「万有重力の法則」について

 ニュートンは「ニュートンの運動の法則」(先述のとおりこの呼称自体誤った呼称である。正しくは「ニュートンの力学の法則」となる)以外に「万有重力の法則」(2つの物体間に働く力は2物体の質量の積に比例し、物体間の距離の-2乗に比例する)も発見した。しかし、ニュートンはこの「万有重力の法則」を「ニュートンの力学の法則」のメンバーとして扱わなかったのである。

 この理由は、ニュートンが「万有重力の法則」が「万有重力」という特定の力に関する法則であるため、力全般に関する法則と一緒にするのは適切ではないと考えたからである。このように、ニュートンが「万有重力の法則」を「運動の第四法則」(あるいは「力学の第四法則」)という扱いをしなかったのはニュートンが少なくともメンデルやマルクス(これらの学者の考えたことについては後で詳しく述べる)よりは利口だったか、あるいは物理学が生命科学や社会科学よりは単純だということである(多分両方とも正解である)。なお、「万有重力の法則」は「プリンキピア」には一応記述されているが、この法則は「ニュートンの力学の法則」とは異なるところに記述されており、この事実からも上記のニュートンの考えが裏付けられる。

 なお、断っておくが学校教育で「万有重力の法則」を「ニュートンの運動の法則」(正しくは、「ニュートンの力学の法則」)のメンバーとして教えないのは言うまでもなくニュートンが「万有引力の法則」を「プリンキピア」においてこのような形で発表しなかったからであって決して学校教育を指導している官僚が利口で物事を見極める能力があったからではない。なぜなら、この「万有重力の法則」のケースはニュートンがたまたまこの法則を正しい考え方に基づいて分類・位置付けしたに過ぎないからである。

「直接関係」と「間接関係」を区別せよ

 先述の「万有重力の法則」や「作用・反作用の法則」の例でわかるとおり、特に断わらない限り物事の間に「関係がある」という場合は「直接」関係がある場合のみを指すのである。なぜなら、「関係がある」という場合に間接的に関係がある場合をもふくめるとあたりまえすぎて述べる意味がなくなってしまうからである。たとえば、「作用・反作用の法則」や「万有重力の法則」はいずれも運動とは直接関係がないけれども「力」を介して間接的に運動と関係があるのである。

 このように、間接的な関係までふくめると「力」や「エネルギー」などと関係があるものはすべて「運動」と関係あることになってしまい、したがってすべての物理法則(さらに言えば物理のみならず化学法則も)は「運動」と関係あることになってしまうのである。この理由は、電磁気学などの物理学の他の分野やさらには化学までもが力学をその基礎理論としているからである。このことについて例をあげると、電磁気学で最も重要な法則の一つである「クーロンの法則」(2つの物体間に働く力は2物体に存在する電荷の積に比例し、物体間の距離の-2乗に比例する)においてもやはり「力」なる物理量が用いられており、したがってやはりこの「クーロンの法則」も間接的ではあるが運動と関係があるのである。

 以上のように、物事の間に「関係がある」という場合にそれが「直接的」なものであるかそれとも「間接的」なものであるかはきわめて大きな相異なのである。また、物事の分類においてこのような「場違い」が生じる原因もやはりこの「直接関係」と「間接関係」を区別せずにごっちゃにしてしまったためであることが多いのである。

 これについて他の例をあげると、漢字のさまざまな作り方を総称して「六書」(象形、指事、会意、形声、転注、仮借の総称)と呼ばれているが実をいうとこの中には漢字の「作り方」以外のものがふくまれているのである。この「場違い」なメンバーとは言うまでもなく「転注」(漢字をその意味と関連のある、別の意味に用いる)と「仮借」(漢字の意味を無視してその音を表すのに用いる)の2つである。つまり、「転注」や「仮借」はいずれも漢字の「作り方」ではなく「用い方」なのである。

 しかし、一方では漢字の「作り方」と「用い方」を分離して考えることは困難であり、またそのことに実用性がないのもまた事実である。

「力」の「成因」を「力学」で扱うのは不適切

 「万有重力の法則」や「クーロンの法則」を「力学の法則」のメンバーとして扱ってはいけない理由にはこの法則が「万有重力」という特定の力に関する法則である以外に次のことがあげられる。すなわち、言うまでもなく「万有重力の法則」や「クーロンの法則」は力の成因に関する法則である。ところが、力学では力の「機能」や「性質」のみを扱い、決して「成因」は扱わない。ゆえに、「万有重力の法則」のような力の成因に関する法則を力の性質に関する法則(「力学の法則」はすべてこのタイプの法則である)と決して一緒にしてはならないのである。

 すなわち、万有引力は「重力理論」なる物理学の一分野で扱われ(したがって、「万有重力」のことを単に「重力」とも呼ぶ)、この「重力理論」は決して力学にはふくまれていないのである。ただし、学校教育では便宜上「重力理論」を「力学」と同じところで教えていることが多い。

 ところで、「力」に限らず物事にはその成因は異なっていてもその種類が同じである限りその性質(もちろん、「機能」も「性質」の一部である。)はまったく同じだという「法則」がある。そして、科学法則には物事に共通する性質を表すという役目をもっている。この場合、科学法則はその物事の成因をまったく問題にしないのである。なぜなら、物事の「性質」はその種類が同じである限り共通であるがその「成因」は物事ひとつひとつ異なっているからである。

 このように、物理法則において「力」が「原因」となっているかそれとも「結果」となっているかは実はきわめて大きな違いなのである。

 ところで、このような考え方をすると先述の「作用・反作用の法則」も半ば力の成因に関する法則だということになるのである。つまり、この法則についてよく考えるとこの法則は「作用」そのものが「反作用」の「成因」であることを表しているのである。さらには、この法則は一応「力」の「性質」を表しているがまったく「力」の「機能」は表していないことにも気付くはずである。本書ではこの事実を「『作用・反作用の法則』は力そのものの性質であって、力と運動との関係を示す法則ではない。」というふうに述べたが、この「力と運動との関係」なる語句が実は力の「機能」を指しているのである。

 さらに言うと、「作用・反作用の法則」も「万有重力の法則」も同じく力の「成因」に関する法則であるにもかかわらず、ニュートンは「万有重力の法則」を「ニュートンの力学の法則」のメンバーとして扱わなかったのに「作用・反作用の法則」をそのメンバーとして扱うという、実に支離滅裂な行動をやっているのである。この事実はニュートンの考えたことには正しいことも間違っていることも両方存在しており、したがってニュートンなる人物には賢いところと愚かなところが混在していることを物語っているのである。言いかえると、偉大なる学者ニュートンもやはり「人の子」なのである。

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