞j=jとなり、このことはローレンツ角が無限大になっても光速に限りなく近づくだけでそれが光速を上回ることは絶対にありえないことを示しているのである。
また、速度の合成公式は(u+v)/(1+uv/c^2)なる式で表されるが、この式をよく見ると正接の加法定理の式tan(a+b)=(tan a+tan b)/(1-tan a*tan b)と同じ形をしていることに気付くであろう。つまり、上の式でtan a=uj/c,tan b=vj/cとおくと速度の合成公式は正接の加法定理で片づけられることがわかる。そして、正接(正弦も同様)が虚数となる角は虚数角であり、先述のとおりこの虚数角の三角比はいくつかの指数関数の組み合わせで表される。
ところで、速度にローレンツ係数をかけるとローレンツ角の正弦となるが、光速に対するこのローレンツ角の正弦は無限大(sin ∞j=∞j)となる。この理由は、もちろん光速に対するローレンツ係数もまた無限大(cos ∞j=∞)となるからである。したがって、ローレンツ角の正弦は物体をこの速さにまで加速することの難しさを表しているのである。このことから、ローレンツ角の正接よりもむしろ正弦のほうを「速度」と定義したほうがはるかに便利であることがわかる。
それにもかかわらず、通常「速度」としてローレンツ角の正接が採用されているのは、言うまでもなく時間やその間に動いた距離はいずれも運動している物体からではなく、その外側にいる観測者から測ったものであるからである。しかも、運動している物体から見たその背景の運動についてもその速さはやはりローレンツ角の正接となるのである。なぜなら、運動している物体はその進行方向に収縮し、その比率はちょうどローレンツ係数の逆数となるからである。
そして、坂道の勾配を表すときにもやはりその傾角の正弦、正接の2通りの表しかたが存在し、それぞれ異なった値をとっているのである。つまり、傾角の正弦は高度差の実際に進んだ距離に対する比を表し、一方正接はその水平方向への成分に対する比を表している。したがって、速度の場合と同じく坂道の傾角の正弦はその内側から測った勾配であり、一方その正接は外側から測った勾配である。そして、やはりその坂道の勾配が大きくなるほどその傾角の正弦と正接の差は大きくなるのである。
以上のように、物体をいくら加速しても絶対に光速を越えることができない理由は、速さが光速に近づくとそれにつれて時間や空間が伸び縮みし、このことが速さが光速に達するのを妨げるはたらきをするためである。
実際、μ中間子は平均2μsで崩壞することがわかっている。ところが、μ中間子は地上約10km(光速で移動してもこの距離を進むには約33μsかかる)のところで作られるのにもかかわらず地表でも観測できる。この理由は、μ中間子は光速にきわめて近い速さで運動しているためにわれわれから見るとμ中間子の時間の経過が遅れ、μ中間子から見るとその進まねばならぬ距離が短くなるためである。なお、先にあげた「双子のパラドックス」はもちろんこの事実をフィクションにしたものである。
したがって、光速を越えれないからといってその移動にかかる時間の心配をする必要はまったくないのである。つまり、光速に近い速さで運動すると光速を越えれないことの代償として進むべき距離が短くなるのでどんなに離れたところにでも(理論上は)有限の時間で行くことができるのである。以上のことから、取りうる値に制限のないローレンツ角の正弦を「速度」として用いればきわめて便利なことがわかる。