「訓読み」の本家は「数字」にあり

 先述のとおり、「訓読み」なる読み方は字の表している意味と同じ意味を持っている言葉をその字の読みとした読み方のことである。したがって、漢字以外の表意文字が存在するならばそれに対する「訓読み」が存在するはずであり、実際ちゃんと漢字以外の字に対する「訓読み」が存在しているのである。

 この一般化された「訓読み」とは、もちろん数字の読み方のことである。すなわち、ご存知のとおり数字には固有の読み方が存在せず、したがって数字を読むときにはその数を表す言葉をその数字の読みとするより他ないのである。この読みは、ちょうど漢字における「訓読み」とまったく同じ類の読み方である。なぜなら、あたりまえではあるが「数」も「意味」の一種であり、したがって数字にも漢字と同様に「訓読み」なる読み方が存在すると考えられるからである。

 この事実は同時に「数字」がまぎれもなく「表意文字」の一種であり、ゆえに数字も表意文字の例にもれず「訓読み」なる読み方を持つことを示唆しているのである。また、以上のことから数字の「訓読み」は決して一つではなく言語の数だけ「訓読み」が存在していることも明らかである。

 また、漢字の訓読みにに「送り仮名」なるものが存在するのとまったく同様に数字にもそれと大変よく似たものが存在するのである。この例が、英語で「1st」を「first」、「2nd」を「second」などと読ませることである。つまり、「送り仮名」とは動詞など活用する語の変化する部分(この部分のことを「活用語尾」と呼ぶ)が漢字では表しきれないので変化しない部分(この部分のことを「語幹」と呼ぶ)のみを漢字で書き、残りの部分を仮名で書いたものである。ここで「first」、「second」などの語について考えると、これらはいずれも「one」、「two」などの語(数詞)から派生したもの(このように順番を表す数を「序数」と呼び、一方ものの数量をあらわす数を「基数」と呼ぶ)であり、この「序数」は数詞の活用形の一つと考えることができるのである。

 実際、英語では原則として4以上の序数は「〜th」で終わるようになっており、この「th」は数詞を序数にする一種の活用語尾とみなすことができる。また、英語の実際の表記でも「4th」、「10th」などと表記し、このことは序数の語尾につく「th」が活用語尾であることを裏付けているのである。

 解説…しかし、意外なことに数字が表意文字の一種であることは世間では全くといってよいほど認められていない。つまり、元をただせば数字が文字から変化してできたものであるにもかかわらず、社会的見解では数字は記号であり、決してそれが文字であるとは考えられていないのである。実際、辞書や百科事典などで「数字」の項目を見てもそれが一種の表意文字であるとは一言も書かれていないし、また「表意文字」の項目にも数字がその例であるとは一言も書かれていないのである。このことに関しては、われわれが科学に弱いためであるとしか説明が困難である。つまり、「数」が「意味」の一種であることすら世間ではほとんど知られていないのである。そのくせ、「漢数字」だけは「数字」の一種であると認められているにもかかわらず「文字」としても認められているという、われわれの社会的見解は実にアンバランスになっているのである。

 しかし、ここで少し考えてもらいたいことがある。つまり、「文字」もまた「記号」の一種であるということである。なぜなら、「文字」をもふくめた「記号」の役目は直接的または間接的な方法で意味を表すことである。したがって、「表意文字」なるものはいわばそれが直接意味を表すものである。そして、「表意文字」以外の文字を除く記号の役目もまた直接意味を表すことなのである。したがって、意味を表すのは何も言葉に限ったことではないのである。というよりも、本文で述べたとおり、「漢字」や「数字」などのように直接意味を表すものはそれ自体が「言葉」であると考えたほうが正確である。

「言語」としての「数字」の「文法」…記数法

 ところで、数字は漢字と同じく単独で用いられるよりも複数個組み合わせて「熟語」として用いられることのほうが多い。この場合数字の「熟語」の意味はある規則によって決められている。この「規則」とはいわゆる「記数法」のことである。したがって、「記数法」は「数字」という「言語」の「文法」であると考えることができるのである。この「記数法」の中で最も単純なものがローマ数字などで用いられている記数法である。

 ローマ数字の記数法は次のとおりである。原則として大きい数字から書き、数字がその順序で並んでいるときにはそれらの数字が示す数の和がそのローマ数字の意味となる。ただし、小さい数字が大きい数字よりも先に来ることもあり、そのときには大きい数字からその小さい数字を引いた数がその意味となる。例をあげると、Yは5(X)+1(T)=6なる意味となり、一方Wは5(X)-1(T)=4となる。

 一方、算用数字の記数法はローマ数字の記数法よりもずっと複雑である。この算用数字の記数法は次のとおりである。先に書いてある数字はその1つ後にある数字の10倍大きな数を表し、それ以外はローマ数字の記数法とまったく同じである。なお、算用数字の記数法は「位取り記数法」と呼ばれており、また、これを一般化してある数字がその1つ下の位の数字のN倍大きな数を表す記数法を「N進法の位取り記数法」と呼ぶ。たとえば、算用数字の記数法は「10進法の位取り記数法」となる。

 また、漢数字の記数法は加法と乗法を組み合わせたものとなっている。つまり、漢数字では「123456」なる数を「十二万三千四百五十六」と表現するが、これを式で表現すると「(10+2)*10000+3*1000+4*100+5*10+6」なる式となる。つまり、漢数字では算用数字やローマ数字と同じく10進法を採用しているが、これに加えて10000ごとに新しい呼び方を用いる方式を採用しているのである。したがって、漢数字の記数法は「10進・万進法」と呼べるのである。

 以上のとおり、「記数法」とはすなわち数の合成のしかたのことなのであるが、この合成のしかたは「加法」と「乗法」を適当に組み合わせたものとなっているのである。つまり、数の合成には「加法」と「乗法」なる2通りの方法があり、一般にこの2つの方法における結果がそれぞれ異なっているのである。例えば、10+8=18(十八、英語ではeighteen)であり、一方10*8=80(八十、英語ではeightyとなる。なお、このeightyは先にあげたeighteenと大変まぎらわしい。)となる。

 さらに、「加法」の逆演算として「減法」が、「乗法」の逆演算として「除法」が考え出され、さらにはこの「減法」がつねに行えるようにするために「負数」が考え出され、「除法」がつねに行えるようにするために「分数」が考え出されのである。そして、原則として「負数」の表記には「減法」が用いられ、一方「分数」の表記には「除法」が用いられているのである。例をあげると、3/2は「2分の3」というふうに分数を表すのに用いられているが、一方ではこの表記を「3割る2」とも読んで除法を表すのにも用いられているのである。

 ところで、数字を読むときには原則として0を加えたり、1をかけることに相当する読みは省略される。たとえば、109は「一百零十九」とは読まずに「百九」と読む。この理由は、ご存知のとおり0を加えたり、1をかけることは何もしないのとまったく同じ結果となるのでこれを省略しても同じ意味になるからである。このようにもとの数をまったく変化させない演算のことを「恒等演算」と呼び、加法における「0」や乗法における「1」のようにこの「恒等演算」をもたらす数のことを「恒等元」(または「単位元」)と呼ぶ。したがって、「0」は加法、「1」は乗法における恒等元である。

 また、その数と合成すると恒等元となる数のことを元の数の「逆元」と呼ぶ。例をあげると「逆数」(nの逆数は1/n)は乗法についての「逆元」であり、「反数」(nの逆数は-n)は加法についての「逆元」である。したがって、先に述べた「逆演算」はすなわち「逆元」との演算のことなのである。たとえば、「減法」とは反数との加法のことであり、一方「除法」とは逆数との乗法のことなのである。

数学…最も表意文字の利用が進んだ世界

 ところで、数学はすべての学問の中で表意文字の利用が最も発達した学問である。つまり、数学では数字のみならず演算子(+、-、*、/、=、など)にもそれぞれ独自の記号が用いられ、さらには数字と同じく「訓読み」なる読みを持っているのである。たとえば、2+3=5は日本語では「2足す3は5である」と読み、同じ式を英語では「Two plus three equals five」と読む。したがって、「足す」や「plus」は「+」の「訓読み」であり、同様に「である」や「equal」は「=」の「訓読み」であると考えることができる。

 このように数学において「数字」をはじめとする表意文字を積極的に用いている理由は、言うまでもなく「数」をふくむ「意味」がこの世界で「普遍」、「不変」かつ「共通」の存在だからである。また、このことは「表意文字」なる字には原則としていわゆる「言葉の壁」が存在しないことを意味し、さらにこのことは漢字などの「表意文字」はローマ字などの「表音文字」よりもはるかに優れた文字であることを証明しているのである。

 さらにこの事実は、この世に存在するすべての言語に共通する文法、すなわち「普遍文法」なるものの存在をもほのめかしているのである。なぜなら、数学の理論なるものは一種の「文法」であると考えることができ、しかも言うまでもなくこの数学の理論は「普遍」、「不変」かつ共通の存在だからである。さらには、この「数学」なる学問自体が「論理学」の一部であり、この「論理学」なる学問はいわば「普遍文法」なるものの探求を目指す学問である。

 ところで、最近ではこうした表意文字の利点が世間一般にも認められるようになり、街の看板などに「アイコン」なるものが使用されるようになってきた。この「アイコン」とは物事を絵で表したもので、原則として絵に描いてあることがそのアイコンの意味となる。もちろんこの「アイコン」は一種の「表意文字」である。

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