「酸素」は「酸」とはまったく無関係である

 みなさんも御存知のとおり、「酸素」は「酸」とはまったく関係のない元素である。なぜなら、御存知のとおり「酸」の正体は水素イオン(H+)であるからである。したがって、もちろん塩化水素(その水溶液は「塩酸」と呼ばれている)などのように「酸素」をまったくふくまない「酸」も存在するのである。

 ところで、言うまでもなく酸素はわれわれの生活に必要不可欠な元素である。つまり、われわれ生物は絶えず酸素を使って生活しており、またわれわれの文明をつくりあげてきた「火」なるものの正体はすなわち木、石炭や石油などの燃料と酸素との科学反応に他ならない。しかも、地球上のすべての生物はこの「酸素」を使って生存に必要なエネルギーを得ているが、生物がその生存のためのエネルギーを得るしくみを調べてみると食料から摂取した栄養素と酸素との科学反応であることがわかる。このしくみは、ちょうど燃料が燃えるしくみとまったく同じである。

 以上のことから、「酸素」には他の元素と結合するときに莫大な量のエネルギーを放出する性質があることがわかる。この理由は、言うまでもなく酸素がきわめて他の元素と結合しやすからである。さらにこの理由は、「酸素」なる元素が全元素中で「弗素」に次いで著しい陰性元素(他の原子から原子を奪おうとする力の強い元素)だからである。

 ところで、元素の陰性、陽性の強さは「電気陰性度」なる尺度で統一的に表すことができる。ここで「電気陰性度」とはその名のとおり元素の陰性の強さを示す数値で、その元素の陰性が強くなるほどこの値が大きいものとする。そして、異なる元素同士が結合しているときには一般にそれらの元素の電気陰性度の差が大きいほどその結合エネルギー(原子間の結合を切るのに必要なエネルギー、その結合が生じるときに放出するエネルギーと一致する。)が大きくなるという傾向が存在するのである。

 以上のことから、言うまでもなく「酸素」の最大の特徴は強い陰性元素であるということがわかる。そして、この元素のものを燃やす性質も生命を支える性質もその陰性がきわめて強いということで片付けれるのである。このように考えると、この元素の名称を「酸素」とするのはこの元素の発見者が常識はずれであったと考える以外に説明が不可能なのである。すぐ後で述べるとおり実際この元素はもう少しで「火素」(fire air)と命名されるところだったのである。そしてこの元素の最初の発見者が「火素」と命名せずに別の発見者が誤って「酸素」と命名してしまったこと、これこそが「化学」界、いや「科学」界最大のミステリーなのである。

ラボアジェは「常識外れ」であった

 ところで、「元素」としての「酸素」は「単体」(1種類の元素から成る物質。なお、この「単体」には「元素」と同じ呼称を用いることが多い。)としての「酸素」とは異なる科学者によって発見されている。このことを具体的に言うと、「単体」としての「酸素」は18世紀の後半にシェーレとプリーストリーによって独立に発見され、「元素」としての「酸素」はこれよりも少し遅れてラボアジェによって発見されたのであった。

 ところで、シェーレやプリーストリーは独立に木、炭や油脂などを燃やす働きがある未知の気体を発見し、さらにこの気体中では物が空気中での何倍もよく燃えることがわかったのである(したがって、この気体は「fire air」と命名されている)。また、この気体を密閉した容器に入れてその中に動物を入れるとその動物を同じ体積の容器に入れたときと比べてその動物が何倍も長く生き続けることも明らかになった。シェーレやプリーストリーはこのように空気が木、炭や油脂などを燃やす働きがある原因を空気には自らが発見した未知の気体がふくまれているからであると考えたのであった。しかし、とうとうシェーレやプリーストリーはこの未知の気体が1種類の元素からできていることに気付かなかったのである。

 この少し後にラボアジェはシェーレやプリーストリーが発見した未知の気体中では硫黄や燐もやはり空気中よりもよく燃えることを発見し、さらにラボアジェ独自の発見(どうでもいい発見であるが)として硫黄や燐が燃えた後には「酸」ができることを発見したのであった。その後やはりラボアジェが炭が燃えた後にも「酸」ができることを発見し、この事実をラボアジェはこの未知の気体を構成している元素こそが「硫黄」、「燐」、「炭素」を「酸」たらしめていると勘違いし、この気体を構成している元素を「oxygen」(”oxy”はギリシャ語で「酸」という意味)と名づけたのであった。

 以上のことからわかるとおり、ラボアジェは自ら発見した未知の元素が燃焼を助けたり、生物を生存させたりするという肝心な性質には目もくれず、その未知の元素が硫黄や燐と結合したときに「酸」ができるという言わばどうでもいい性質に目を奪われたのであった。言いかえると、ラボアジェが「常識外れ」であったがゆえにこの未知の元素に「酸素」というその名がまったく実体を表していない名称がつけられたのであった。

 その後、塩化水素や硫化水素など酸素をまったくふくまないにもかかわらずその水溶液が酸性を示す化合物が発見され、この時点で「酸素」が物質を「酸」たらしめているというラボアジェの「幻想」はあっけなく崩れたのであった。そのさらに後に物質を「酸」たらしめているのは先述のとおり水素イオン(H+)であることが明らかとなり(後述のとおり、酸の定義にはいろいろあるが、このうち水素イオンを放出する性質をもつ物質を「酸」とみなす定義は「ブレンステッドの定義」と呼ばれている。また、この「ブレンステッドの定義」によって定義された酸を「ブレンステッド酸」という。)、「酸素」が「酸」とはまったく無関係な元素であることが明らかとなったのである。

 それにもかかわらず、現在でも未だに周期表で「窒素」と「弗素」の間にある元素を「酸素」(国際名は「Oxygen」)と呼んでいる(ついでに言うと、この元素の日本語での呼称である「酸素」はこの元素のドイツ語名である「Sauerstoff」の直訳である。)。それどころか、原子が電子を奪われる現象は「酸化」と呼ばれている。言うまでもなくこの「酸化」なる用語の語源は「”酸”素と”化”合する」である。このように、一旦欠陥語(ここでは、名が体を表していない語のこと)ができるとよほどのことがない限りその欠陥語が正しい語に訂正されることはなく、それどころかその欠陥語から新たな欠陥語が派生する傾向があるのである。まさにこのような欠陥語の増殖と氾濫こそが言語の乱れ(このことに関しては第2編で詳しく扱う)を引き起こしているのである。

もう一つのミステリー…「窒素」命名にまつわる謎

 さらに言うと、御存知のとおり「窒素」なる元素の名称はこの元素の単体が生物を窒息させるところから来ているが、言うまでもなく窒素のこうした性質は酸素と対比させた性質である。つまり、動物を窒素ガス中に入れると間もなくその動物は窒息死するがことが発見されたが、このような実験自体が窒素の性質を酸素の性質と比べる実験なのである。つまり、上の実験から窒素は酸素と違って生物の呼吸に関与しないことがわかる。しかも、窒素中に燃えている炭や蝋燭を入れると間もなく炭や蝋燭についていた火は消えるが、この事実もまた酸素とは対称的に「窒素」なる元素の単体はきわめて反応しにくいことを物語っているのである。

 この理由は、窒素が酸素よりもはるかに電気陰性度が低いために他の元素と結合しにくいうえに、窒素の単体は酸素や塩素などと同じく2原子からなる分子からできているが、その結合が三重結合(3つの電子対による共有結合のこと。ちなみに2つの電子対による共有結合は「二重結合」と呼ぶ。)であるためにきわめて切れにくいためである。

 ついでに言うと、窒素は「azote」とも呼ばれているが、このうち”a”は否定、”zote”は「動物に関すること」という意味である。つまり、「azote」とは「生命を支えぬもの」という意味なのである。ドイツ語ではこのことをもっと率直に表現し、窒素のことを「Stickstoff」と呼んでいる。このうち”stick”は「窒息」という意味である。なお、もちろんこの元素の日本語名である「窒素」はこの元素のドイツ語名である「Stickstoff」の直訳である(もっとも、現在では窒素を「nitrogen」(”nitro”は「硝石」)と呼ぶことが多い。)。つまり、明らかに窒素の名称は酸素に対抗してつけられた名称なのである。

 ところで、あたりまえではあるが科学者が窒素のこのような性質に気付いたということは、酸素についてもその主な性質が多くの物質を燃やしたり生物を生存させたりすることだということに気付いたことを意味しているのである。したがって、この元素の名称としては「pyrogen」(”pyro”は「火」)、「viviogen」(”vivio”は「生命」)、「zoogen」(「azote」(窒素)に対抗してつけた名称)あるいは「ergogen」(”ergo”は「仕事」、「energy」(エネルギー)も同じ語源。「argon」(アルゴン)に対抗してつけた名称)などが適切であろう。なお、この元素の名称を日本語に訳すと「火素」、「生素」、「活素」などが適切である。そして、先述のとおりこの元素の仮称として「fire air」と命名され、この呼称が正式名称となれば「pyrogen」(ついでに言うと、”fire”の語源は”pyro”と同じである。)と命名されるところだったのである。

 つまり、まず「単体」としての「酸素」の発見者であるシェーレやプリーストリーがこの単体を「fire air」と命名したが、これらの発見者は「元素」としての「酸素」の発見にはついに至らず、その少し後にラボアジェが「元素」としての「酸素」を発見したが、このときラボアジェは酸素が燃焼を助ける(この場合、「酸素には『支燃性』がある」と表現する。)というこの元素の最も重要な性質には目もくれず、硫黄や燐がこの元素と結合すれば酸ができるというどうでもいい性質にばかり注目したがゆえにこの新発見の元素に「酸素」なる実に常識外れな名称がつけられたのであった。

 言いかえると、周期表で「窒素」と「弗素」の間にある元素に「酸素」というその名がまったく実体を表していない名称がつけられた理由は言うまでもなくラボアジェのものの見方、考え方がへそ曲がりで常識外れだったからである。つまり、シェーレやプリーストリーが単体としてのこの元素を発見したがついにこれを「元素」と認識するに至らず、後にたまたまラボアジェのような常識外れな学者が改めてこの元素を発見したがゆえにこの元素に「酸素」なる名称がつけられたのであるが、もちろんこの事実は多くの偶然の積み重ねによって生じたものである。すなわち、燃焼を助けたり生物の呼吸に関与する元素に「酸素」なる実に不可解な名称がつけられ、現在でもその名称が広く用いられていること自体が科学界最大の「ミステリー」なのである。

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