2004年8月26日(木)。
”ONE WEEK merico 〜子供は寝る時間〜 ”
RAYMOND TEAM
@梅田 RAIN DOGS


「隙間から音が浮かび上がる風景。」
久々に体験してきました、RAYMOND TEAM。
よくよく考えてみれば、前に観たのは辻堂海岸だったわけで、1年振り! 約3年前に他の出演者を目当てに行ったイベントで、たまたま観て大感動して以来、幾度となくライブには足を運んでいたので、こんなにブランクが空いたことはなく、
「あー、そんなに観てなかったっけ?」
と、少々意外。

「RAYMOND TEAMというバンドが大好きなのです。」
それは、レイモンドの鳴らす音が、”蒼い”からかもしれない。
かといって、それは青春パンクとは全く違うし、ライブでダイブやモッシュをしてしまう熱狂や興奮といった状態とは、ある種とても遠い場所に位置している。 敢えて形容するならば、”ポストロック”や”シューゲイザー”という言葉を使いたくなる音楽。 つまり、レイモンドの作り上げる空間は、本来は”蒼さ”とは無縁だと思われている世界のはず。
実際、3本のギター、ベース、ドラムから発せられる数の多い音の組み合わせは非常に練られていて構築的であるし、曲の展開も複雑なものばかり、ふっと浮かび上がっては消えていくみたいな儚げなヴォーカルは、絶叫や熱唱といった”蒼さ”を簡単に連想する質とは正反対の魅力がある。
それでいてレイモンドチームの音楽は、他の”ポストロック”や”シューゲイザー”といった要素を上手く取り入れているバンドのそれとは何処か違い、巧妙なことをしようとしているのに”蒼さ”が漂っているのである。
「それはナゼか?」

初期のレイモンドチームは、若いギターポップにキラキラした轟音を加えたら化学反応を起こした、シューゲイザーと言えそうで言い切れない、さりげなにジャンルレスな突然変異で誕生したような空気を鳴らしていた。
この浮遊感は曖昧であるのに、しっかりと感触として残るものがあり、轟音に塗れて埋もれそうであるのに存在感のある小さな歌声は、瑞々しくて時に涙が出そうなほど感動的だった。 そう、この時はどうして”蒼さ”が感ぜられるかの理由は、ある意味では単純に説明できるものだったのです。
でも、それからこの空間には少しづつ変化が表れる。 THE SEA AND CAKE などを連想するポストロックな質感がどんどん強くなっていって、楽曲の構成もどんどん入り組んでいく。 ゆえに、歌の割合は減り、歌声そのものがの果たす役割は影が薄くなっていく。
変化したレイモンドチームのライブは、曲自体は素晴らしくても、演奏となると、時に”本来の良さを再現でききれてない”粗が聴こえたりもした。
それでも、不意に”キレイで圧巻”な世界を観せてくれたりもしたけれど、リズムに重点が置かれ、音色が増え、展開や複雑になればなるほど、個人的に一番惹かれていた弱っちいのに生命力に溢れてる歌声は周囲に埋没していってるように聴こえてならなかった。 そのせいか、段々
「演奏にムラがあるから”蒼さ”を感じるのかなぁ?」
と、大好きなバンドなのにどこか乗り切れないモノを感じたりもしていた。

そんなこんなを経過し、1年振りに観たレイモンドチーム。
「何だか様子が全く違う!!」
いや、急に音がガラッと様変わりしたわけではないのだけれど、確かにまた変わっていたのです。
まず、演奏力が上がって、複雑な展開の持ち味がしっかりと伝わってくるようになった。 各々の楽器の豊富な音色は突飛なものも地味なものも、結果的には一つ一つ丁寧に混ざり合う。 曲の流れは基本的には静謐でありながら大きく穏やかな波を描き出し、音が全体的に非常に立体的になって、時には無性に踊りたくなる分かり易い躍動感まで! さらに、演奏がカッチリとしてきたのに、いい具合な隙間はちゃんとあって、聴いている側が身をゆだねられる余地はたくさんある。
最初に既出曲を2つ( 「dew a pon (a pon)」と「Dove ! ! 」 )やったのだけど、それだけで去年観た時とは何倍も良くなっているのは明確でめちゃくちゃ良かった。 さらに、もっとグッときたのは、その後に披露された新曲郡で、
「歌がまた帰って来たかも。」
と、ヴォーカルの大野くんの歌以外にもメンバーのコーラスを多く取り入れた曲達は、一見淡々としているものでも、リズムや音の効果や強弱では表せないタイプの高揚感がちょこんと存在していて、触れていると何とも気持ちがよく、尺長であってもそれを感じさせない心地よい緩急が芽生えていたのである。
何より、「歌がちゃんと主張してる!!」ことには、ホントにビックリした。
そこには、今までの”埋もれてしまいそうで消えちゃいそうな”歌声はなく、”埋もれてしまいそうで消えちゃいそうだけど、しっかりとココにいることを必死に提示している”歌声があったのである。 つまり、演奏力が上がって周りの楽器のアンサンブルも強固になったけど、それに負けずに歌も対抗していたということ。 ただ、対抗してきたといっても、調和を崩したり突出したりはしなく、あくまで大きな音の渦に溶け込む柔らかさは相変わらず。
でも、楽器の音量が大きくなり盛り上がりを見えた場面で、耳に聴こえてくる歌声が取り巻く音像に飲み込まれてしまいそうな時であっても、、これまでのように消されちゃいそうには決してならならなかった。 むしろ存在感をしっかりと保ったまま歌が同化していって、以前よりも何倍も自然に場の雰囲気を優しく上昇させてく瞬間は、明らかに新しい風景だった。
「演奏の面でも歌の面でも、力強くなってる!」
それは、もちろん単に音量のバランス云々の問題ではなく、バンド自体がぐんと良くなったからだと思うのです。

そんな一気にパワーアップしたレイモンドだけど、やっぱり特有の”蒼さ”は健在だった。 ひねくれてて、シャイ。 けど、ごちゃごちゃにこんがらがった方法でも、何かを伝えようとしてる。 そして、どれだけ技術的なレベルが上がっても、ただの構築美にはならない隙間があり、そこから音が浮かび上がる感じ。
当たり前でいて難しい発展の仕方をしてるこのバンドは、心惹かれてしまうし、今後技術的にすっげー上手くなったとしても決してこなれないんじゃないだろか。
いつまでも”蒼い”んじゃなくて、いつまでも”新鮮な佇まい”を響かせる。
格段に良くなった今回のライブを観て、この”蒼さ”の正体がちょっとだけ垣間見れた気がしました。