ソルトレークシティーオリンピック見聞記 1


思い出話はいくらでも(長野オリンピックシーズン〜)
長野オリンピックから帰る電車の中で友人Kと「オリンピック見に行けてよかったね〜」とジュースで乾杯しながら交わした会話。
「次のオリンピック、どうする?」
「万が一エルビスが出るなら狙う」
「万が一」をつけ、「行く」ではなく「狙う」と言ったのには二つのわけがある。
エルビスが次のオリンピックに出るのかということと、自分がソルトレークシティーに行くことができるのかということ。



長野オリンピックシーズン当時のエルビスは25才、男子シングルだとオリンピック以降の進路が気になる年齢である。現に同世代のエルドリッジやキャンデローロについてはシーズン中にプロ転向説を読んでいた。
ただ月に一回の程度でしかインターネットをしていなかったので、この頃のエルビスがどう進路を表明していたのかは把握していない。(ご存知の方教えてください)アマチュア残留説も流れていたようだが、年齢とキャリアから「長野オリンピックがアマチュア最後の試合」と思っていた。


その試合が、ケガを抱えて隠しながらのあの状態。
それまでのエルビスはシーズンを棒に振るほど大きなケガはなかったのに、最後の最後でこんなことになるなんて神様はあんまりだ!と運命を恨むのとアマチュア最後の試合が終わってしまった、本当に見られたのだという燃え尽き感が同居した状態だった私。そんな状態で次のオリンピックについて訊かれて即答できたのには自分でも驚いたのだが、「このままで終わってほしくない」という気持ちがどこかにあったらしい。
しかし自国開催のオリンピックのチケット獲りでかなり気疲れした私にしてみれば、遠い四年後の外国の試合を見に行くことなどネットでレポートを読むだけの別世界。酸素マスクが必要な高さの登山に挑むような気分になったので、その話はそこで終わらせてエルビスは出ない前提で一ヶ月後の世界選手権の順位予想に花を咲かせていた。


エルビスは銀メダルは獲ったもののエキシビションでは滑ることができずスピーチのみ、メダリスト・オン・アイスにも出場せず。エキシビションでのスピーチで「足を治して世界選手権には出る」と明言していたが(「出る気かい!」とテレビの前で思い切り言ったのは私)、結局ミネアポリス世界選手権にも間に合わなかった。
その後ジャンプなしのコミカルなショーナンバーを作ってChampions On Iceに一度だけ(だったかな?)出演したものの、残りのツアーを全てキャンセル。オリンピック後の華やかな流れから完全にそれてしまう形になった。

ツアーの最中に有力選手が次々プロ転向やプロアマ維持を発表する中、エルビスは進路について完全に沈黙。ミス・ユニバースの審査員をやった以外は「『何もしない』という初めてのタイプのシーズンオフ」だったらしい。
ようやく8月の終盤に「9月8日(だったっけ?)に記者会見する」という予告。引退発表でもないのに記者会見を開くという予告をするあたり、何なんだこの人のカナダでの存在は…と目が点になったのを覚えている。
しかし「記者会見するなんて予告してないでさっさとどっちか発表してくれ!」とツッコミを入れるファンがここに一人。アマチュア残留6分、プロ転向4分ぐらいで思っていたので心が定まらずに生殺し状態だったのだ。

結局エルビスは「35才になった時に『あの時続けておけばよかった』と後悔したくないから」とアマチュア残留を発表。しかしソルトレークシティーオリンピックに関しては「出たい気持ちはあるが一年一年やってから考える」と意外に慎重なコメント。
しかし「下手に断言するより現実性あっていいかも。一年単位でやっていくうちに四年たって、結局出ることになるんじゃない?」と逆に出るだろうという思いが強くなったのだから、ファンというのはお得な生き物である。


2000年ニース世界選手権終了後、エルビスはソルトレークシティーオリンピックまでのアマチュア続行を表明。タイミングよくしばらくしてオリンピックの公式ページでチケットの値段や発売方法が発表される。さあチケット獲るぞ…と意気込んでPDFファイルをダウンロードして中身を見たのはいいものの。
何なのよ、これ!


フィギュアスケートは席のランクがA−Dまである。しかし、ランクAの席に限り他の競技と抱き合わせ販売になっている。例えば2月12日の男子ショートのA席が買いたい場合、2月11日の競技や2月12日の昼間の競技のチケットも一緒に買わなければいけないのだ。この形式でチケットを買うとA席一枚あたり4万前後になる。長野(2万5千円)より高いじゃんか!
この抱き合わせ販売の対象になっているのはフィギュアスケートとスピードスケートの各A席。室内競技で人気が高く、確実に客の入りが見込まれる物ばかり。さすがアメリカ、足元見てるじゃねーかよ……!

しかしこの抱き合わせ販売はアメリカ在住者のみ対象だったらしい。オンラインで申し込むと郵便番号の入力が不適格ということではじき出された。


それから気にはかけていたが、結局日本での販売情報が入ったのは2001年の夏から秋。手配パターンを大まかに分類すると次の通りになる。
(1)旅行会社やアイスクリスタル主催のツアー(会場への送り迎え、添乗員つき?)
(2)旅行会社のセットプラン(チケット+宿)、飛行機は自力手配
(3)チケットはぴあ等で購入、宿、飛行機共に自力手配
これ以外の方、お話聞かせていただけるとありがたいです。


実はその。
ここまで思い出話をだらだら書いてきたのはいいが、実は今回飛行機以外の手配を全く自分でやっていなかったりする。
とりあえずぴあでチケットを獲ったのはいいが、スケートカナダを見に行くことにしていたのでソルトレークシティーの宿の手配は後回し。帰ってきていい加減宿を探さなければいけないと思いつつ、めども立たず気分も乗らずに時間だけが過ぎていく。
今回の旅はその先に待っているものがいつもと違う。準備が整うと時間の流れに加速がつくような気がして、手配をしようにも気分が乗らないどころか現実逃避モードだったのだ。サスカトゥーンで火をつけられて帰ってきたのだが、別の面でえらく心弱りしていたらしい。

しかしここで思わぬ天の助けがあった。上の(2)+(3)複合プランを立てていたグループに入れていただけることになったのだ。人のつながりと情けというもののありがたや、ありがたや。飛行機以外に何も手配しなくてすむ(泣)
ソルトレークシティーはユタ州の州都。モルモン教の総本山、冬はスキーの地として観光の対象はあるので宿がないわけではないのだが、何しろイベントが大きすぎる。加えて値段も高く、普段一泊150ドルの所がこの期間限定で250ドルになるというようなことがざらだったらしい。自力で宿を手配された方はさぞかし大変だったと思う。オリンピックは見に行くのにもそれなりに大変な大会なのだ。


エルビスは2001年スケートカナダの開催前に今シーズン限りの引退を明言。加えて2002年に入ったあたりの記事で「オリンピックの後のことは考えていない。後の試合のことを考えると演技中にどこかでセーブがかかってしまうので、それはしたくない」 というコメント。
ならばオリンピックできれいに燃え尽きられるように。
お別れを言いに行こう。長野は運がよければのオプションぐらいに考えて。



「次のオリンピック、どうする?」
「万が一エルビスが出るなら狙う」


その万が一が、現実になる。

(続く)




追記:

・まさか長野オリンピックまでさかのぼるとは思いませんでした(笑)。この辺りの話についてはへなCHOCOれーとの初期の「Elvis@Go! Go!」と答え合わせしながらご覧ください。それほど間違ってはいないと思いますが。