‥ りんちゃん闘病記 5‥


2002年6月現在の様子 6月6日でめでたく17歳になりました♪



6月になってあったかくなってきたせいか庭でウロウロすることが多くなりました。
ただ目が見えない、バックすることができないということで入っちゃいけないような所にも突き進んで行って
出るに出れない状態になってしまい「ひーひー」と泣くことも多くなってしまいました。

今まで「ひーひー」と泣いた場所・・・ はしごの下、自転車のペダルの下、植木の下、柵の下、イスの下、
室外機と外壁の間に挟まって抜けない。 

ひどい日は1日に3回ぐらい救出に行ってます。 入れないようにわざわざ柵をしたり、ついたてをしてるのに
「なんで?(゜_。)?(。_゜)?どうやって入ったの?」っていう所で泣いてたりします。
室外機と外壁の間はいつものことだけど、この前のパターンはひどかった! 雨降りだし、もらしてたし。。。
室外機と外壁の間にひっくり返った状態で挟まり、おまけに頭はなぜか室外機の真下。
結局室外機をバキバキっとはがして頭を出したという感じでした。 どうやって入りこんだのか・・・
雨が降ってきたから・・と部屋に入れても朝には庭でビチョビチョ。 仕方がないのでヒモでつないでおくと
首つり状態になってまた「ひーひー」と泣く有様です。 でも、元気なのがスゴイです(笑)


えさはお薬を入れてやってます。 あちこちでもらして臭いがひどいので「ヒューミン」という臭い消しを
振りかけてます。 これが効果バツグン☆ 今まで家中が臭かったのがだいぶ改善されました。
臭いはマシになったものの、ひどいのが「蝿」。 うちの庭には滅多に見れないようなでかいハエがいっぱいです。
エサも普通に置いただけでは全然気づかないので、一度鼻先をエサ入れに突っ込んでやってから置いてます。
それでもすぐに場所がわからなくなってしまって5分後には全然食べれてないまま他所でフラフラと
探し回ってたりします。 おまけにひっくり返してしまって砂利との区別がつかないまま一緒に食べてたりすることも。
食べることが大好きだったのにかわいそうです。 


 


左上・・・プランターを枕にしてます。
右上・・・水の入った鉢につかってます。
下・・・5センチの段差なんて気にしません。

案外性格ずぶといんかなぁ。 いつもびっくりするような所で信じられないような格好で寝てます。


平成14年9月26日 お星さまになりました。
3日ほど前からほとんど動けなくなり、ついに起きることもできなくなりました。 動けなくて足をバタバタさせ、
起こしてよ〜とばかりに「ひーひー」と鳴いて私たちを呼びました。 えさも薬入りのパンも食べることが
 できなくなり水分補給だけはと思い注射器の筒の部分を使って痛み止めをとかしたけーなのミルクを
飲ませてました。24日は口に入れてやると「ゴックンゴックン」と口も動かし必死で飲んでました。
25日は口に入れてやってもただ流しこんでるという感じになっていました。
「あぁもうダメだ・・・」そう思いながらもだんなと一緒に口に入れてやりました。 全部飲ませ終わった後に
りんちゃんのしっぽがパタパタと嬉しそうに動きました。 「あぁお礼言ってくれてるね・・・」とだんなと
しんみりしました。 その後1時間半ほどお別れをしました。 顔をなでたりして話してる間も何度か
しっぽをパタパタとさせてくれました。 「また会おうね、いい旅になるよ、きっと。」そう言って私は寝ました。

朝5時半ごろに父親が見に行った時にはもう冷たくなって死後硬直もかなり進んでたようです。
私がお別れをしたのは23時半ごろだったのでその後すぐに旅だったのかもしれません。
息もたえだえで本当にかわいそうでした。 見てるのが辛くて胸が張り裂けそうでした。
やっと楽になれてよかった・・・と思いたいです。 でも、淋しくてしょうがないです。

ペット霊園はりんちゃんのお母さん・妹と一緒です。 共同墓地なのでたくさんのお友達も一緒です。
自分の子供よりも長生きだったりんちゃん。 みんなが待っててくれるからきっと淋しくないね。
共同の火葬でお骨も何も残らないけど一生大事な思い出として残るからね。。。


すぐにかけつけてくれたみーちゃん、お姉ちゃんありがとう。
メールをくれて励ましてくれたみんなありがとう。
介護服を作ってくれたおかんありがとう。