「相対性理論」がもたらしたもの
ニュートン以来長い間「重力理論」は「力学」とは別の分野であると考えられてきた。したがって、「万有重力」は決して「力学」で扱ってはならないと考えられてきたのである。しかし、20世紀初頭にアインシュタインが「相対性理論」(「特殊相対性理論」と「一般相対性理論」とに分けられる)を発表してから、「力学」と「重力理論」は互いに密接なつながりがあり、したがって「重力理論」が「力学」とは別の分野であると考えることは不可能になったのである。
すなわち、「万有重力」は質量をもつ全ての物体間に生じる力であるが、この「質量」なる物理量を定義している物理学の分野が他ならぬ「力学」なのである。しかも、万有重力は電磁気力などと異なってどんな方法をもってしても絶対に免れることができない。したがって、アインシュタインは「万有重力」の生じる原因は質量をもつ物体によって空間そのものが曲げられるためであると考えたのである。この革命的な理論が他ならぬ「一般相対性理論」である。したがって、この「一般相対性理論」では「物質」およびそれと等価な「エネルギー」は四次元時空を湾曲させるものであると定義されており、「質量」とはその湾曲の強さを表す物理量なのである。なお、「万有重力定数」(単に「重力定数」とも呼ぶ。その大きさは6.6726*10^-11kg^-1*m^3*s^-2)とはその比例定数であり、「光速度」(2.9979*10^8m/s)とともにわれわれが住んである空間の性質を表す物理定数である。
また、この「相対性理論」(この場合は「特殊相対性理論」となる)は「物質」と「エネルギー」が実は同じものであり、したがって「質量」と「エネルギー」は同一の物理量なので共通の単位であらわさねばならぬことも主張しているのである。すなわち、「相対性理論」では「物質」はその質量に光速を2回かけただけのエネルギーをもつことが証明されている。したがって、「物質」と「エネルギー」は同一の「もの」なのでこれらの量を「質量」、「エネルギー」どちらの単位でも表わすことが可能である。したがって、「質量」と「エネルギー」のうち片方の単位があればもう片方の単位は必要ないのである。
また、この理論は「質量保存則」が「エネルギー保存則」の例としてこの法則にふくまれていることをも表しているのである。したがって、「物質」は「エネルギー」の一形態にすぎないので「エネルギー保存の法則」があれば「質量保存の法則」は不要なのである。それどころか、この「エネルギー保存則」もが実は「運動量保存則」の例としてふくまれているのである。
すなわち、「相対性理論」では「エネルギー」(=「質量」)は「運動量」の時間方向の成分なのである。これをもっと正確に言うと、「エネルギー」はその量を光速で割り、それにj(j=√-1)をかけただけの「運動量」の時間方向への成分をもっているのである。したがって、「エネルギー保存則」を「運動量の時間成分の保存則」と考えるとこの「エネルギー保存則」は「運動量保存則」の一部であるとみなすことができるのである。
「物質科学」の「統合」と「再編」
このように、すべての物理法則は統合されてゆく傾向にあることがわかる。例えば、ご存知のとおり電荷にも保存則が存在するが、この「電荷保存則」は「エネルギー保存則」と一緒に用いられることが多く、この2つの保存則から有名な「キルヒホッフの法則」(この法則はさらに「電流の法則」と「電位の法則」とに分けられる)が導き出されるのである。この事実は「保存則」なる物理法則がきわめて普遍的な物理法則であることを意味しているのである。
また、電磁気学では「クーロンの法則」なる法則(この法則には「静電気力に対するクーロンの法則」と「磁気力に対するクーロンの法則」の2つが存在する)が存在するが、この法則において「万有引力の法則」と異なるところは「質量」なる物理量が「電荷」や「磁束」におきかえられているところだけなのである。さらには、「万有重力の法則」も「クーロンの法則」もその力の大きさが2体間の距離の-2乗に比例するという共通の性質をもっているが、この原因はわれわれが住んでいる空間が3次元だからであるということが証明されている。
さらに言うと、当然のことながら「化学」においても「質量」をふくめた「エネルギー保存則」および「電荷保存則」が成立することが検証されている。したがって、エネルギーや電荷などの「保存則」を「物理法則」と呼ぶのはあまり適切な表現ではなく、したがってこの表現は「自然法則」と言い換えたほうがより適切な表現となるのである。
なお、「物理学」は「物質」の「量的」な面を扱う学問、一方「物性学」は「物質」の「質的」な面を扱う学問と定義することができ、「化学」はこの「物性学」の中でも特に物質同志の反応を扱う分野と言うことができる。しかし、当然ではあるが物質の「量」的な特徴と「質」的な特徴は決して独立しているわけではなく互いに密接に関係しあっているのである。したがって、「物理学」と「化学」には共通する分野がきわめて多く、したがって学校教育などで「物理学」と「化学」を一緒に教えると大変効率の良い教育ができるのである(このことについては後で詳しく述べる)。
このように、物質界にはすべての物事が互いに関係しあっているのでこれらを一つの「カテゴリ−」に収めたり「箇条書き」することできないという学校教育にとっては実に都合の悪い性質が存在するのである。そして、「物質界」のみならず「自然」(正確には「社会」や「文化」もそうである)の「箇条書き」できないという好ましくない性質は特に学校教育においては大問題となっているのである。それどころか、こうした自然界の好ましくない性質に対する学校教育の対応のまずさが学校教育が批判を受ける(本書でもあちこちで学校教育を批判している)最大の原因となっているのである。