恋の魔力のせいかわたしのあとぴーはほとんどわからなくなっていた。

彼とのおつきあいはとても楽しかったし、本当に素敵な輝く日々だった。

調理短大を卒業する頃、私達は進路を考えなければならなかった。

彼は有名な料理旅館に勤めていたが、自分の求めるものを追うために

違う職場を求めていた。わたしはといえばパン職人は好きではあったが

調理短大の時にかけもちではじめた歯科助手という仕事をきっかけに

医療の現場で仕事をしたいという思いを抱き始めていた。 そして彼は

知人の紹介でホテルの調理場で勤務することになった。料理長と2番手と彼。

実践の機会・・包丁を少しでも持てる職場であった。 わたしは自宅から遠かった

歯科医院を辞め職安で紹介してもらった開院予定の皮膚科に勤務することになった。

思えばあとぴーのわたしが皮膚科で勤務するというのも大胆な考えなのだが、

その頃はもう治ったと思っていたし、コントロールできると信じていた。

それに何かあっても皮膚科の先生が側にいればなんとかしてもらえると思っていたのだ。


彼は料理旅館で勤めていた時は寮に住み込みであったため、辞めると同時に

そこを出なくてはならなかった。しかし新しいホテルの寮に入れるのは何日か先と

いうことで、とりあえずわたしの家に荷物を置くことになった。 そして、そのまま彼は

わたしの家に住みついてしまっていた。 わたしの母親が「あんたはいつのまにかうちの子に

なってるような気がする」と会った時に言っていたのだが、そのとおりになってしまった。

確かに毎日会っていたし、毎日会いたい人であったが一緒に暮らすとなるとやはりそれなりの

気遣いや緊張感もある。 彼の仕事は朝4時すぎに出勤。夜9時すぎに帰宅。休みは

1ヶ月に1日あるかないかという今では考えられないようなハードなものであった。

そしてわたしの方はといえば、朝8時半に家を出て夕方7時ぐらいに帰宅。日曜日には

パン製造のバイトに行っていた。 皮膚科の先生は一番はじめは小児科が専門だったそうで

途中から皮膚科の方に興味を持ち専門を変更したということだった。 先生は皮膚科では

めずらしいのかどうかわからないが漢方を使いたがっていた。 イボにはヨクイニン。

風邪には葛根湯などは有名かもしれない。漢方薬といっても生薬ではない。

ツムラやカネボウ・コタロウなどで顆粒になったもの(保険がきく)があるのだ。

これなら生薬と違って煮出す必要もないし、手軽である。 飲みにくいのは同じだが。

開院前には付近の薬局の方と合同で薬についての勉強会もあった。うちは在庫を

抱えないようにすることや、これからは主流になるであろうということで、医薬分業

つまり院外処方制をとっていたので近くの薬剤師さんも一緒に集まっての勉強会になっていたのだ。

皮膚科の薬は外用薬が主といってもいいかもしれない。確かに内服薬もあるけれども・・・

わたしは外用薬の多さにびっくりした。ステロイドといっても強さによって何段階かに

わかれているのも知った。 小さい時からいつも出ていたヘルペスがみずぼうそうに関係する

ということ、専用の外用薬がとてつもなく高価ということも知った。 あとぴーが子供のものだけ

ではないということも知った。 これはショックであった。 赤ちゃんから老人まであとぴーは

全年齢対象の疾患だったのだ。 ひどい人は本当に・・・ひどかった。顔から常に汁が出ている状態。

頬は真っ赤。 眉毛もない。 待合室ではずっと・・・常にずっとどこかを掻いていた。

兄弟姉妹でも一人だけがあとぴーだったり、母親もあとぴー、子供もあとぴーなど・・・

さまざまなあとぴーの患者さんを知ることができた。勉強にもなったが同時に不安にも

なった。 ほとんどの成人あとぴー患者は子供の頃からであったが、二十歳を過ぎて

急になった人も多かった。就職など人生の転機があるからかもしれない。

「わたしは本当に治ったの? 子供を産めばやっぱりあとぴーなの?」

自分はガマンできる。でも赤ちゃんに掻いちゃダメと言ってもわからない。

大丈夫なんだろうか・・・ あとぴーで掻きむしった赤ちゃんを見るといつもそう思った。