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川西町周辺をくろねこがご案内します



川西町は古く水運の要所で能楽の観阿弥が一座を旗揚げしたところです。
さらに古くは巫女を祀った島の山古墳、結崎駅前の佐々木塚古墳があります。

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 駅舎は新進の鉄道デザイナー川西康之氏によって
 デザインされました。
 鉄道と建築を手がけるイチバンセンの作品です。
 駅前には佐々木塚を含む広場が設けられイベント開かれ、
 周辺は道路の拡幅に伴い目下交通規制も敷かれています。
 ホームの手前にはオープンキッチンが予定されています。

新装成った結崎駅 遠景

新装成った結崎駅 近景

結崎駅前 広場中央にある佐々木塚古墳

佐々木塚古墳復元想像図

出土円筒埴輪 解説書より


解説書より

地元教育委員会の復元図では前方部は
北北西に向いていたようである。
全長50メートルは奈良県では大きくはないが、
良い立地にあるといえる。


川西町結崎は観阿弥世阿弥で有名な能楽「観世座」の源流、 「結崎座」の発祥地です。観客の集まる市場が有ったのか「市場」が小字名  として残っています。面塚は「天から面とネギが降ってきたという」 言い伝えがあります春には桜が満開! 整備された寺川河川敷で、 お花見ができます。ネギは結崎ねぶかと呼ばれ、そのころからこの 辺りで栽培されていたようです。最近伝統野菜として復活しました。 尚、鴨と食べると、いっそう美味で〜す。

面塚公園

面塚碑 

前方部横景

後円部より前方部を見る

「島の山古墳は」広い周壕で囲まれ、美しい姿をした前方後円墳です。 近年調査の結果、前方部より木棺と碧玉製車輪石や鍬形石等が144個出土して、有力者の墓で5世紀前半の築造 と推定されます。墳丘長195m、前方部幅100m、楯形の周濠を巡らしています。周囲から美しい姿を見ることが出来ます。
古代ヤマト(邪馬台国)はこの辺りから巻向遺跡〜大大和神社辺りを底辺とする、初瀬(大和)川流域のを指す地名だったそうです。

田圃の中、筋違い道(聖徳太子の通学路)に「油掛地蔵」が安置されています。 1523年(大永3年)の在銘で、舟型光背を持つ高さ約61cmのお地蔵さんです。 江戸時代泥田の中に埋もれていたのを引き上げ、ここにお祀りしています。 お祈りをして油を掛けたら、子供のクサ(おでき)が治ったと云われており、 願をかける時には油を掛ける習わし(燃灯供養)があります。

田の中に立っています

いつも油で汚れています