3.古神道の世界


 民俗学者である柳田國男さんは、日本各地の言い伝えを調べ、日本には、「死者の霊は永久にこの国土にとどまり、我々の身近にいて護ってくれるものだ」という考えが、太古から今日まで持ち続けられていることを知り、これは、「いずれの外来宗教の教理とも、明白に食い違った重要な点」であることを指摘し、祖霊とともに生きる姿を「祖先教」とさえ呼んでいます。
 「私のお墓の前で/泣かないでください/そこに私はいません/千の風に/千の風なって/あの大きな空を/吹きわたっています」・・・・
 大ヒットした「千の風になって」の詩です。何故大ヒットしたのか、いろいろ理由はあるのでしょうが、この詩が日本人の心の奥にもっている意識を呼び起こしているからだと、私は思います。我々は、死んでも祖霊となって身近にいますよ、そしていろいろお守りしていますよ、という言葉が、我々の心にピンと来るのでしょう。

 仏教ではもともとお墓も作らなかったし、先祖の供養もしませんでした。事実、先祖供養というのは、仏教が生まれたインドでも中国大陸でも、あまりやかましくいっておりません。しかし日本では古来から敬神崇祖という思想があり、古くから死者の霊、祖先や亡くなった人のみたまを祀る「御魂祭り」とか「御霊しずめ」が行われていました。
 祖霊信仰は、日本だけに限ったことではありません。東アジアの稲作農耕系の民族社会、アフリカのサバンナ農耕系の民族社会でそれが顕著であることは、すでに文化人類学の数多くの報告書で明らかです。世界宗教といわれる、キリスト教、イスラム教、仏教などは、いわゆる一神教であり、祖先信仰という考えはないものと思います。
 日本では、縄文時代の後半、定住生活時代になっておじいさんやおばあさんから孫へという文化伝承システムが出来上がります。そして祖先とともに生きる生活が定着します
 (詳しくは、「祖先を祀る」を参照。ここをクリック
 この古くからの祖先崇拝という素朴な考え方は、他を思う心を育てます。祖先崇拝の思想は、親を思い、兄弟を思い、隣人を思い、部落を、村を町を、国を思う心を育てます。また、人間の持つ非自我の天性を育成し、自我を抑え、共同の精神を育て、集団の秩序を保たせ、愛国心を養うのです。個人という人間はこの世に実在しない、ともに生きる姿が人間の姿だともいえましょう。