表意文字の最大の特徴・・・直接性

 われわれが「言葉」を発明し、それを使う目的は言うまでもなく「意味」を伝えるためである。そして、この「言葉」なるものを記録、保存するために「文字」が発明されたのであった。つまり、「文字」はまずそれが「言葉」を表し、その「言葉」が「意味」を表すというふうに、「文字」は「言葉」を介していわば間接的に「意味」を表しているのである。

 ただし、その例外として「表意文字」だけはそれが直接「意味」を表しているのである(このことが「表意文字」なる名称の由来である)。つまり、「表意文字」は「言葉」とは独立して存在しうるのである。言いかえると、「表意文字」なる字はそれ自体が一種の「言葉」であると考えることができる。

 したがって、すべての文字は個々の字によって直接、間接の違いはあるがいずれも意味を表すことを目的としているのである。そして、文字と同じく意味を表すことを目的につくられたものに言葉があるが、ここで言葉と文字との関係を見てゆくとほとんどの文字は言葉の補助手段(「手段」のための「手段」のこと)としてつくられ、したがって言葉と密接にリンクして存在しているのである。しかし、表意文字だけは言葉とは独立して存在し、かつ言葉と同等の機能をもっている。したがって、「表意文字」は広い意味での「言葉」(音声言語と同等の機能をもつもの、すなわち直接「意味」を表すものすべてを指す)なのである。

 なお、この「漢字」をはじめとする「表意文字」の特徴は、利点であると同時に欠点にもなりうるのである。つまり、われわれは数千年も昔に漢字で書かれた文章を解読することができるが、この理由は言うまでもなく数千年たっても漢字の示す意味が変化しないからである。このように「意味」には時空を超越して「普遍」かつ「共通」に存在し、かつ「不変」のものであるという大きな特徴があるのである。

 しかし、このことは一方では漢字の示す意味が変化したときにはそれが一大事になることをも意味しているのである。つまり、漢字は中国と日本では互いにその意味やあるいは字そのものが異なることが多いが、この原因はもちろん漢字が中国と日本でそれぞれ独自に変化したためである。そして、このことが中国人と日本人とのコミュニケーションを妨げる一因ともなっているのである。

 ところで、ここで改めて「表音文字」について考えてみると、この「表音文字」はそれがまず音声を表し、その音声の組み合わせが語の名称を表し、その名称が語を表し、その語がようやく意味を表すというふうに、表音文字は合計4段階にわたる実に回りくどい意味の表し方をしていることがわかる。つまり、「表音文字」はそれが直接「意味」を表すどころか、それを表している「語」すら表していないのである。ここで、音声はそれが直接語を表すのではなく、それがまず名称を表し、その名称が語を表していることはきわめて重要である。なぜなら、この事実は「言語」なるものがきわめてディジタルなシステムであることを物語っているからである。つまり、ご存知のとおり言語の意味はその物理的性質(「音声」のこと)とはまったく無関係に決められているのである。

 この表意文字よりもはるかに劣っている表音文字が全世界の文字の大半を占めている理由は、言うまでもなく「書き言葉」が「話し言葉」(音声言語のこと)よりもずっと後になって生じたからである。したがって、文字ができたときには人類には既にこの「話し言葉」で物事を考える習慣ができてしまったので、この文字には「話し言葉」を記録する機能しか求めなかったのである。したがって、ほとんどの民族にはこの「話し言葉」とは独立した文字である「表意文字」なるものを発明する必要がなかったのである。

「商品券」と「表意文字」との類似性

 みなさんもご存知のとおり、「商品券」や「プリペイドカード」の最大の特徴はそれ自体が「価値」なるものを持っていることである(なお、このことから「プリペイドカード」が「商品券」の一種であることがわかる)。こうした商品券の特徴は、キャッシュカードやクレジットカードには決種在しえない、「プリペイドカード」をもふくむ「商品券」独特の性質である。

 なぜなら、キャッシュカードやクレジットカードは金融機関の口座から貨幣を引き出す機能しか持たず、決してそれ自体が「貨幣」と同じ機能を持たないからである。したがって、キャッシュカードやクレジットカードは所詮金庫の鍵を電子化したものにすぎないのである。つまり、キャッシュカードはもちろんのこと、クレジットカードでもそれを用いて買い物ができるとはいえ、考えてみればキャッシュカードとの相異は買い物のときに自動的に口座から貨幣を引き出す機能がついているところのみであり、したがってキャッシュカードやクレジットカードは本質的には金庫の鍵とまったく変わらないのである。したがって、金庫の鍵、キャッシュカード、クレジットカードにはいずれもそれ自体が「価値」なるものを持たず、したがっていくら使っても決してそれがなくなったり、目減りすることがないという共通点が存在しているのである。

 それに対して、「プリペイドカード」をふくむ「商品券」は「貨幣」と同じくそれを用いて買い物をすればそれがなくなったり、あるいはその価値が減少するという性質がある。この事実は、まぎれもなく「商品券」はそれ自体が「価値」なるものを持っていることを証明している。したがって、「商品券」はそれ自体が一種の「貨幣」であると考えることができるのである。つまり、ご存知のとおり「貨幣」の最大の役目はそれが物の交換の媒体となることであるが、だからと言ってこの「貨幣」が発明される以前には物を交換する方法がなかったかと言えば決してそうではない。この方法とは、もちろん「物々交換」(貨幣を使用せず、異なる物同士を直接交換する方法)である。

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