祖先を祀る
考古学者 小林達夫先生が次のように書いておられる。
「遊動生活では、家族皆で力をあわせながら移動はしているが、お年寄りはだんだん遅れがちになり、列から離れざるをえなくなる。最後はついていけなくてそこに一人残って死を待つしかなかった。ところがムラができると、老人が動き回るような生活をしなくてムラの中で留守番をすればよいようになった。老人は天寿を全うすることができ途中で涙ながら落伍していくことはなくなった。
老人こそ経験豊かで、今風の言葉で言えば情報量を十分に蓄えている人だ。ムラの中で天寿を全うしながら、自分のいろいろな経験や情報を、働き盛りの自分の子供夫婦ではなくて一世代とんで孫に伝えていく。ムラができたことは、老人が孫に伝えながら天寿をまっとうできる生活様式を軌道に乗せた記念すべき出来事であるほかに、そのムラはそこに住む人たちの情報センターになっていく。そしていろいろなマツリ、あるいは世界をどう考えるか、どういう信念を持つべきか、どう生きるべきか、そういうところまで老人が体系化して、それを孫に教えていく。これは日本の縄文時代だけの話ではなく、いろいろの民族にも共通する文化伝承方法である。
縄文と言うのは大変な文化力を持っているが、それは定住革命によるムラの生活が軌道に乗って、このようなおじいさん、おばあさんから孫へと言うメカニズム、仕組みが出来上がった結果なのである。」
このように縄文時代においては、おじいさん・おばあさん、そして祖先の役割はきわめて高かった。多くのイエの奥に祖先をお祀りしていたし、死んだときの墓もイエの近くの重要な場所に設けた。